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狼だぬきの変容

 小学生になって少し経って、母親が「ハリーポッター」を読み聞かせてくれるようになった。ほどなくして映像でホグワーツの世界に浸り、もう少ししてから読み聞かせを卒業した頃には、僕はすっかり物語の虜だったように思える。

 小説を貪るように読むようになったのこそここ数年かもしれないが、ハリーポッターを始めあらゆる漫画を通して「物語」に触れて、「物語」を頼りに生きてきた人生だったようだ。そんな記憶へのアクセスから、令和元年の年の瀬は「そもそも『物語』とは何なのか」を考えるきっかけとなった。

 僕が現在において、「物語」と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「ショーシャンクの空に」である。「冤罪」で終身刑に処されたアンディーデュフレーンが刑務所で過ごす中で周囲と共に内面的な成長を果たしていき、エンディングではどんでん返しが起こる自由と希望に満ち溢れたストーリ。感涙にむせぶこと間違いなしの傑作映画だ。

 もしくは「天気の子」でもあり得る。去年大流行した新海誠の最新作であり、天候の狂った東京で出会った、100%の晴れ女である陽菜と家出少年の帆高の意志と選択の物語だ。これも感涙間違いなし。細部に新海監督の愛情が宿り、彼の心理学的とも言える深い洞察が垣間見える。

 さて、この「物語とは何か」について考え出すきっかけとなったのは知人の個展に参加したことに端を発する。知人は、芸術系の大学に通いながらフリーランスとしてアーティスト/デザイナーをこなしている。個展もそうだが、日常的な制作のテーマが「写真とは何か」を追求することだというのだから面白い。

 個展では、彼女は作品ではなく「問いかけ」を展示しているように感じられた。もちろん「写真とは何か」である。本人も理解の追いつかない問いかけを、生々しく展示する有り様は芸術家そのもので、えらく感嘆した。そうして僕は、彼女と自分とで主語を入れ替えてみた。すると、どうやら主語となる考察の対象は「物語」がそれに値すると結論したのである。つまり、「物語とは何か」の探求である。

 「物語」の位置する市場は随分変わってしまったように思える。文学の商業的価値は下がり続け、SNSによって全てがショートコンテンツに塗り替えられきた。「漫画ですぐ読める純文学」だかなんだかが書店に並ぶのなんて最たる例だ。もしくは、みんな中田敦彦の動画を観て知的欲求の満足を得ている。1次情報にこそ知的興奮が眠っているというのにだ。

 このnoteというプラットフォームだってそうだ。創業の想いはクリエイターの表現の場を創りたいという信念だったようだ。いつの間にか、雑多で単純で想像力に欠けるコンテンツの腐海のようになってしまった。クリエイティブの滋養に満ちた大洋を取り戻すには膨大な時間と労力が必要そうだ。小さくも無視できない自戒も込めて、そう思う。

 「仕事初め」にあやかって何かを掲げるとしたらこうなるだろう。今年は「物語とはなにか」を探求し訓練し創作する1年となるだろう。テーマというより、この先の人生における新鮮で純粋なコンセプトの最初のフェーズである。結論を2020年に出すというより、人生をかけて結論を出す下地を丁寧に、見えるように作り込む段階を意味する。

 もう少し具体的に書く。今年は、一冊出版することにする。形式は、僕が好きな形式がいいから、短編集だ。一冊を貫くは、「物語とはなにか」という問い。その根源から周縁までを物語に起こすという試みに挑戦しようと思う。

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