実生活での指導(7)現実に立つ指導(2)「現代人物論 池田大作」小林正巳著(昭和44年9月25日)第34回

弟子を尊敬する
 地方指導に関連して、私がとりわけ感心したのは、学会員の誰に対しても、弟子を尊敬する。子供に対してすら、彼は一度として“会長” の態度で接したことはなかった。彼と握手しながらお辞儀をする学会員に「握手をして頭を下げたりする必要はないんですよ。もっと胸を張りなさい」
また、ある指導会で質問に立った女性が「私は班担をやらしていただいています」というと、すかさず「一銭ももらっているわけではないのに、そんないいかたをする必要はありません」とたしなめた。
 池田は創価学園の創立者だが、同校を訪ね、寮を視察したとき、わざわざ管理人夫妻に対しても、池田は「生徒をよろしく頼みます」と礼を尽くす 。
「会長として弟子を指導する立場ではあっても、最高に弟子を尊敬します。真の平等が仏法です」と語ったことがあるが、南米方面の某最高責任者が、池田とはじめて会ったときの思い出話(機関誌所載)も、そうした池田の姿勢を物語るものだろう。
 「会議用の大きな机の片隅に 会長は座っておられた。そしてすっと立たれると、私に 向かってほほえみかけて手をさしのべ、窓辺の小春日和の陽が差し込む暖かい席まで案内して下さった。私はそのとき、その頃の『大白蓮華』にのっていた会長の『巻頭言』ーー『法華経の一文一句をも説かん者をば当に起ちて遠く迎えて当に仏を敬うが如くすべし』ーーとの御金言の如く,一会員といえども礼儀をつくして迎えてあげなくてはならないー の一文が浮かんできた。私のような入信間もない一会員に対してさえ、会長自身が巻頭言に 書かれたことをこのように実行されているのである。私は初めてお目にかかったときの会長の厳しい実践の姿に深く感動したのであった」
 人間、概して、少し地位でもあがると、下のものに“肩書”で接し、金をもてば貧しい人たちを見下げるような傾向になりがちなものである。それに反し、事実上七百万世帯を擁する創価学会で偉大なリーダーシップを確立している池田が、弟子たち会員一人一人を人間として尊重する立場から礼をふまえた姿勢は虚名の指導者、有名人にはちょっと真似ができそうにない。
逆にいえば、そのような池田だからこそすぐれたリーダーシップを確立しているといえるかもしれない。

本質は何か
 池田の地方指導は、幹部会などの一般的指導より一層具体的であり、また個人指導に至ってはまったくケースバイケース、柔軟そのものである。
 たとえば、ある女性に対しては「 男性に愛されようとして、自分を見失うのは愚かである」。そして別の女性には「男性に愛される女性にならなければいけない」
 一見矛盾するようにもみえる指導だが、
「悪い性格をどう調整するか、よい性質をどう伸ばしていくか、大切なのは本質を見抜いてその人に適した指導を与えることです」と池田はいう。
そういえば池田はよく「 問題の“ホシ”(本質)は何か」とただすことを幹部からきいたが、何事につけても、その本質をつかむことに彼のすぐれた洞察力があるといえるだろう。  
 池田はまた,「寒いとき川に突き落とすようなやり方であってはいけない。それでは人材をつぶしてしまう。夏、プールに喜んで泳がせるような指導でなければ」というが、要はそのへんの“呼吸”にあるようだ。
 池田周辺は、池田の指導の一つの特徴として「さりげない話にも指導性があること。たとえば月一つ眺めても単なる感傷に終わらせない」という。池田が人と話す場合など、同席した最高幹部が机の下でしきりにメモをとるのをみかけるが、それもちょっとした話に含まれる指導性を読みとって、自分たちのものにしようという姿勢の現われなのである。