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路上で写真を売って食べた海鮮丼からすべてが始まった

お金の学校『toi』は、参加者の「お金」にまつわる悩みや夢を、校長・井上拓美&MC・くいしんと様々なゲストを交えて本気で考えることで、それぞれに必要な“問い”を一緒に探していく学校です。このnoteでは、メンバーの一員でもあるライターが講義を聞き、感じたこと、気づきや学びについて記録していきます。

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●ライター:乾隼人
1993年生まれの編集者・ライター。ローカルを軸にした編集チーム『Huuuu』に所属し、外食文化、1次産業、移住などを中心に取材。趣味で酒場のメニューを収集している。
●ゲスト講師:藤原慶さん
1993年生まれ。神奈川県出身の写真家。専門学校で音楽を学んだ後、バックパックとカメラを持って日本放浪の旅へ。路上で写真を販売しながら生活を続けた。現在はアシスタントを経て、都内を中心にフォトグラファーとして活動中。著書に『旅へんろ』など。


都内を中心に活動するフォトグラファー・藤原慶さん。現在28歳の彼は、かつて日本を旅しながら路上で写真を売り生活するという、自由気ままにも見える時期を過ごしたことがあった。

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fujiwarakei.com

藤原さんの経験談を通して感じたのは、「自分がいいと思うものを小さくやり始めて、それを続けること」の強さ。その積み重ねが未来を作ると、藤原さんは自身の足跡から語ってくれた。

もちろん、彼の過ごした数年間には、「自分はこれでいいのか?」という葛藤や、「違うことをやろう」という方向転換もあった。

ただ、挫折するたびに藤原さんは立ち止まり、「いま、自分は何がやりたいのか」を考える。そして、一度決めたことは小さくても続けてみる。「そもそも挑戦しない」という選択や、誰かと自分を比較して「自分がやっても仕方ない」と思うごくありふれた言い訳を、藤原さんは選んでこなかった。

そんな彼の挑戦と内省について、話を聞いた。


音痴と言われても。やれるかもしれないなら決断する。

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全国各地への地方取材や、雑誌の撮影、広告写真など、いまや写真家として多方面で活躍している藤原さん。しかし、写真を生業とする前に、他に「なりたいもの」があった。

慶さん:
元々はシンガーソングライターになりたかったんですよ。ライブハウスに行った時の高揚感とか、音楽を聞いてわーっとなる瞬間が好きで。当時はアコースティックのライブハウスによく行ってましたね。一人で、ギターー本だけで音楽をする表現力の高さに憧れたから。

将来の進路について本格的に考えるようになった高校2年生の頃、決断をした。

慶さん:
その頃から、周りと比べたら音痴だってことはわかってたんです。高校のみんなでカラオケに行っても、僕が歌うと笑われてたし。でも、「なれるかもしれないのに、トライしないのはないだろう」と思って。音楽の専門学校に通うことを決めました。

多くの場合は、自分よりも優秀な誰かがそばにいた時、ついつい自分と比較してしまうものだと思う。チャレンジする前から、「自分はこの挑戦をしない」と決めてしまうことだってある。

周りからはマイナスの評価を受けていた藤原さん。うまくいくとは限らない。それでも、周りと比べて劣っているからといって、考えを変えることはしなかった。

専門学校で2年間、音楽を学んだ藤原さん。卒業後は実家に戻り、月に一度はライブハウスでライブ活動をしていた。バイトでライブ代と生活費を稼ぐ日々。変化に気づいたのは1年後のことだった。

慶さん:
卒業した後は、バイトで稼いだお金がライブ活動のために消える、その繰り返しの日々でした。あるとき、「あれ、俺ってこんなままでいいのか」ってふと立ち止まった瞬間があったんです。

学生の頃は友達と一緒に無我夢中に音楽をやれていたけれど、落ち着いて考えると今でも音痴だし「自分がやるのって、本当に音楽でいいのかな?」って思うようになって。

ここで藤原さんは立ち止まる。これからの人生に幾度となく訪れる、「自分は何をやってるんだ?」という問いに、初めて向き合った。バイト先をやめ、「旅に行こう」と考えた。

慶さん:
一回、全部リセットしようと思って、ギターを置いて旅に出ることにしました。唯一の趣味だったカメラだけ持っていこうと。いろいろ調べてるうちに「沖永良部島にはジャガイモ堀りのバイトがある」ってことを知って。バイトをしながら旅しようと思って、その島に行く飛行機のチケットを買ったんです。

現地のバイトでお金を貯めながら旅を続けているうちに、あるバックパッカーと出会った藤原さん。路上で写真を広げ、売ることで生計を立てている彼に興味を持ち、「僕も真似していいですか?」と同行することになったという。

慶さん:
めちゃくちゃおもしろそうだなって思って。自分も真似して、旅先で撮った写真をカメラのキタムラで現像して、路上で並べて、売るようになりました。やり始めて1日目に、沖縄で撮った海の写真が売れたんです。音楽でお金になったことなんてなかったから、めっちゃうれしくて。海の家のすぐ隣にいたから、手に入ったお金ですぐに海鮮丼を買って食べて。あれは本当に美味しかった…。


成功体験を得た、と言ってしまえば簡単に聞こえるだろう。ただ、迷いながらも小さく選び続けてきた彼の「やってみたい」と、「世の中の需要」が重なった瞬間だったのかもしれない。1枚の写真をきっかけに、この生活を続ける楽しみを見出した。


無謀にはじめて立ち止まる、を繰り返す。

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23歳になるまで、写真を売りながら旅をする生活を続けた藤原さん。当時は単発のバイトと写真を売るだけで過ごしていた。写真の売り上げは1日5,000円から、多い時だと日に2万円も売れることも。夕方になるまで、人通りのある路上で写真を並べた。

慶さん:
1畳分の場所にポストカードサイズの写真を並べて、右半分は観光名所、左半分は自分の好きな写真を並べて。どっちの方が売れるんだろう、とかどんな人がどっちに興味を示してくれるんだろう、とかいろいろ観察しているとおもしろくて。

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いずれも、藤原慶さんが旅をしながら撮影した写真。

楽しんでいた生活をやめるきっかけになったのは、冬。野宿ができないため、季節労働やアルバイトをして生活していた。放浪の旅をはじめて2年目の冬に働いたのは、長野のスキー場。マシンに乗ってスキー場を整備していた。

慶さん:
冬を越すまで、住み込みで同じバイトをするんです。あたりは雪だらけだからすることがないし、生活にも代わり映えがしない。3ヶ月くらい、こもりきりの日々を送っていて、その時にまた「俺、何やってんだろ」って考えたんです。

路上で写真を売ってた時は、いろんな人が声をかけてくれたり、写真を買ってくれたりした。そんな風に応援してくれた人がいるのに、ふらふらしてるばっかじゃだめだと思って。たとえば5年後に「あいつどうしてるかな」って連絡が来た時、まだ路上で写真を売ってたらみんながっかりするだろうな、申し訳ないなと思って。春がきたらスタジオに入って、ちゃんと写真の勉強をしようって。


振り返ってみると、藤原さんはただ頑固に「やる」と決め続けてきた訳ではなかった。

ライブとバイト漬けの日々だったり、冬ごもりの生活だったり、何かきっかけがあるたびに立ち止まり、「何をしてるんだろう」と内省する。

ただ、その内省から次にやりたいことが見えたら、無謀に見えるやり方でも小さく行動をしはじめ、苦労しながらもある程度の月日を続けてしまう

続けた後には「何をしてるんだ」と思うタイミングが来るけれど、自然と次に足がむく。

小さく始めては、続けてみて、ある時、立ち止まって考える。そのサイクルを通して、藤原さんは少しずつ、自分の道を見つけていく。


コロナ禍で見えた、次の挑戦

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春になると、藤原さんは名古屋にある写真のアシスタント事務所に所属。プロの下で、本格的に写真の仕事を覚えるようになった。名古屋で1年、東京で1年は、ひたすら仕事を覚える日々。その後、25歳の時に独立。フリーランスとして写真の活動をはじめた。

慶さん:
最初の頃はやっぱり、写真家としての自分のギャラが月に1〜2万円とかもザラでした。生活費は先輩のカメラマンさんのアシスタントだったり、イベントのお手伝いとかで賄って。

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写真の仕事をはじめて3年。これまでは自分のきっかけで立ち止まり、内省してきた藤原さん。今回の内省のきっかけは、コロナ禍だった。

慶さん:
2020年にいざコロナが来て、4月からの2ヶ月間くらいはじっとしていました。その時、急に仕事がなくなって。今の自分の仕事のスタイルってすごく受け身だったんだ。受け身の仕事って、急にこんなになくなるんだと思ったんです。

また立ち止まり、自分のこれからいく道について考えた藤原さん。ただこれまでと違ったのは、藤原さんの元には「写真家として」という思いが残っていたこと。リセットしない、この先を考えた。

慶さん:
はじめて、個人事業主として借り入れをしました。それは、映像制作の機材を揃えるため。元々、映像も自分の幅として持っておきたいと考えてはいたんです。写真で表現できないこともあるから、トライしてみたいなって。

「自分のいいと思うことを、小さくやり始める」ということを続けてきた藤原さん。彼にとって、立ち止まることは停滞ではなく、ステップアップするために階段の踊り場で息を整える、そんな準備の時間だった。

音楽に浸かった毎日や、日本放浪の旅など、藤原さんの昔話だけ聞くと「自由気ままに暮らしている」という印象を持つかもしれない。けれどそこには、自分で決断をして選びとってきた自由があった。やりたいことを選び、小さく続けてきた結果、そこには「写真家」という生きる道があった。

「この働き方が結構、我が身の最後の砦って感じがするんだよね。バイトも続かないことが多かったし、会社員も性に合わないだろうし」と藤原さん。

自由に自分の人生を選びながら、内省を続ける。その積み重ねが未来を作ると、行動で見せてくれていた。

テキスト:
いぬいはやと

イラスト:
あさぬー

編集:
くいしん

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