見出し画像

課程博士の生態図鑑 No.28 (2024年7月)

※ サムネイルの背景に使用しているのは、ソ・インサクによる「Sunday PM 4」という作品の一部を切り取ったもの。


今現在めちゃ体調不良なので、今月の note は少し短め。来月は博士論文の追い込みがあるので、note はたぶん更新しません。

東浩紀のオタク論がブッ刺さってしまった話

東浩紀の「動物化するポストモダン」を読んだ。この本は、ポストモダンをヒントにオタク文化を読み解く内容なのだが、その中で以下のような一節があった。

もうひとつは、オタクたちの行動を特徴づける虚購重視の態度である。その態度は、単に彼らの趣味だけでなく、また人間関係も決定している。オタクたちの人間関係は、親族や職場のような社会的現実(と呼ばれるもの)とは関係なく、アニメやゲームの虚構を中核とした別種の原理で決められていることが少なくない。(中略)オタクたちが「どでかい紙袋に山のような本や雑誌や同人誌や切抜きをつめこんでヤドカリの移動さながらどこへゆくにも持ち歩く」のは、彼らがつねに、「自我の殻」を、すなわち帰属集団の幻想そのものを持ち歩かなければ精神的に安定しないからだ。「おたく」という二人称には、そのような帰属集団の幻想をたがいに承認しあう役割が与えられている。

動物化するポストモダン -オタクから見た日本社会

上記の文章を電車の中で読んでいて、今、この瞬間も自分が「自我の殻」のような虚構に閉じこもっていることを自覚してしまった。思えば電車の外に浮かぶ景色を最後に楽しんだのはいつだろうか。下手したら半年以上も前かもしれない。

外に出歩く時も、常にイヤホンをしていて、常にポッドキャストか音楽を聴いており、自分の好きな世界だけに浸っている。家で作業する時もイヤホンをして外の音をかき消している。もしかしたら現実世界と向き合っている時間の方が少ない可能性すらある。殻に閉じこもったままの状態は、現実世界に滞在していると言えるのだろうか。ある意味ではバーチャルな世界にずっと浸っているのではないか。

帰属集団の幻想を持ち歩くという意識は全くない。むしろどこにも帰属したくないという意識から「今ここ」ではない場所を常に求めている感覚は少しだけある。まぁ、どこにも帰属しないなんて無理なんだけれども。

僕自身、本書でいうようなオタクの自覚はないし、拡大解釈ではあるのだが、上記の一節を読んで色々と考えさせられるところがある。もっと「今ここ」と向き合い、「自我の殻」を柔軟にして、拡大していかなければ。

ちなみにこの本は全体的にめちゃくちゃ面白いので、ぜひ読んでみてほしい。



デザイナーがデザインすべきもの

大学の教授から聞いた、東日本大震災の時に被災地に支給された三菱自動車のアイミーブに関する話が興味深かった。

当時石巻では、被災者は各地の仮設住宅を転々としていて、地元で形成されたコミュニティがバラバラになっていたらしい。そんな状況の中では、「どうせすぐバラバラになるのだから」と、コミュニティを形成するモチベーションが希薄になり、コミュニケーションがうまくいかない状況が続いた。

しかし、アイミーブが支給されたことで、この車をどう活用するかを被災者同士で議論しなければならない状況が生まれ、コミュニティが勝手に形成されていったという。

もしデザイナーが、変に便利な予約システムなんかを作っていたら、このようなコミュニティは形成されなかっただろうと教授は言っていた。この話を聞いて、デザイナーが果たすべき役割は道具を作ることを目的とすることではなく、どうすればコミュニティを形成される場を用意するかであることを再確認した。


熱が酷く、喉も痛い。耳も聞こえづらい。一日中ずっとうっすら朦朧としております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?