こわいものなど、なにもない
お正月休みの最後の日、スーツケースを持って新幹線に飛び乗った。
チケットを取っていなかったから、案の定自由席はいっぱいで座れず、自動的に通路の奥へ奥へと押し込まれる。
席に座った大柄な男性がちらりとこちらを見る。う、お邪魔してます…と私はなるべく気配を消して、丹田(ヘソの下あたり)に力を入れてスッと立つ。
カラカラとすぐ動いてしまうスーツケースが恨めしい。帰省先から家に戻る人たちにぺこぺこしながら、私はひとりぼっちで東京をめざすのだ。
明日から仕事はじめだという人が多いのだろう、心なしか浮かない顔をしている。おつかれさまです。だけど私なんて2ヶ月ぶりの仕事はじめだ。おつかれること、間違いなし。
昼に家族で食べたスパイスカレーが胸元でほかほかしていたから、駅で買った小さな文庫本を立ったままそうっとめくる。思いがけず、リストラの小説で笑ってしまった。なんで今。
「ただいま、富士山の前を通過しています」
抑揚のない車掌のアナウンスを聞いて、顔を上げる。富士山はよく見えない。それでも、確実に新幹線は移動している。あまりにも未知な場所で、未知の仕事。どうして私はこんなことを?とぼんやりした頭で思う。
ほんとうに、人生は簡単に変えられる。
いつもニューゲームは目の前にあるのだ。
書きながら疲れてきたので詳細は割愛するが、いざ始まってみたら毎日くたくたに疲れた。だって一事が万事、何のことかさっぱりわからない。インプットが多すぎて、寝ても寝ても、まだ眠い。こんなのひさしぶり。
まるで壊れたロボットのように首を傾げた内面の自分と、大丈夫でーすと笑う外面の自分がぺりぺりと分離して、いつかバリッと割れてしまうかもしれないという不安に襲われたりした。
予めGoogleマップに旗を立てておいた、行ってみたい飲食店のことなんてすっきりさっぱり忘れていたし、習慣だったはずのTwitterやnoteの通知さえ、ちゃんと見ることができなかった。
でもまあ、大丈夫大丈夫。アイムオーケー。
なにもこわくない。だって何もしないのが一番こわいのだ。いまの私にはヒマが一番つらい。
あの虚無の無職期間を経て、ようやく今、幸せを感じられる。そう思うとあの暗くじめっとした時間さえ意味があるのだとほっとする。
当分は、やることだらけの日々だから、悩んでるひまもないだろう。
家についたら、頑張ってくれた夫に力いっぱいのハグを。私は生かし生かされ、ニューゲームを手に入れた。
こわいものなど、なにもない。
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