見出し画像

文通・2 再びつながること-1

こころの底に沈んだ石


先日、今年最初で最後の長い手紙を書いた。

去年の八月にその人から手紙をもらっており、一年越しの返事になってしまった…。
インターバルが長いので、友達が前回手紙に書いたことを忘れているかもと、まずは便箋二枚で友達の手紙のあらすじをかくことに。

待たせたお詫びも兼ねて?クリスマスカードに同封し、ウサギがデザインされた94円切手を貼って投函。
年の瀬に今年の気がかりを一つ解消した。


学生時代にできた友達だ。
学生時代からの友達と言いたいけれど、卒業してからは、その数年内に何度か会っただけである。(たぶん)
それ以降20年以上会っていない。
友達の定義によっては、友達だったと過去形になるかも知れない。

会わなくなっても、初めの頃は長い手紙のやり取りもしていたが、それもなくなり、しかし、年賀状のやり取りだけは続いていた。

そして、その年一回のやりとりは、わたしに友達の変わらぬある部分を教えてくれていた。


卒業後も、目標に向かって努力をし、社会人として、着実に歩みを進める彼女。
その節目節目を書面で知らされるごと、嬉しいと同時に、我が身を振り返り、自分が恥ずかしくなることもあった。

やがてわたしが結婚し、出産。
友達もその後、結婚、出産をした。



大学入学後すぐにできた数人の友達は、わたしにとって特別だった。

すっごい仲良しで、恋愛に遊びにサークルにいろんな経験を共にして、キャンパスライフ(死語?)は、充実しまくりの日々。



というのは、もちろん真っ赤すぎる嘘である。
わたし自身の大学生活のどこをとっても、そのようなリア充臭はみじんもないと思う。
だからといって、当時はネットも普及していないので、別の場で充実していたわけでもない。

そんなわたしにとって「特別」なのはなぜか?

わたしは、ずっと、同じような思いを抱える人を探していた。
自分の心の底に沈む石を取り出して、わたし、こんなこと思ってたんだけどと、見せる勇気が湧くような相手を探していた。

そして、見つかったのは、こっちより先に、自分の石をじゃんじゃん見せてくれる人たちだった。


切手のデザインを見るのが好き。


続き ↓


↓文通・1 投稿から始まって↓ 
高校~二十代までしていた文通の話。(会ったことのない相手)

#エッセイ #自分 #大学生 #友達 #手紙 #こころ
#母との葛藤 #文通 #再びつながること #救われること  ###






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?