「LIFE ON MARS?⑤~愚か者さえ愛を学ぶ~後篇」『深読み LIFE OF PI(ライフ・オブ・パイ)& 読みたいことを、書けばいい。』
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2019年9月19日深夜
スナックふかよみ
それではCメロを深読みしていきましょう…
その前に、もういちど、歌を聴いたほうがいいのでは?
あ、そうですね。
わたしが歌っても構いませんか?
ええ、しげしげさん。もちろん。
では深代ママ、カラオケよろしく。
え? ボツになって発売されなかった曲がカラオケに入ってるの?
曲はフランク・シナトラの『マイ・ウェイ』と全く同じ。
歌詞が違うだけだから。
あ、そっか。
じゃあセットするね…
はい、どうぞ。
それでは歌います。
デヴィッド・ボウイの『Even a fool learns to love』…
やるじゃない、しげしげ。
Cメロは、この歌で最も盛り上がる場所。
主人公の「わたし」の感情の高まりはMAXになる。
まるで天国にいるかのようだと…
But oh, how I dreamed, a marvelous dream
Where all of the heavens or so it had seemed
十字架上で意識が朦朧としているイエスですね。
隣の十字架で磔になっていたディスマスにも「今あなたは楽園にいる」と言っていました。
そして「わたし」は、天から送られる割れんばかりの喝采を聴く。
With thunderous applause looked down from above
On a clown and an angel so much in love
ずっと返事をしてくれなかった憧れの「天の父」に、やっと認めてもらえたっていう歓喜で満たされているのね。
そしてこう続く。
I'll stay with my dream, it takes such a dream
And even a fool learns to love
ようやく「わたし」は「my dream」と「stay with」できるだろうと安堵するんだ…
イエスは「最後の晩餐」で、こう言いました。
わたしの中に父がいて、父の中にわたしがいる…
わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである…
デヴィッド・ボウイは、この「帰還の喜び」を歌詞にしたのですね。
そして最後の3番…
意識朦朧とした「わたし」が幻覚を見ている間に、現実世界で起きていた物語…
え?
3番は「それは忌々しい日だった」という言葉で始まる…
That day, that hateful day
いきなり不穏ね。
その「忌々しさ」の原因は…
The joke turned stale, the game was over
このジョークは腐りかけたようなオチに向かう
ゲームは終わったのだ
どういうこと?
歌詞を見ていけばわかるよ。
まず1番のように、またもや第三者から言葉が投げかけられる…
Those spiteful words
"Oh, go away. Who wants to play? "
"It's getting late now."
意地の悪い言葉の数々…
「さっさと終わらせろ。これ以上はごめんだ」
「もうこんな時間じゃないか」
これはイエスの十字架刑を見物していたユダヤ人たち…
日没から神聖なる祝祭日「過越し」が始まるので、「穢れ」である死体は早く片付けなければならない…
だからローマ人を急かして公開処刑を終わらせました…
『ヨハネによる福音書』
19:31 さてユダヤ人たちは、その日が準備の日であったので、安息日に死体を十字架の上に残しておくまいと、(特にその安息日は大事な日であったから)、ピラトに願って、足を折った上で、死体を取りおろすことにした。
「わたし」の世界は、「覆い隠していたもの」が剥ぎ取られ、傷だらけの心が剥き出しになった…
My world, my funny world
Had lost it's mask and shown a broken heart
そして「腐りかけたオチ」がやって来る…
A time, a sour time
When even a fool learns to love
酸っぱい時間?
ああっ!
酸っぱい葡萄酒よ!
19:29 そこに、酢いぶどう酒がいっぱい入れてある器がおいてあったので、人々は、このぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの茎に結びつけて、イエスの口もとにさし出した。
19:30 すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた。
若いのに見事よね、デヴィッド・ボウイ…
「最後の晩餐」から「十字架での死」までの物語を、歌詞の中に落とし込んだ…
誰かさんの歌みたいに「ロスタイム」は無かったけど…
ロスタイム? なにそれ?
米津玄師の『LOSER』だよ。
『Even a fool learns to love』と同じように「最後の晩餐」から「十字架での死」までを歌詞に落とし込んでいる。
違うところは「ロスタイム」の存在を歌っているところ。
イエスの物語におけるロスタイムといえば…
復活後の時間…
ホントだ。確かにそうね…
だけどなぜデヴィッド・ボウイは米津玄師みたいに「ロスタイム」を入れなかったの?
イエスの死から本当のクライマックスが始まるのに。
フランス語の原曲と「棲み分け」をしたんだと思う。
棲み分け?
『Even a fool learns to love』は、「最後の晩餐」から始まって「イエスが十字架から降ろされる」ところで終わる。
そして『Comme d'habitude』は、「十字架から降ろされたイエスが亜麻布に包まれて石棺に埋葬される」ところから始まって「復活したイエスが最後にガリラヤ湖に現れペトロに愛を確かめる」ところで終わる。
つまりこの2つの歌を合わせると「イエスの死と復活の物語」が完成するようになってるんだ。
なるほど…
クリエイター同士にしかわからないような形で、原曲に敬意を表したというわけか…
ずいぶんと手の込んだメッセージよね…
でもそれが届いたどうかはわからない。
え?
だって『Even a fool learns to love』は、日の目を見ることなくお蔵入りしちゃったから…
あ、そっか。
『マイ・ウェイ』が出ちゃったせいで、ボウイのはボツになったんだっけ…
残念だなあ。
せっかく『Even a fool learns to love』は面白かったのに。
でもね…
やっぱり『MY WAY』のほうが上。
は?
たとえ『Even a fool learns to love』が誰か他の歌手に歌われて世に出たとしても、『マイ・ウェイ』には敵わなかった…
それくらい『マイ・ウェイ』の完成度は高い…
『Even a fool learns to love』よりも、ダジャレの切れもギャグセンスも上だ…
ダジャレ? ギャグセンス?
あんなオヤジの独り語りみたいな歌がですか?
まるで卒業式の来賓祝辞みたいな内容ですよ?
ふふふ。大きく誤解してるわ。
『MY WAY』は、最高の食材を、極上のユーモアで味付けした芸術品。
だからデヴィッド・ボウイは悔しがったの。
あのレコードが売れまくったから悔しかったんじゃなくて、たぶんレベルの高さに嫉妬したのよね。
その悔しさをバネに芸を磨いて、『LIFE ON MARS?』を書いたってわけ。
そうなの?
ええ。おそらく。
というか、間違いないでしょう。
どういうこと?
教えて岡江クン!
では話すとしようか…
名曲『マイ・ウェイ』の本当の物語を…
つづく
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