第356話 深読み「ボッカチオのデカメロン」
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2019年9月20日 朝
スナックふかよみ
『神曲』の原題「COMEDIA」をアナグラムにすると「DECA MIO」…
「DECA MIO」とはイタリア語で「俺の十」という意味…
つまり「DECAMERON」には…
「俺の神曲、十の日の物語」という意味が隠されている…
そんな馬鹿な…
『神曲』のアナグラムから「十」というアイデアが生まれた…
そして『神曲』と同じ全100話にするには、十を二乗すればいい…
だから『デカメロン』は「10話x10日」なのね。
嘘でしょ…
「デカメロン」とは、ただの「十日物語」ではないんだよ…
それではボッカッチョが「3つの指輪の寓話」に仕掛けた「神隠し」のトリックを解説しよう…
まず、そもそも「寓話」とは何だったかな?
寓話とは、比喩によって人間の生活に馴染みの深いできごとを見せ、それによって深遠な道理や世の真理を伝えることを意図した物語です。
主人公が、もしくは主人公と敵対者が、ある結果をひき起こしたり、ある出来事に遭遇する始末を語る本筋は、なぞなぞと同様な文学的構造を持ち、面白く、不可解な印象を与えることによって、読者の興味を盛り立てます。
その通り。
寓話の最大の特徴は「なぞなぞ」のような構造を持つというところ。
寓話の語り手は、本当に言いたいことを直接言葉にせず、比喩や頓智などのトリックを使って表現するわけだ。
『デカメロン』第1日目の第3話「3つの指輪」では、エジプトでアイユーブ朝を興した最高権力者サラディンが、金策のためにアレクサンドリアのユダヤ人商人メルキゼデクを呼び出し、こう質問する。
「賢者との呼び声高いお前なら答えられるはずだ。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の3つの中で本当の教えはどれなのか?」
どの1つを答えても自分の負けになって財産を没収されると気付いたメルキゼデクは、機転を利かせて「3つの指輪」の物語を始める。
そしてメルキゼデクは、この3つの指輪と3つの宗教は同じことですと答え、感服したサラディンは正直に借金をお願いする。
その後、借金を返したサラディンは、利息の代わりとしてメルキゼデクにたっぷり戦利品を分け与え、永久不滅の名誉と地位を与えた…
どれが本物かは誰にもわからない。答えは神のみぞ知る、ってことね。
そうじゃないと言っただろう。
これは「寓話」だ。語り手が本当に言いたいことは巧みに隠されている。
どういうこと?
メルキゼデクは3つの中から1つを選んでいるんだよ。
だからサラディンも感服したんだ。
質問に答えずに、疑問に応えるという離れ業、奇跡をやってのけたから。
離れ業? 奇跡?
なぜかこの話を聞いた多くの者は、こう思い込んでしまう…
「3つの指輪」に結論が出ないのだから「3つの宗教」にも答えはないと…
まんまとボッカチオのトリックに騙されとるとも知らずに…
あの話にトリックが? どこにも不自然な場所はなかったと思いますが…
・・・・・
えっ? 今トラが鳴いたわよね?
まさか。石のトラが鳴くわけないでしょう。
変ね… 確かに聞こえたんだけど…
トラが鳴くトラが鳴く…
トラが鳴いたら大変だぁ…
は?
天神天神 三(みぃ)天神… ハナの天神 いい天神…
DOGの子は… チーン…
それ古今亭志ん生の『黄金餅』じゃん。
うふふ。
虎と黄金餅といえば「金屏風の虎退治」ね…
知ってる?
もちろん知ってるわよ。一休さんのトンチ話でしょ?
一休さんは将軍様の指示「トラを縛り上げろ」に応えることなく「虎退治」をしてのけた。
メルキゼデクの機転と同じことじゃな。
え?
トンチ話「屏風の虎退治」にはトリックがあるのじゃ。
この話の違和感に気付かぬ者は、ボッカチオのトリックにも気付けんじゃろう…
違和感? いったいどこに?
それじゃあ聞くけど、屏風の虎について将軍様は一休さんに何と説明していた?
あの虎のことをですか?
夜、屏風から抜け出て来て、人々を怖がらせたと…
それに対して一休さんは将軍様に何と言った?
今ここで虎を屏風から出してください、そうしたら縛り上げてみせますと…
ほら、おかしいでしょ(笑)
えっ?
ああっ!わかった!
将軍様は「夜、虎が屏風から出て来た」と過去の話をしたのに、一休さんは「今ここで虎を出してください」と別の話をしたわ!
虎が出て来たのは夜だし、そもそも将軍様が虎を出したわけじゃない!
なるほど…
つまり将軍様は「夜、虎が屏風から出て来た」という過去の出来事に何も関わっていないのに、一休さんがそれを勝手に結び付けたと?
その通り。そこを将軍様が指摘すれば「虎退治」は成立しなかった。
だけど語り手の話術、スルーのさせ方が巧みなので、聞き手は納得してしまうというわけだ。
これとボッカッチョのトリックが同じだと?
よーく考えてみて頂戴…
メルキゼデクは、こう答えてるの…
「3つの指輪」と「3つの宗教」は「同じことを言ってる」と…
そんなのわかってるって。
「アブラハムの宗教」と呼ばれる3つの教えは、そもそもルーツが一緒だから、互いによく似ているってことでしょ。
やっぱりわかってない(笑)
え?
よく考えてみてごらん。
メルキゼデクの語った「3つの指輪」では、最初に「至高の指輪」が1つあり、それが一子相伝で受け継がれていた…
だけど何代目かの父親が、本物そっくりに作った指輪を2つ加え、それぞれを3人の息子に渡して亡くなってしまう…
こうして世界に「3つの指輪」が存在することになり、どれが最初の「至高の指輪」なのかをめぐって、今も三兄弟は争っている…
この「3つの指輪」と「3つの宗教」は「同じこと」だとメルキゼデクは答えたんだよ。
ん?
ああっ!
最初にあった「至高の指輪」と、後から付け加えられた「2つの指輪」が、それぞれ「3つの宗教」に対応しているってことですよ!
えっ?
つまり、メルキゼデクが直接の言及を避けた本当の答えは…
キリスト教とイスラム教の基になった「ユダヤ教」ってことです!
あ、そっか…
なんてこった…
なぜこんな単純なトリックに今まで誰も気づかなかったんだ…
トリックは、単純であれば単純なほど、見過ごされてしまう…
深読み探偵学校の初年度で習ったのに…
そもそもメルキゼデクはユダヤ教徒なんだから、そう答えるのが当然なんです…
だから違うと言ってるだろう。
ちゃんと人の話を聞いているかい?
え?
ボッカッチョは一言もメルキゼデクを「ユダヤ教徒」なんて言っていない…
「3つの指輪の寓話」で伝えようとした答えも「ユダヤ教」ではないんだ…
どういうことでしょう?
「3つの指輪」と「3つの宗教」は、そっくりそのまま対応しているんですよね?
そう。2つの話は対応している。
『ライフ・オブ・パイ』の「虎との漂流話」と「人間だけの漂流話」のように。
じゃあ「どれが本当の教えか?」の答えは「ユダヤ教」でしょ?
至高の指輪と同じように、3つの中で最初にあった1つなんだから。
うーむ…
やっぱりボッカッチョのスタート地点から説明しないといけないようだ。
スタート地点って何ですか?
『デカメロン』という寓話集のコンセプト、作品のキモは何かな?
コンセプト、肝ですか?
10人の男女が1日1話ずつ計10話の物語を10日間続けることです。
それはコンセプトではない。
ただの形式、入れ物だ。
毎日それぞれ違うテーマで物語をするってことじゃない?
ウィキペディアに書いてあるわ。
1日目:自由テーマ
2日目:多くの苦難をへたのち成功や幸福を得た人の話
3日目:長い間熱望したもの、あるいは失ったものを手に入れた話
4日目:不幸な恋人たちの話
5日目:不幸のあとに幸福に巡り合う恋人たちの話
6日目:とっさのうまい返答で危機を回避した人の話
7日目:夫を騙した妻の話
8日目:男が女を、女が男を騙す話
9日目:自由テーマ
10日目:気高く寛大な行為についての話
それも違う。
毎日のテーマに意味は特にない。
ええっ?
そもそも1日目が「自由テーマ」だなんて嘘だ。
作品をよく読んでいない人が書いたんだろう。
どういうことでしょうか?
確かに序章の最後で「それでは自由に語りましょう」と提案されるけど、第1日目第1話の担当である青年パンフィロが、物語を始める前にテーマを設定している。
彼につづく者たちも、いっけん自由に語っているように聞こえるけど、実はパンフィロの設定したテーマを踏まえて物語しているんだよ。
もちろん第3話「3つの指輪」の語り手フィロメナも。
『デカメロン』
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
マジで?
『デカメロン』のコンセプト、作品のキモは…
毎日設定されるテーマではなく、畳みかけられるように語られる物語の「見えない」関連性…
前後の話の関連性を「どう隠しながら」物語るかということに、ボッカッチョは全神経を集中させているの…
見えない関連性? 関連性を隠した物語り?
『デカメロン』は、それぞれ1つの話だけを切り取ってしまうと、よくあるエロ話や教訓話みたいな、どうでもいい話に聞こえてしまう…
単独の話だけでは本当の意味がわからない仕組みになっているんだ…
つまり、1つの話を読み解く鍵は、前後の話の中に隠されているということ…
前後にヒントが? 何だか暗号みたい…
なにせ「俺の神曲」だからね。
天才ダンテに死ぬほど憧れた人物が、ただ百の物語を並べただけの本など書くわけがないだろう。
確かにそうだけど…
いったい『デカメロン』第1日目はどうなっているんですか?
第3話「3つの指輪」の前後には、どんな物語が?
それでは解説しよう…
つづく
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