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久しぶりに強烈に死にたくなった


どんな順番でどんなことを書いていこうかなってなんとなく決めていたんだけれど、今日は忘れたくない1日だなと思って記録することにしました。

そう、今日は久しぶりにこんなに死ぬことを本気で考えた日だった。

………

昨日の夜の話。

ある本を読みました。最近なにかと話題の田中圭一さんの『うつヌケ』。今まで「うつ病を寛解した」というインタビュー記事や話を聞くと自分と比較してしまいしんどくなるので避けてきたのですが、映画『日日是好日』を鑑賞し、些細な幸せに気づきながら繰り返す毎日に愛を持って過ごしたい!と心が動いていたあとだったので、勇気を持って手にとったのです。読み終わったあとはわたしも自分のうつ病とちゃんと向き合うぞ!と意気込んでいたのですが…

そして寝る前、先週の食中毒がぶり返したのか新たに腸炎が発症したのか、猛烈な吐き気に襲われました。何度吐いても治まらない気持ち悪さにうなされ、なかなか寝付けない夜を過ごしました。

………

そして今朝。

少しもやっちが消えている(もやっちとはわたしが名付けてた漠然とした不安のこと)。天気もいいし、今日は後輩とご飯を食べる日だし家事をやってしまおう。授業もがんばろう。そろそろ起きようかな。

なんて思っていると、どんどん襲ってくる全身の痛み。
昨日思いっきり背中の骨ボキッ!ってしたからかなあ。
マッサージしすぎて揉み返しがきたのかなあ。
最初はそんな程度に思っていたけれど、関節も頭もお腹も痛い。熱も出てきた気がする。吐き気もまたやってきた。そしてなんと、血便が出た。
もう少し寝てから病院に行こうかと思うけれど、もうじっとしていられない、痛みで寝られない。とっとと病院に行って授業に行こう。

………

外に出ました。
こんなに日が差しているのに悪寒で震える。
お金をおろそうと思ったショッピングモールはまだ開店していなかった。
いつもはもう少し近くに感じる病院がとても遠く感じる。
全身が痛くて信号待ちが永遠のように思えた。
お金をおろすため、目の前に来た病院を横切って離れたコンビニへ。

ここらへんで、もう体はヘトヘトになっていました。

そしてもやっちがわたしの周りにうごめきはじめた。
ピントが合わなくなり、色をあまり感じられなくなってきた。
足取りはおろか、涙はとめどなく流れる。
何回か車が走っている道をフラフラ横切ったりしていた。

負の感情しか浮かばない。
からだは痛い、苦しい、つらい、しんどい。
こころも苦しい、つらい、しんどい、死にたい。

こんなに負の感情ばかり生まれて、
こんなに弱い体と付き合っていかなきゃいけなくて、

なんで

なんで

なんでじぶんはいきているんだろう

なんでいきていかなきゃいけないんだろう

フラフラとした足取りで歩道のない秋草の道を歩いていると、お父さんと友だちから「大丈夫?」とLINEがきた。
わたしは「もうダメだから、死ぬの。今までありがとう。」と答えた。

たぶん、今までで一番本気で死ぬことを想定して単語を発した。

2人は優しかった。

「しんどいね」「もうやんなっちゃうね」「よく歩いて病院行ったね」

決して「死んじゃダメだよ」って言わなかった。
別に言われたっていいんだけれど、
わたしのこの気持ちの行き場を作ってもらえた気がした。
死ぬっていう言葉を発する自分が生きることを許された気がした。

大丈夫だよ、って言葉にはなかなかうなずけなかったけど、
点滴したら楽になるし、先生に薬もらえば痛みは軽くなるしという言葉に、確かに楽になりたい気持ちは死にたいという気持ちに等しいと思って、病院に行くことを決めて、残りの道を歩き切った。

あのときに電話が繋がっていなかったら車に轢かれて死んでしまっていたかもしれない。そう思うと、繋がってくれた2人には本当に感謝しています。

………

病院では検査と点滴をしてもらって、朝より楽になりました。そのあとも発熱と全身の痛みはあったけれど、寝てからだいぶおさまってきました。

このnoteを書いている間にも涙が止まらなくなって、一度お母さんに電話しました。「代わってあげたい」って何回も言われたけれど、「代わってほしい」とは一度も思いませんでした。わたしの大切な人にはこんなにつらい気持ちは味わってほしくない。そのためにわたしは生きているんだ。その再確認ができた気がします。

いまもまだ吐き気と胃液の逆流はあるけれど、乗り越えようと思えていることがちょっと嬉しい。からだとこころは繋がっているなあと改めて思う1日でした。もやっちも朝より確実に減ってくれた、ありがとう。

元気になるとなかなか思い出せなくなる落ちている時間の記録。



2018.11.1(Thu) おかぴ



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