シン・日曜美術館「トム・ウェイツのTom Traubert's Blues」(深読み プリンス⑪)
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1989年5月某日(日曜)午後
藪蔦屋 りうていの間
ようし。残るは6番と7番だ。
今度こそ君の助け無しで読み解いてみせるぞ。
ふふふ。
それでは『トム・トラバーツ・ブルース』の6番でトム・ウェイツは何を歌っているのかな?
6番はこう始まる。
And you can ask any sailor,
and the keys from the jailor
「船乗り」に聞いてみるといい…
「看守」から受け取った「鍵」のことを…
さて、この「船乗り」とは誰だ?
ははーん。わかったぞ。
「船乗り」とは「漁師」のことだな…
ふむふむ。で?
そして「jailor(看守)からもらった鍵」とは…
「Jar(主)からもらった天国の門の鍵」のこと…
つまり、ガリラヤの海の漁師から初代教皇になった使徒ペトロだ。
『Saint Peter(聖ペテロ)』
Peter Paul Rubens(ルーベンス)
その通り。5番からの流れだから簡単だったな。
そしてペトロに天国の門の鍵が渡されたことを知っている「車椅子の老人」とは…
And the old men in wheelchairs know
天の玉座にいる神のことだ…
『Holy Trinity(聖三位一体)』
Francisco Caro(フランシスコ・カロ)
では、6番の後半は?
And Mathilda's the defendant,
she killed about a hundred,
And she follows wherever you may go
マチルダは訴えられた被告人
マチルダは約100人を殺した
お前がどこに行こうとマチルダはついて来る
何だかホラーだな…
まるで『うしろの百太郎』みたいだ。
ははは。
ちなみに百太郎は、ただの守護霊ではない。
霊界におけるマスター、最も霊格の高い存在「主護霊」だ。
まさにイエス・キリストのような存在。
うーむ…
「マチルダ」が「defendant(ディフェンダント)」というのは「defense pendant(ディフェンス・ペンダント)」の短縮形でもありそうだな…
『ワルチング・マチルダ』の中で「マチルダ」は、セント・クリストファーのように「お守り」として歌われていた…
つまり「マチルダ」とは、幸福や幸運を願って多くの人が身につける「十字架のキリスト像」のことでもある…
そうだな。
だけど「マチルダは約百人を殺した」って、どういう意味だろう…
もしかして、イエスの処刑を執行したローマ兵「百人隊(centurio:ケントゥリオ)」のことだろうか?
部隊名は「百人」だけど、実際は100人ぴったりじゃなくて、数十人だったり百数十人だったりのアバウトな人数だったらしいし…
イエスは百人隊の兵士も百卒長も殺していない。
そもそもイエスが人間を殺したか?
NO。イエスは人を殺さない。
だよな。
そもそも君は「マチルダ」が殺したものを「人間」だと決めつけてしまっている。
トム・ウェイツは「She killed about a hundred」としか言っていない。
なるほど。確かに「約百を殺した」だな。
だけど「約百」って何のことだろう?
よく考えてみるんだ。
6番には5番と同様にペトロが登場する。
トム・ウェイツが、カール・ブロッホの『磔刑図』には描かれていないペトロを登場させるのは何のためかな?
『Crucifixion』
Carl Heinrich Bloch
『トム・トラバーツ・ブルース』のサビの元ネタ、オーストラリア国民の愛唱歌『ワルチング・マチルダ』のため…
その通り。
トム・ウェイツは5番で『Waltzing Matilda』の元ネタになっている『Acts』こと『使徒言行録(使徒行伝)』の「ペトロのヴィジョン」を題材にした。
水辺にある家の屋上にいた腹ペコのペトロの前に「たくさんの生き物が入った引き網」が現れ、主の声が「これらを屠りなさい」と言う…
トム・ウェイツはこの奇妙な夢を別の形に言い換えたんだ。
『Peter's Vision(ペテロのビジョン)』
それじゃあ6番も、この場面を歌っているということか?
5番は『使徒言行録』の「ペトロのヴィジョン」だったが、6番は別の場面を題材にしたもの。
実は「ペトロのヴィジョン」そっくりの場面が、他にも存在する。
というか、そちらの場面をアレンジして「ペトロのヴィジョン」が出来上がったのだ。
えっ?
そこではイエスが「ある生き物」を殺す…
その数は「約百」である「百五十三」…
あっ!
それって、もしかして『ヨハネによる福音書』のラストシーン…
その通り。
『Gospel of John』の最終章「ガリラヤの海に現れたキリスト」だ。
畜生。なぜ気が付かなかったんだ…
あの場面は、まさに「sailors」じゃないか…
21:3 シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。
そしてこう続く。
21:4 夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。
21:6 すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。
21:7 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
水辺で腹を空かしている「放浪者」…
突然現れた、網がいっぱいになるほどの「生き物」…
そして、水に飛び込む「逃亡者」…
まさに『ワルチング・マチルダ』のストーリーだ…
トム・ウェイツの言う「She killed about a hundred」は、この部分だな。
21:11 シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。
21:12 イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
21:13 イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
そして主とペトロによる同じ内容のやり取りが三度繰り返される…
21:15 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
21:16 またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
21:17 イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい」。
大事なことは何度も言わなければならない。
だから『使徒言行録』の「ペトロのヴィジョン」でも、主とペトロのやり取りは三度繰り返されたのだ。
10:13 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。
10:14 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、何一つ食べたことがありません」。
10:15 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。
10:16 こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。
そして6番の最後のフレーズ「And she follows wherever you may go」とは…
この後にイエスがペトロに告げた、この部分…
21:18 よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
21:19 これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
その通り。
この預言のおかげで、ペトロは最後の最後まで「逃亡者」という役割を演じることになる。
「お前がどこへ行こうと付いて来る」とは、ペトロの人生最後の逃亡シーン…
弾圧を恐れてローマから逃亡したペトロが、アッピア街道でイエスに遭遇してしまう出来事を指しているわけだ。
『Domine quo vadis?(主よ、どこへ行かれるのですか?)』
Annibale Carracci(アンニバーレ・カラッチ)
そして、いよいよオーラス、7番だ…
トム・ウェイツは、この長い物語の最後を、こう切り出した。
And it's a battered old suitcase
into a hotel someplace,
And a wound that will never heal
それは強く打たれた古いスーツケース
ホテルかどこかの中へ
傷は決して治ることはないだろう
「ホテルかどこかの中へ」とは、イエスが埋葬された洞穴の石室のことだな。
そしてイエスの「傷」は消えることなく復活後も残ったままだった。
その通り。
傷が完全に治ってしまっては『ヨハネによる福音書』に描かれる「疑り深いトム」こと使徒トマスのこのシーンが生まれなくなってしまう。
20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。
20:28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。
20:29 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。
『The Doubting Thomas』
Carl Heinrich Bloch
最初の「強く打たれた古いスーツケース」は何のことだろう?
それはもちろん、その次の「hotel someplace」、つまりイエスが埋葬された墓に関することだ。
「old suitcase」は同じ「何かを収納するもの」だからニュアンス的にわかるけど、なぜ「battered(強く打たれた)」なんて言葉を使う必要が?
まるで野球のバッターに思いっきり打たれたみたいな言い回しじゃんか…
仕方ないだろう。そう見えるんだから。
あれはどう見てもバッターが「ボール」を強く打った後の状態だ。
巨大で重い「ボール」を、信じられない強さで…
は?
これのことだよ。
三日目の朝、マグダラのマリアがイエスの墓を見に行ったら動かされていた「巨大な丸い石」…
あっ… やられた…
もうあとは簡単だな。
No prima donna, the perfume is on
An old shirt that is stained
with blood and whiskey
プリマドンナ、つまり主役の踊り子はいない…
これは墓から消えたイエスのこと…
アルバム『Small Change』のジャケットは、カール・ブロッホの『磔刑図』を模したもので、踊り子はイエスを表していた…
その通り。
そして「踊り子」は居なくなっていたが、「the perfume is on」つまり「香り」は残っていた。
その「香り」とは、墓の中に残されていた亜麻布の匂いだ。
ニコデモがゴルゴダの丘に持って来てイエスの遺体を包んだ布には、強い香りを発する没薬や香油が大量に染み込んでいた…
そして最後にトム・ウェイツは、「プリマドンナ」が脱ぎ捨て、「パフューム」の元になっていた「古い下着」を、こう表現する。
An old shirt that is stained with blood and whiskey
そこには血とウィスキーの染みが付いていた…
つまり「赤茶けた色の染み」が…
これはまさしくイエスの遺体を包んでいたとされる亜麻布「聖骸布」のこと…
完璧だ。
そして歌のフィナーレ、締めくくりの挨拶が語られる。
はたしてこれは誰に向けられたものだろうか?
And goodnight to the street sweepers,
the night watchmen flame keepers
And goodnight to Mathilda, too
カール・ブロッホの『磔刑図』から始まった歌だから、最後もあの絵のことに違いない…
もしも僕がトム・ウェイツなら、インスピレーションを与えてくれた作品に感謝の意を込めて、お別れの挨拶をするだろうから…
それでは最初に「おやすみ」と語り掛けられる「the street sweepers」とは?
「sweepers」は「清掃人たち」…
そして「street」は「ロード」だから「Lord」…
つまり「the street sweepers」とは「主の体を拭き清めた人たち」という意味…
これはニコデモとアリマタヤのヨセフのことだ。
それでは次に「おやすみ」と語り掛けられる「the night watchmen flame keepers」は?
普通に訳すと「夜にガス燈の灯りをつけて回る人たち」だけど、「flame keepers」には「大切なものを受け継ぐ者・守り続ける者」という意味がある。
つまり「the night watchmen flame keepers」とは「無明の闇の中でイエスが灯した炎を守り続けた者」という意味…
これは、数多くいた弟子たちの中で、逃げずにイエスの最期を見届けた、聖母マリア、マグダラのマリア、そして福音記者ヨハネのことだ。
そして最後の「おやすみ」は?
And goodnight to Mathilda, too…
「マチルダ」とは「十字架のキリスト像」のこと…
3回にわけてトム・ウェイツは、カール・ブロッホの『磔刑図』に描かれている全ての人に、おやすみと言った…
ブラボー。これを傑作と言わずして何と言おう。
間違いなく『トム・トラバーツ・ブルース』は、歴史に名を残すマスターピースだ。
本当に最初から最後までカール・ブロッホの『磔刑図』だったな…
これがプリンスに影響を与え、名曲『パープル・レイン』が誕生することになるのか…
その通り。まだ途中に色々とあるのだが…
それにしても、よくもまあトム・ウェイツはデンマークのコペンハーゲンでこんなアイデアを思いついたもんだな。
もしもカール・ブロッホの絵があるフレデリクスボー城の国立歴史美術館に行かなかったら、この名曲は生まれていなかったわけだろう?
いや。トム・ウェイツがカール・ブロッホの絵を「見に行かない」なんてことは起こり得なかった。
見に行くことは決まっていたのだ。
は?
実を言うとトム・ウェイツは、最初から行くつもりだったんだよ…
ヨーロッパ・ツアーの際にデンマークを訪れたら、カール・ブロッホの絵を見に…
つまり、ヨーロッパへ渡る前から、絵を見に行こうと思っていたというわけか?
その通り。決して「たまたま」訪れたわけじゃない。
トム・ウェイツには、カール・ブロッホの絵を見に行く「理由」があったんだ。
ちょっと待ってくれよクリス君…
いったいどういうことなんだ?
聞きたいか?
当たり前だろう。気になるじゃないか。
少々長くなるぞ。それでもいいか?
ああ。上等だ。
こっちはもう、とっくに覚悟は出来ている。
ふふふ。それでは解説しようか…
それはトム・ウェイツがヨーロッパ・ツアーを行った年の前年、1975年のことだった…
つづく
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