「オペラレッスンで何があったのか?」『バベットの晩餐会』徹底解説:第三章後篇
さて、イサク・ディーネセン『BABETTE'S FEAST(バベットの晩餐会)』第三章「PHILIPPA'S LOVER」に隠された裏の物語「裏筋」を解説しようか。
いや…
「裏筋」というより、こちらがある意味「本筋」なのかもしれないな…
本作における作者イサク・ディーネセンの筆先は「見えない筋をいかに描くか」ということに力が置かれているように思える…
裏筋マニアか。
変な意味ちゃうで。
でもオペラ歌手パパンさんでも、キスまでしか出来なかったんだよね。
せやな。百戦錬磨のラテン系おやじパパンをもってしてもキス止まり…
さぞかし無念やったに違いない…
ここはひとつ「緊急やれたかも委員会」でパパンの無念を晴らさんとアカンな…
オイラも付き合わなきゃいけないの?
当たり前田のクラッカーや!なにカマトトぶっとんねん!
っちゅうことで、ジャッジと行こか!
「やれた」か「やれんかった」か、どっちや!?
おっさん、ノリ悪いやんけ!
「やれた」か「やれんかった」か、どっちやねん!
やれやれ、しょうがないな…
こういう下品なノリは、あまり好きじゃないんだけどね…
なぬ!?
「やれたかも」じゃないんだよ…
「やっちゃった」んだよね、この二人…
ま、マジかよ!?
隣の部屋で怖い父と心配症の姉が聞いてるのに!?
映画ではそうなってるけど、原作である小説では違うんだ…
実は、父と姉が聞いていたレッスンの声は、途中から録音されたものに代わっていたんだ…
父と姉は、歌声が聴こえてるから「レッスンは続いている」と思い込んでしまったんだよね…
そうしてパパンはフィリッパを密室の中で手籠めにした…
それ『獄門島』の「一つ家(ひとつや)」だろ!
バレたか(笑)
冗談はこれくらいにして…
実はイサク・ディーネセンの小説では、父と姉は「レッスンを隣の部屋で聞いていた」なんて一言も書かれていないんだ…
そもそもレッスンの時に同じ建物の中に居たかどうかすらも言及されていないんだね…
つまり父と姉は、フィリッパとパパンが「どんなレッスン」をしていたのか知らないんだよね…
ええ、そうなの!?
完全に二人っきりだったんだ…
じゃあ何が起きてもオカシクないってことか…
ただでさえ旅でハジケてる好色なラテン系フランス男と二人っきりだもんな…
フランス人には失礼だけど、そういうこと。
だってレッスンの題材はモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』第二幕「誘惑のデュエット」だよ。
また随分とふてぶてしいツェルリーナやな…
清楚で可憐なフィリッパとは大違いや。
でもね、オペラ『ドン・ジョヴァンニ』における花嫁ツェルリーナって「清廉な乙女」というタイプじゃないんだよ…
新郎より「やり手」で、かなりの「好き者」なんだよね。
なんてったって結婚祝いのパーティーを途中で抜け出してドン・ジョヴァンニとエッチしちゃいそうになるくらいの娘だ。
このデュエットは「あっちでこっそりヤリましょう」という歌なんだよ。
ええ~!?マジで!?
よりによってこんな破廉恥な歌を練習曲に選んでる時点で、パパンの魂胆はわかるというものだ。
敬虔なクリスチャンの処女であるフィリッパにこんな内容の歌を歌わせるなんて、現代ならセクハラ以外の何物でもないし、どう考えても最初からヤル気満々だったとしか思えない。
まあ作者のイサク・ディーネセンもそのつもりで選曲しているし、フィリッパの父も「暗黙の了解」状態なんだけど(笑)
教団の「後継者作り」のためか…
その通り。
前にもこんな話をしたよね。
恋愛を知らない箱入り娘を何とか男とくっつけさせようとする父親の話…
何だったっけ?
シェイクスピアの『テンペスト』だ。
せやせや。映画『LIFE』の元ネタや。
『バベットの晩餐会』同様、外世界とは隔絶した絶海の孤島に娘と暮らす前ミラノ大公のプロスペローは、嵐で島に漂着したナポリ王子ファーディナントと娘ミランダをくっつけさせようとするんだったね…
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