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ノーランと宮崎駿を結ぶ5つの歌【第11話】紺色のうねりが⑥「賢治と重力」

前回までのあらすじ

1989年から現代へタイムスリップしてきたクリストファーは、自分が未来において映画監督となり世界的巨匠とまで呼ばれることを知る。しかもその原動力となったのは、少年時代からの憧れ「宮崎駿」そして「ゲド戦記」への想いだったのだ。クリストファーは自身の映画において「俺のジブリ美術館」計画と「俺のゲド戦記」計画を実行することを知らされる。すべての謎は「5つの歌」の中に隠されていた。「ルージュの伝言」から『インセプション』の物語を、「やさしさに包まれたなら」から『インターステラー』の物語を構築した未来のクリストファーは、「テルーの唄」の”謎かけ”から『インターステラー』の登場人物の名前を考え出す。さらに、『コクリコ坂から』の挿入歌「紺色のうねりが」に衝撃を受け、『インターステラー』の中に「賢治愛」を組み込むという「俺の宮沢賢治」計画までも実行に移す…。そして「何も言えなくて...夏」を聴いたクリストファーは、恋人エマの待つ1989年へ帰ることを決意したのであった…

ちなみにこれが前回だ。

クリストファーは無事に1989年へ帰れたのかな…?

大丈夫やろ。知らんけど。

もし帰れてなければ、現世界からノーランという存在が消えてしまっているはずだけど、今のところそういう現象は見当たらない。ググればちゃんと出て来るよ。撮るべき映画も全部揃ってる。

あ~よかった!

未来のプロデューサーになるエマさんとも再会できたんだね!

しかし、ノーベル物理学賞の発表には驚いたな。

レイナー・ワイス、バリー・バリッシュ、そして映画『インターステラー』の監修を務めたキップ・ソーンの3人が受賞しおった。

キップ・ソーン(Keenan Pepper撮影 Wikiより)

映画でも重要なキーワードやった「重力波」の観測に人類史上初めて成功したんやで。どえらいこっちゃ。

詳細記事はこちら!

日本科学未来館:科学コミュニケーターブログ

KIPPも草葉の陰で喜んでいることだろう…

宮沢賢治にも聞かせたかったな…

重力波がついに観測できたことを…

賢治は『生徒諸君に寄せる』の中で、重力について熱く言及してたもんね!

「重力から解き放て!」って!

そう。

賢治にとって「重力」とは大きな関心事だった。いや、最大と言ってもいいだろう。そして彼の中で「重力」とは3つの意味を持っていた。

1、物理的現象としての重力

2、人々を土地や因習に縛りつけるもの

3、実家への依存

毎度のことながら一応言っておきます。

本作品における発言・描写は、おかえもん個人の推測や妄想に基づくものであり、実際の人物・団体の真実を表すものでは決してありません。また、本シリーズは「究極のネタバレ」を謳っておりますので、読み進める際は、ひとつその覚悟を胸にお願いいたします。画像や歌詞の引用なども、どうかご理解とご容赦のほどを。

の物理現象としての関心は、純粋な科学的好奇心だと言えるね。

賢治は「宇宙の真理」について非常に関心をもっていた。それを科学的アプローチと宗教的アプローチの両方から考察していたんだ。後者のほうは前回に話したね。法華経とキリスト教を通してだ。

科学についても熱心に勉強していた。『銀河鉄道の夜・最終形』の冒頭は、天文学の授業風景から始まるよね。物理学や化学、鉱物学や地質学など、あらゆるサイエンスに興味をもっていた。だから作品内でそれらの話が頻繁に出て来るんだ。

せやから『生徒諸君に寄せる』には、いろんな科学者の名前が出て来るんやな。

あの詩には『資本論』を書いたマルクスも出て来るけど、彼だって「科学者」と言えるんだよ。マルクスは人間社会も生物同様に「進化していくもの」と考えた。あと何段階か踏めば社会は「完全なる幸福状態」へと至るとね。

賢治の生きた時代は、ついに人類は世界のすべてを「理解できる」ようになると思われていたんだ。物理学、社会学、そしてフロイトの夢判断による精神分析学。賢治も人一倍これを強く信じた。だから彼の作品は、そういった思想が色濃く反映されている。

でもやっぱり一番の興味は物理学だろうね。なにせ宇宙全体を支配する「法」だから。

さて、ここでクイズを出そう。

日本で物理学が最初に大ブームになったのは、いつだか知ってる?

えっ?物理学が…?

全然わかんないな…

1922年(大正11)だよ。

アインシュタイン博士の来日ツアーの時だ。

アルベルト・アインシュタイン(1879-1955)

そうなんだ!

アインシュタインは11月17日に神戸港へ到着し、12月29日に門司港から離日した。

この6週間の間に日本人科学者と交流し、各地で講演を行った。それはそれは熱狂的に迎えられたそうだよ。まさに大フィーバーだった。

そんなに博士は人気者だったの…?

当時、普通の人はアインシュタインなんて知らないと思うんだけど…

実はね、日本に上陸する直前に、アインシュタインのノーベル物理学賞の受賞が発表されたんだ。

それが大々的に報道されて、大フィーバーを巻き起こしたっていうわけ。

新聞の記事でも「科学思想の革命家として世界的に名を轟かしたアインシュタイン教授」なんて仰々しく書かれるくらいだった(笑)

こちらに当時の朝日新聞の記事を解説したものがある。面白いから読んでみてね。(朝日新聞アインシュタイン来日時の記事まとめ

この時から日本人の「ノーベル賞信仰」が始まったんやな。

記事にも書いてあるけど、受賞自体は前年から決まってたんだね…

発表を見越しての日本ツアーだったんだ…

そうなんだよ。

満を持しての大ブームだったと言っていい。

ところで、アインシュタインは日本の大歓迎を心から喜んだんだけど、一つだけ不満があったらしい。それは日本人があまりにもドイツを褒めること。博士の機嫌をとるためだったんだろうけど、アインシュタインはそれが気に入らなかった。なぜなら彼はユダヤ人だったんで、当時のドイツ・オーストリアでは嫌な思いをたくさんしていたんだ。1922年といえば、ヒトラーが国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)のトップになった頃だから。

日本人が人種・宗教・政治などセンシティブなテーマに鈍感なのは伝統芸やな。

さて、これは僕の推測なんだけど…

宮沢賢治はアインシュタインの講演ツアーを楽しみにしてたと思うんだ。

だって12月3日には賢治の故郷花巻に近い仙台での講演も決まっていたからね。

まあ普通に考えて興味がないわけないよね。

だって世界一の天才、宇宙の真理の解明に最も近い人物が、目と鼻の先までやって来るんだから…

釈迦が講演に来るようなもんやで。

行くしかないやろ。

しかも賢治はこの年の春頃からドイツ語の勉強を始めてるんだ。

これってたぶん、アインシュタインの話を通訳を介してではなく、直接理解したいって欲求からだと思うんだよね。「12月3日は絶対に講演を聴きに行って、天才が語る言葉を全て吸収してやる!」って意気込みのような気がするんだよ。

その気持ち、わかる!

でも賢治は、アインシュタインの仙台講演には行かなかったんだ…

なんで!?

仙台講演のちょうど一週間前、11月27日に最愛の妹トシが亡くなったんだ。長らく結核を患っており、24歳の短い生涯だった…

賢治の作品にも数多くモチーフとして登場するトシだ。彼女の死の後に賢治は『永訣の朝』『松の針』『無声慟哭』そして『春と修羅』などを怒濤のように書く。頭の中はトシのことしかなかったんだ。

そこまで…

でね、これも僕の推測なんだけど…

賢治は心のどこかで「病気のトシがいなければ…」って考えたことがあると思うんだよ…

そうしたら自分はもっと自由にやりたいことをできたのに、ってね。

僕も亡くなった母の看病をしてた時や、生まれた息子の世話をしてる時なんかに、ふとそんなことを思ったことがあるんだ。なんとも罰当たりだけどね。でもその時は「なんで自分だけが?」って、ふと思ったりしたんだよ。

でも冷静になった後は、ひどい罪悪感に苛まれるというか、怒りがこみ上げて来てね。たとえ一瞬だとしても「何考えてんだ俺!」みたいな…。なんだか妹トシの死後の賢治を見てると、その時の自分に重なるんだよ。

特に『春と修羅』なんか読んでると、何かを必死に打ち消そうとしてる苦悩が伝わって来るんだ…

確かに…

この序文は鬼気迫るものがある…

わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

青空文庫より

『インターステラー』の主人公クーパーも、同じ気持ちだったんだよね。昔みたいに空を飛びたいのに「家族と家のことがあるから」ってその気持ちを押し殺してたんだ。だけど突然宇宙行きを誘われて、心の奥深くにしまい込んでいた本心が表に現れてしまった。「男」の血が騒いでしまったんだよね。それまで「よき父」として我慢してきたから。

アメリアに出会って、眠っていた男の本能が目覚めたしな。

彼自身も「重力」から解放されたかったんだ。

そしてこれが宮沢賢治という人間に作用してた「重力」と重なる。

賢治は最も辛い時代の東北に生まれた。彼が生きた時代の東北地方は、まさに受難の時代だったんだ。大きな地震が何度もあり、大津波で多くの人が犠牲になった。ただでさえ厳しい自然環境の上に大災害の連続だったんで、人々は貧困に喘いでいたんだ。

でも東北の人たちって良くも悪くも「仕方ない」って諦めるんだ。自然に逆らってもしょうがない…って感じでね。これは自然に対してだけでなく、他のことでも同様で、辛いことや苦しいことを文句ひとつ言わずに受け入れてしまう傾向が強い。

「おしん」やな。

そう。

なんだか土地に対して「重力」が強いんだよ。そして不合理な因習にも変にこだわる。変化を恐れるっていうのかな。僕も雪国育ちなんで、賢治の苦労がよくわかるんだ。彼は農村改革を志し、なかなか理解されずにとても苦労したから。

それが2の「人々を土地や因習に縛りつける重力」ってことか…

そう。

でも、一部の農民たちが賢治を理解しようとしなかったのも無理はない。

だって賢治が理想論を語ることができたのは、彼が実家のサポートを受けていたからなんだ。本当に苦労してる人たちからすれば、賢治のやってることは「金持ちの道楽」にしか見えなかったんだよ。

でも宮沢賢治って売れっ子作家だったんじゃないの?

あんなに有名な作品がいっぱいあるし…

彼が生前に稼いだ原稿料は、わずか5円。

現在僕たちが知る賢治作品は、ほとんど死後に有名になったものなんだ。

当時の5円というと、たぶん今の1~2万円くらいだろうね。僕のほうが遥かに売れっ子だ。

オッサンは死んでも大ブレイクせんやろ。

賢治にとって「所詮は金持ちの道楽」って言葉は、最大の敗北感を与えるものだった。何かと対立してた父に、実際ずっと頼っていたのだから。

このジレンマが賢治に重くのしかかっていた。まさに強力な「重力」のように。彼の作品が、どこか悲壮感を漂わせているのは、ここに由来するんだと僕は思う。名作と謳われる『雨ニモマケズ』って、よく読んでみると矛盾だらけだし、ちょっと怖い。そこまで自分を追い込まなくても…って感じるんだ。

ケンジは「重力」から逃れたかったんだろうな…

しかし『コクリコ坂から』で宮崎駿・吾朗父子が引用した『生徒諸君に寄せる』のバージョンは、その苦悩が少し「小ぎれい」にされている。毒が抜けてしまってるな。

あれは賢治が「作ったもの」ではないからね。

えっ!?

あれは賢治の死後、朝日新聞社が未完成で断片的だった詩片を編集して作ったものなんだよ。ほとんど原型を留めないくらい大幅に改変されているんだ。万人受けするように綺麗な形に整えるためにね。

元の形はこんなだったらしい。


生徒諸君に寄せる

〔断章一〕

この四ヶ年が
わたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を
鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふがわたくしはこの仕事で
疲れをおぼえたことはない

〔断章二〕

彼等はみんなわれらを去った。
彼等にはよい遺伝と育ち
あらゆる設備と休養と
茲には汗と吹雪のひまの
歪んだ時間と粗野な手引があるだけだ
彼等は百の速力をもち
われらは十の力を有たぬ
何がわれらをこの暗みから救ふのか
あらゆる労れと悩みを燃やせ
すべてのねがひの形を変へよ

〔断章三〕

新しい風のやうに爽やかな星雲のやうに
透明に愉快な明日は来る
諸君よ紺いろした北上山地のある稜は
速かにその形を変じやう
野原の草は俄かに丈を倍加しやう
あらたな樹木や花の群落が

    ゝ
    ゝ
    ゝ
    ゝ
    ゝ

〔断章四〕

諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
じつに諸君は此の地平線に於ける
あらゆる形の山嶽でなければならぬ

〔断章五〕

サキノハカといふ黒い花といっしょに
革命がやがてやって来る
それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である、
諸君はこの時代に強ひられ率ひられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ
宙宇は絶えずわれらに依って変化する
潮風や風、
あらゆる自然の力を用ひ尽すことから一足進んで
諸君は新たな自然を形成するのに努めなばならぬ

〔断章六〕

新しい時代のコペルニクスよ
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系を解き放て

新しい時代のダーヴヰンよ
更に東洋風静観のキャレンジャーに載って
銀河系空間の外にも至って
更にも透明に深く正しい地史と
増訂された生物学をわれらに示せ

衝動のやうにさへ行われる
すべての農業労働を
冷く透明な解析によって
その藍いろの影といっしょに
舞踏の範囲にまで高めよ

素質ある諸君はただにこれらを刻み出すべきである
おほよそ統計に従はば 諸君のなかには
少なくとも百人の天才がなければならぬ

〔断章七〕

新たな詩人よ
嵐から雲から光から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ

 
新たな時代のマルクスよ
これらの盲目な衝動から動く世界を
素晴らしく美しい構成に変へよ

諸君この颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか

〔断章八〕

今日の歴史や地史の資料からのみ論ずるならば
われらの祖先乃至はわれらに至るまで
すべての信仰や特性はただ誤解から生じたとさへ見へ
しかも科学はいまだに暗く
われらに自殺と自棄のみをしか保証せぬ。

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを言ってゐるひまがあるのか
さあわれわれは一つになって


だいぶ違うな。

賢治の心の叫びや。こっちのほうが過激やで。

ジブリ版の方ではカットされていた最初の「この四ヶ年が」ってどうゆう意味?

農学校の教員をしていた期間だね。

そしてこの「断章一」にノーランは着目した。

ハァ?

だって自分の映画で「俺の宮沢賢治」計画を実行するなら、完璧にやりたいって思うだろ?

まず宮崎父子が2011年公開の映画『コクリコ坂から』『生徒諸君に寄せる』をネタとして使った。しかしそれは不完全な形での引用だった。朝日新聞社の編集版を基にしたからね。

そこでノーランは『インターステラー』で宮崎父子に対抗して『生徒諸君に寄せる』を使うことを決めた。しかもノーカット完全版を引用して。

宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』2006年で、次回作『コクリコ坂から』は5年後の2011年だ。ノーランはこれを見て思わず叫ばずにはいられなかった…


宮崎父子、敗れたりィィィィ!


なんで!?

宮崎吾朗監督は、次回作までに5年かけてしまった。

これでは『生徒諸君に寄せる〔断章一〕』での「賢治の預言」が成就されない…

この四ヶ年が
わたくしにどんなに楽しかったか
誓って云ふがわたくしはこの仕事で
疲れをおぼえたことはない

だからノーランは、『インセプション』2010年に公開した後、次回作『インターステラー』を必ず2014年の公開とすることを決めたんだ。

きっちり「四ヶ年」にするためにね。

ズコっ!

そんな理由で~~!?

BOSSなら、やりかねん。

クリストファー・ノーランという男は、そういう人間なんだ。

決して何も言わないが、いつも何かとてつもないことを企んでる。

おそらく宮崎駿を反面教師としているのだろう。

反面教師!?

そうだね。

あの二人はよく似てるんだよ。性格とか趣味とか嗜好が。似た者同士なんだよね。

だからこそノーランは、かつて宮崎駿が犯した失敗を繰り返さぬように各計画を慎重に進めた。そして決して余計なことを言わなかった。宮崎駿を反面教師としていたからね。

どゆこと?

すべての発端は、今からちょうど37年前、1980年10月6日に放送された『ルパン三世 』TV第2シリーズ最終回『さらば愛しきルパン』だった…

そうだよね、TARS…

その通り。

BOSSの宮崎アニメ初体験は、テレビシリーズのルパン三世だった。あのスタイリッシュな泥棒活劇に、少年時代のBOSSはしびれてしまったのだ。そして心から誓った。「いつか宮崎駿みたいな映像作家になろう!」と。

それから三十数年の歳月が流れ、BOSSは『インターステラー』の中で私に「あるロボット」の役割を演じさせた。『さらば愛しきルパン』に初めて登場し、その後も『天空の城ラピュタ』に出ることになるロボットだ。

そのロボットの名は、ラムダ

ラムダこそが、私に与えられた役割の最後のひとつだったのだ。

ラ、ラムダ!?


~ 第12話へ続く ~


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コクリコ坂から(セル)


ルパン三世シーズン2「さらば愛しきルパン」


ねえ…

この「ルパンとラムダ」の絵って、今回最初に紹介した「壊れたKIPP」の姿と似てない?

気のせいじゃない?

ものごとを「色眼鏡」で見ちゃいけないよ。

そう思い込んでるから、そう見えるんだ。

お前が言うな!(笑)




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