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自分が救われたかったから哲学に触れてみた。あなた達の思想に私も乗せてくれ

『不安は自由のめまいだ』


デンマークの哲学者、キルケゴールは「人は自由過ぎるとどこまでも行けることに不安になる」と言いました。

自分で仕事を切り盛りしていく中で、会社員時代に比べたら自由な時間が増えて幸せなはずなのにどうしても拭えないこの不安は何故だろうと悩んでいる時に出会った言葉です。
この言葉を知った時に自分の心情をいとも簡単に言い当てられたことに衝撃を受けました。


フランスの哲学者、サルトルは「人間は自由の刑に処されている」と言いました。

人間は己や生きることの意味とは何かを考える存在として世界に投げ出されました。神なき世界で自由と向き合うことは人間にとって非常に重いことであると。神なき世界で私たちがどう生きるか、どう選択するのかの責任が被さってくることを意味します。人間は自分達だけで自由と責任に立ち向かっていかないといけない、これが「自由の刑」だとサルトルは主張しました。

自由を求めつつも、完璧な自由を手に入れると不安になってしまう。
完璧な自由ではなくある程度の時間や空間、道筋が拘束されている方が幸せと感じてしまうこともあります。何かを手に入れれば不安は消えるのかと思えばそうでは無く、また別の不安と対峙するようになるのです。

この終わりのない不安との共存に参ってしまい、私はどうしたものかと悩んでおりました。
そしてふと気付いたのです。
昔の人も同じように悩んだのでは?そしてその解決策を導き出した人もいるのでは?


「こんな自分ですら悩むのだから、昔の人も一度は悩んだことだろう。そうだ、世界の哲学者たちはどう考えていたのだろう。彼らが考え、辿り着いた思考の先を知れば、こんな不毛な悩みを考えずとよくなるかもしれない。世界の哲学について触れよう」


そう考えた私は、倫理、哲学、思想について調べることにしました。
自分で答えを出せないもの、悩んでしまうものには、既に悩んで答えを出した人の意見の背中に乗せてもらえば良いのです。

この記事は、「倫理や哲学について何も分からないよ!」という過去の私に向けて「こういう考え方があるから生きる上での参考にしたらどうかな」とアドバイスしていくイメージで書きました。
倫理や哲学に触れてみたい方が少しでも自分の考えを見つけられたり気付きになれば嬉しいです。

私が感じる不安は私だけが感じるものではない。同じような悩みを持っている人がいるはずだ。

世界の哲学者さん達、私は生きることに悩みました。どうしたら明るく生きていくことができますか。
あなた達の思想に私も乗せてくれ。


哲学者を知る前に、まずは哲学についておさらい

哲学者の思想に触れる前に、まずは哲学の簡単な歴史をおさらいしていきましょう。

日本語の「哲学」の元になったのは「philosophia(フィロソフィア)」という古代ギリシャ語です。philo(フィロ)は「愛する」、sophia(ソフィア)は「知」を意味します。哲学は難しい学問と思われがちですが、そもそもの思想は「知を愛すること」。何かを知りたいと思い考えること、これを哲学と言うのです。

では、哲学と倫理の違いとは何でしょうか。
哲学とは「人間の存在」「世界や人生の根本的な原理」についての研究を行い自分なりの答えを導いていくこと。倫理とは主に道徳心や善悪、人としてのあり方や人としての正しい行動、規範について学ぶことです。
哲学と倫理、完璧な棲み分けの判断はなかなか難しいものです。ここでは倫理よりは馴染みの深い「哲学」の言葉を使って展開していきたいと思います。

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ざっくり哲学史(あまり当てならない)
古代ギリシャ(紀元前6〜紀元前3世紀頃)「すべての始まり偉大な3師弟」 
中世(2世紀〜13世紀頃)「ギリシャ哲学とキリスト教の融合」
近世(16世紀〜18世紀頃)「神からの解放 神学から自然科学へ」
近代(18〜19世紀頃)「近代化が生んだドイツ観念論」
近現代(19世紀末〜20世紀)「神は死んだ 神から社会へ、そして個へ」
現代(21世紀〜現在)「相対主義・多様性で混迷する社会」


哲学史を大まかに捉えていこうとすると一言で言えば「世界や人間の不思議を考え、時代と共に解き明かしていく歴史」と言えるのではないでしょうか。

古代ギリシャでは「そもそもこの世界は何か?神とは?自然とは?」と人々があらゆるものを不思議に思い、思考実験が繰り広げられていくことから始まります。
「何故?どうして?」と子供が親に質問するかのように、古代ギリシャの哲学者たちも世界へ質問を投げかけていきます。自分の答えを発表し、議論が始まり、また別の答えを発表する。こうして学問の基礎が作られ、数学や自然科学につながる道が作られていきました。

時が流れ、世界に宗教が生まれます。
そして自然科学が発展するうちに自然や世界の謎が徐々に解明されていきました。何かが解明されるごとに哲学の思考の対象が「世界や神、自然」から「人の心、人間、私とは」などと移り変わっていきました。

現在の哲学は「思想の研究」から医学や心理学、生物学、社会学などと派生していき、生命倫理など、現代社会が抱える問題を考える側面が強まっていると感じます。
テクノロジーの発展と人としての倫理観をどう天秤にかけていくか。つまり今は「世界や神」などの抽象的なものから「テクノロジーを利用する上での人としての善は何か」などに変わってきている印象です。
現代の哲学は一言では言い表せない程、多様性の富んだ学問になっています。


哲学について触れてきた中で、私が個人的に「参考になった」「この人の思想や生き方には憧れる」と感じた哲学者とその思想をご紹介します。

哲学史の視点ではさほどキーパーソンではない人もいますが、あくまでも個人的に感じたものですので、哲学についてより詳細に知りたい方は是非一度哲学の本を読んでみてください。(一番最後に参考文献を載せておきます)


偉大な思想はやはりどこか抜きん出たものを感じます。


ソクラテス

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「哲学とは?」と問われるとすぐに連想するのが古代ギリシャでしょう。そしてソクラテスは古代ギリシャを代表する偉大な哲学者です。

私が彼が好きなのはとても純粋に「知を愛する人」だと感じたからです。哲学は「philosophia(知を愛する)」学問です。ソクラテスはそんなphilosophiaに純粋に最も近い存在だと思います。

彼が目指した生き方は「善く生きる」こと。
善く生きるためには魂を善にすること、魂を善にするには善について知識を持つことが大事です。善についてよく知れば、行動は必然的に善になる。善なる魂に導かれて生きていくことが「善く生きる」こととソクラテスは説きました。

そして、ソクラテスで有名なのが「無知の知」です。


ある時、ソクラテスの友人がデルフォイという神殿で「ソクラテス以上の賢人はいない」と神の神託を受けます。「デルフォイの神託」です。

しかしソクラテスはその神託は間違っていると主張しました。何故なら彼の中で一番の賢人は神そのものだからです。しかし神と対話することは難しい、そこでソクラテスは神の代わりに「賢人であろう人達」、アテネ中の政治家や作家、ソフィスト(知恵のある弁論術に長けた人のこと)達の元に渡り歩き彼らと問答や対話を重ねます。自分は賢人ではないということを証明しようと思ったのです。

そうして対話を重ねることでソクラテスはあることに気が付きました。
「賢人だと思われている彼らは、善や普遍的な真理を知らずにただ自分が『知っている』と思い込んでいるだけに過ぎない。私も無知だが、私は自分が何も知らないことを誰よりも知っている」

早い話が、「この人達は賢そうに見えるけど知らないことも沢山あるよね。でもそれを認めようとしないね。私も知らないことが多いけれど、私は私が何も知らないことをよく知っている」と分かったのです。

これが「無知の知」です。
ソクラテスは無知自体を否定したり、「私はこの人よりまだマシ」といったことを主張したいのではなく、あくまで「私もあなたもまだまだ無知であることに気付きましょう。そしてそこから善く生きる為に考えましょう」と気付きを諭すことでした。
その後ソクラテスは、アテネ市民が善く生きられるように無知に気づかせる手助けをします。

しかし、ソクラテスによって公衆の面前で無知を曝け出されたソフィスト達は彼を恨みます。その恨みからソクラテスは不当な裁判にかけられ、死刑を宣告されてしまいます。
彼の友人がソクラテスに脱獄を勧めるも、「不正な裁判に、脱獄と言う不正で報いてはいけない」と断りました。脱獄は彼の目指す「善く生きる」に反する行為です。

ソクラテスは「死が悪で怖いもの」と決めつけるのも無知であるからであり、無知の知に至った人間なら「死が悪か怖いかなんて分からない。本当は最大の幸福かもしれない」とも言いました。
結局彼は裁判の判決通りに毒薬を静かに飲んで死んでいきました。
最後まで「善く生きる」を貫いたソクラテスでした。


「人間は物事を善く知ることを愛し、世の中の本当のことを捉えて生きていかなければいけない」これはソクラテスの他、プラトンやアリストテレスなど古代ギリシャの哲学者たちが一番大事にしたことでした。この教えは現代でも大切にしていきたいものだと感じています。

最後まで「善く生きる」ことを貫いたソクラテスですが、彼の一番の素晴らしさは心の豊さと知識を求める探究心です。知識については学問の父と呼ばれるアリストテレスもですが、ソクラテスの場合は「心の豊さはどうか」と問いかけてくる哲学者だと感じます。

世界にとって、現代社会にとって、私にとって「善く生きる」とは「善」とはどんなものだろう?
何かに悩んだ時に「ソクラテスならどう考えるかなぁ」とふと立ち止まったりします。心が黒く沈んでしまう時には、あまり深く考えすぎずにソクラテスの心の豊さと探究心を思い出して落ち着かせています。

ちなみにソクラテスは知性も優れた人でしたが、並外れた体力もお持ちでした。めっちゃマッチョ。「善く生きる」の中には故郷の為にも戦うことも含まれていた。戦争に3回行ってすごい戦果をあげて帰ってきてます。信念の強さは筋肉も関係していたかもしれない。すごいよソクラテスじいちゃん。


ゴータマ=シッダールタ(釈迦・ブッダ)

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ゴータマ=シッダールタは仏教の創始者です。

彼の名前が釈迦やブッダなど複数の名前があるのは、釈迦は彼がシャカ族という一族の王子だったことから、ブッダは「目覚めた者」「真理、本質、実相を悟った人という意味ですが「釈迦如来」としてゴータマ=シッダールタのことを指すことが多いようです。
(以下ゴータマのことをブッダと言います)


まず仏教とは、キリスト教、イスラーム教と並んで世界三大宗教として数えられます。ただ私が仏教を信仰しているというよりも、「ブッダの考え方」に対して敬意を持っています。ブッダだけを考えると宗教というよりも哲学に近いと感じます。

私がブッダを好きなのは「神秘的なことや奇跡を語らない」からです。
ブッダの教えは非常に現実的でシンプルです。その内容は「苦しみの原因とその解決法」それのみです。恐ろしい程にシンプル。なるほど。


ブッダは元々シャカ族という一族の王子として生まれました。生まれた時から身分が決まっていた当時では、ブッダは生まれながらの勝ち組だったわけです。しかしお城から出たことの無いブッダはある時従者を連れて外に出かけます。

外には死にそうな老人や病にうなされている人を見かけて彼は衝撃を受けます。「彼らと自分の違いは何か?」と考え始めました。
そしてたまたま外で見かけた修行僧に興味を持ち、自身も出家をすることを決意します。出家すること、それは即ち勝ち組であった地位や財産、家族をも捨てて修行僧として修行を始めることです。周りからは反対されますが、ブッダの心は揺るぎませんでした。


ブッダの恐ろしいところは「人が経験できる苦しみを全て体験した人であろう」ということです。
当時の修行僧の修行には大きく2種類あり、瞑想と苦行です。
瞑想を一通りクリアしたブッダは苦行の修行を始めますが、その修行がとことんストイック。とにかく体を痛めつけて悟りを開こうとします。
1日に食べる食事をお米一粒とか、一歩間違えれば死ぬ直前まで自分を追い込みました。その苦行を6年間続けたのです。いやいや死ぬ死ぬマジかブッダ。

しかし6年間苦行を続けても自分が納得する教えが分かりませんでした。ふとブッダは菩提樹という大きな木の元に座り、目を閉じて瞑想します。そこで初めて彼は「苦しみから解放される方法」として悟りを開くことに成功したのです。

「この世のあらゆるものは絶えず変化し(無常)、不変な体を持つものは無い(無我)。これが真理なのに私たちは事物に執着(煩悩)を持ってしまう。そのために真理が見えなくなってしまう(無明)。だから事物が失われたときに苦しみが増す。
ならば真理を持って執着(煩悩)を捨てれば、心の安らぎ(涅槃)が実現する」

つまり、「この世に永遠なんてものは無い。それに拘るから苦しみが生まれる。まずは執着である煩悩を捨てろ」と言っているのです。
なるほど、実にシンプルだ。


なんだ、そんなことかよそんなの知ってるよと思う方がいるかもしれません。
私がブッダが好きなのは前述した通り「神秘的なことや奇跡を語らない」ところです。

「捨てろ、以上」とドシンプルな教え。
しかしこの教え、悟りを開くのにブッダはこの世の苦しみを誰よりも多く経験して発言しています。この説得力が好きなんです。

私が何かに苦しんだり悩んだりしても「まぁ...でも私よりブッダの方が色々苦しみを知ってるしな。あの人が言うんだったらそうだろうな」と思える度量ですよ。
こんなんあかんわ、説得力半端ないやん。

人間も永遠ではなく病気や老い、死が待ち受けます。これが真理です。
老いや死を受け入れて心に安らぎを持ちなさいと言っているブッダの教えは、ソクラテスの「死が悪で怖いものと決めつけるのも無知であるだけかもしれない」と言っているのと何だか通づるところがあります。

ブッダの教えは奇跡などは語らずに現実的で、良い意味で夢をみさせてくれません。私はその清々しさに好感を持てるのです。


現在日本で信仰されている仏教はブッダの死後、弟子達が作り上げていった大乗仏教であり、ブッダの考えにいろいろとプラスされています。
私自身は「仏教」という宗教よりもあくまでも純粋にブッダの教えが好きなので、仏教が好きかと問われると微妙かもしれません。
ただキリスト教やイスラーム教よりは仏教の教えの方が一番しっくりくる宗教だと感じています。般若心経を現代語訳したものを読んでみると、中々核心のついた教えでもあり勉強になります。興味ある方はぜひ一度調べてみてください。色即是空!


ちなみにブッダの苦しみに対する行動と考え方には敬意を払いますが、捨てられた家族側からみるとブッダはどないやねんみたいな男です。
出家したいのに息子が出来ちゃって中々出家ができない苛立ちからなのか、自分の息子に「ラーフラ」と名付けます。諸説ありますがこの名前の意味が「妨げになるもの、障碍(しょうがい)」の意味があったり。
いやいや自分の息子になんちゅう名前をつけるんや。マジかよブッダ。しかしそんなその息子は後々ブッダの弟子になります。...マジかよ。


ニーチェ

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「神は死んだ。」

ニーチェは哲学者の中で一番名の知れた哲学者なのではないでしょうか。よく自己啓発本やら漫画のネタにされているのを見かけます。

ニーチェの教えで有名なのが「超人(ちょうじん)」です。
簡単に言えば「神ではなく、自分で自分を肯定しろ。神に代わる理想像には自分がなれば良いのだ」というなんともマッチョな理論です。なるほど、なんだか現代的で分かりやすい。


ニーチェの考えを理解するのにキーワードとなるのが「ニヒリズム(価値否定)」と「ルサンチマン(怨恨・反感)」です。

ニーチェが言う「神は死んだ」は何を示すのでしょうか。
それは簡単に言えばキリスト教への解釈です。

まずキリスト教の生まれの発端となるのがユダヤ教です。ユダヤ教とはユダヤ人が奴隷として扱われる自分達の救いとなる絶対的な教えとして存在しました。しかしユダヤ教の守るべき戒律は非常に厳しいものでした。
イエスが広めたキリスト教はユダヤ人だけに限定せず、またそれほど厳しい戒律もない愛の教えとして広まっていきました。

そしてキリスト教の価値観は、ユダヤ教のユダヤ人のルサンチマン(怨恨・反感)を根底に持ちます。「俺たちはずっといじめられてきた。迫害者こそが悪人であり、俺たちは善人だ」といった考え方であり、弱者である自分たちを正当化し強者の否定を含んでいます。
つまりニーチェはキリスト教は始めからニヒリズム(価値否定)を内包していると言いました。

キリスト教が世界に広まった19世紀には、キリスト教はもはや支配の道具ですらなくその存在は完全に形骸化していました。ニーチェは強者を否定する「キリスト教が役割を終えた」と見て、これでニヒリズムが完成したと見たのです。
「キリスト教の役割は終えた!はい解散!」と感じてニーチェは「神は死んだ」と表現したのです。

「神は死んだ」と言う一節は「神も真理もない」という意味になります。
もはや神のような絶対的権威から生きる意味や目的を与えられる時代は終わったのです。その先には生きることの意味や目的を喪失する「ニヒリズム」が待ち受けます。神から目標が与えられないのならば、自分で作るしかない。

現実の世界で嫌なことや辛いことが起きれば多くの人は「ここでは無いどこか楽園へ」と現実逃避をしたいと思います。しかしこれをニーチェは否定します。
彼が提示するのは、辛くて苦しいことが永遠に何度も巡ってくるという概念です。
それは耐え難い苦しみをもたらしますが、それを受け入れて肯定しない限り人生が救われる事は無いというなんともゴリ押しマッチョな思想です。うーんと、結構しんどいぞ?

神が死に、神がいない時代になったからこそ、神の代わりとなる理想像にそれぞれがなるべきだ。何かのために生きるのではなく、生きることそれ自体から充足を得よと説きます。それを具現化できる人間こそが「超人」です。


他にもニーチェは哲学のメインテーマでもあった価値観をボコボコ殴っていきます。

弱者への配慮こそ善だと言っておいて、強者をその地位から引きずり下ろすルサンチマンの実現こそが道徳や倫理の目的であり本質と言うのです。ルサンチマンによる道徳は、人間が創造的に生きる力を失わせるとニーチェの目には映りました。
彼によれば民主主義も弱者を守るルサンチマンのシステムでありキリスト教の代わりであると言うのです。

哲学者からもキリスト教からもボコボコに言われそうな主張を臆することなく放ったニーチェさんです。
自己啓発本にはルサンチマンの部分は置いておいて「神は死んだからお前らはお前らの好きなように生きろよ!」みたいな論調が多いのかもしれませんが、実際にニーチェの主張を覗くと「中々過激なこと言ってんな」と思えます。

それでも「何かのために生きるのではなく、生きることそれ自体から充足を得よ」の教えは全くその通りだと感じており、現代社会を生きる上では心に留めておきたい教えだと感じています。

ちなみに多方面に喧嘩を売ったニーチェさんですが、44歳の時に発狂して精神を病んでしまいます。発狂前に書いたとされる『この人を見よ』には、「私ってすごい!」「私は何故こんな良い本を書くのだろう」とか自画自賛の文章が多かったのだとか。
果たしてニーチェ自身は彼が理想とする「超人」になれたのだろうかとふと思います。

ここで少しコラム的なものを。


学問としての哲学史の中で一番面白いと感じるのはフランスを中心とした欧州大陸の「大陸合理論」とイギリスの「イギリス経験論」が対立してくる辺りです。
「おうおう、哲学の分野でも英仏百年戦争勃発か?」と問いたくなる中、「いや、お前たちの論には互いに欠点がある。こっちの方が良いだろう!」とどーんとコペルニクス的転回をもたらしたドイツの「ドイツ観念論」が登場してきます。この流れが超面白い。


ちなみにここではあまり深く踏み込みませんが、デカルトの登場によって、哲学の自然の見方が変化していきました。

「目的論的自然観(この自然は何の目的で存在しているのだろう?という見方)」から「機械論的自然観(この自然はどのように活用出来るだろう?という見方)」に変化していったことで科学が発展し、産業革命が起こったキッカケと言われています。
そして産業革命が起きたことにより、世界で「環境破壊」という概念も生み出すことになりました。欧州で環境破壊や自然保護に対する意見が活発なのは、環境破壊という概念が生まれたのも欧州だから、という見方も出来るかもしれません。

哲学史から読み取れる歴史の大きな転換点です。

大陸合理論では「我思う、ゆえに我あり」の言葉で有名なデカルト、イギリス経験論ではロックやヒューム、ドイツ観念論ではカントが有名です。
その中でも私は考え方が興味深いと感じたのがドイツ観念論を完成させたヘーゲルです。


ヘーゲル

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ヘーゲルが提唱した「弁証法」はこの世界の誰しもがその恩恵を受けていると言っても過言ではないかと思われます。

哲学から科学が分離しつつあった18世紀頃、産業革命が起き人々の生活は大きく変わりました。紡績機、蒸気汽関などが次々と発明され、化学技術が目覚ましい進歩を遂げていた一方で、工場労働者が急激に増え貧富の差が拡大していきました。この時代に活躍したのがドイツの哲学者のヘーゲルです。

私たち現代人の多くは、科学は今後も発展を続け私たちの生活はもっと便利になっていくだろうと思っているのではないでしょうか。実はこのような世界が進歩し続けているという世界観は歴史が浅く、近代の哲学者たちによって生み出されたと言われています。
そのうちの1人がヘーゲルです。

すごく興味深いですよね。


それまでの人々は主に「世界は変化しない」という伝統的な考えを持っていました。
例えばキリスト教では神が創造したこの世界はいつか終焉の時を迎えるまで前進も後退ももしない安定したものだと考えられていたといいます。
そんな中ヘーゲルは「人類は究極的な目標に向かって進歩し続けている」と唱えました。

歴史家でもあったヘーゲルは人類の社会構造の歴史を振り返って、人類は対立とその解消を繰り返しながら「より良い状態」へと進歩を続けてきたと言う歴史観を主張しました。
この進歩の原動力は人類の「自由を求める心」にあり、進歩を続けた先には人類が「真の自由」を獲得する未来があるとヘーゲルは説きました。

ヘーゲルの哲学で面白いところは「精神の成長を『歴史の発展』として捉える点」だと言えます。時代が流れるにつれて、自由を得られる人々は多くなっていきました。
「世界史は自由の意識の進歩である」ヘーゲルの有名な言葉です。


そしてその自由の進歩とは何か。ここで登場するのが弁証法です。
難しい言葉に聞こえますが、簡単に言えば「精神や物事の成長プロセス」だと考えれば良いです。

「あるもの(テーゼ)」と「別のもの(アンチテーゼ)」が対立し否定し合い両者の良い部分だけが統一される「止揚(アウフヘーベン)」。そして更に「良いもの(ジンテーゼ)」を作り出す。

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思えば「ここは双方良い部分を取って折衷案にしましょう」とビジネスの場ではよく使われる考え方は基を辿ればヘーゲルだったのかもしれません。

人間社会のルールでも「道徳」と「法律」がアウフヘーベンされて「人倫(社会的道徳)」の考えを生んでいきます。
そしてこの人倫も「家族」と「市民社会」がアウフヘーベンされて「国家」と展開していきます。この世の中の仕組みは弁証法によって生み出されたと言っても良いのかもしれません。ヘーゲル、偉大なり。


そして最後に中々強烈なキャラクターの哲学者をご紹介します。「別名:絶望の人(命名私)」、キルケゴールです。


キルケゴール

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ニーチェと同じように自分にとっての真理を探すという考え方を追い求める哲学者がいました。デンマークの哲学者キルケゴールです。年齢で考えればキルケゴールの方がニーチェよりも先輩になります。

キルケゴールは実存主義の祖と言われます。
実存主義とは「現実としての人間の生き方を考える哲学」です。これは社会の中に埋没しそうな個人を救おうとするもので、19世紀の産業革命以降に生まれた哲学と言われています。

実存主義が目指すものは「自分にとっての真理」です。
その為に思想に客観性は無いかもしれません。しかしその人の心理や心情が垣間見れてとても興味深い思想主義だと言えますし、現代の私たちからすれば一番馴染みのある思想かもしれません。

おそらくキルケゴールは誰よりも「絶望」について考えた哲学者ではないかと思います。


彼は熱心なキリスト教徒の父がいました。
その父から「自分は幼い頃に神を呪ったことがある」「妻が死んだ直後に家政婦に手を出してしまった」という罪の告白を受けます。その罰としてキルケゴールも含めた父の子供はイエスが死んだ34歳までに死ぬ運命にあると告げられました。
なんという親父。キルケゴールからすれば全くのとばっちりです。

父の告白を受けてからキルケゴールは「あぁ、私は若くして死ぬのだ」と思い、夢を抱いても死がすべてを奪う絶望からは避けられないと考えるようになりました。
これが「死に至る病=絶望」です。

こうした暗い想いからキルケゴールは婚約者との婚約を解消してしまいます。
ただこれ十中八九親父のせいなのでは…?と考えられずにはいられません。親父お前....。


その後彼は悩み、自分の人生に対する答えをヘーゲルの哲学に求めました。
しかし弁証法が求めるものは客観的真理です。

ヘーゲルの哲学は歴史を傍観者として見た場合の真理探しが有効でしたが、自分がその歴史の中の登場人物となり、自己の抱える矛盾や対立を主体的に解決しないといけないときには役に立ちませんでした。
次にキルケゴールは教会に救いを求めていきますが、腐敗や堕落していた当時の教会も彼を救ってくれることはありませんでした。


その後キルケゴールはヘーゲルの哲学にも教会にも頼らず、ただ神の前に独り立って、自己の運命を自ら切り開いていく事を望んでいきます。ニーチェの「超人」と同じような考え方ですね。

ただキルケゴールは自身の生き方を求めて迷走していきます。


まず彼が選んだのは「美的実存」という生き方でした。
享楽的に生きる、つまり「楽しければなんでもええんや!」みたいな己の欲に従って生きることです。しかしキルケゴールは生真面目でした。この生き方に馴染めずに絶望。

次に選んだのが「倫理的実存」という生き方でした。
「僕、ちゃんと生きるよ!」と今度は真面目に生きようとしました。ソクラテスの「善く生きる」に通ずるものがあるかもしれません。しかし真面目に生きようとすればする程、それができない自分の無力さに絶望。
...なんかもう書いてて可哀想になってきた。


キルケゴールは自分はなんてダメ人間なのだろうと更に絶望しますが、ここであることに気付きます。

「あれ?34歳過ぎてるけど自分は生きてるぞ?」

絶望は「死に至る病」であり、不治の病のはずなのになぜ自分はまだ生きているのか。そうか、これはもう神の恩寵だ、それしか考えられない!

そうして次に選んだ生き方が「宗教的実存」でした。
神の存在を信じ切れば、神が自分にとって必要なものを作ってくださる。自分は絶望から脱却できて主体的に生きられると考えたのです。

哲学者の中でキルケゴールは非常にダメ人間としての描かれ方が多く、フォローしたくてもフォローできないほど絶望について、そして一人ぼっちについて考えた本当のぼっちな人でした。
なんだか、その、彼の生き様を見てると「あ…自分はまだ孤独じゃないかもしれない」と逆に勇気をもらえてしまう、そんなような人です。一番親近感を抱ける哲学者かもしれませんね。私は嫌いじゃないよ、うん。

自分にとっての真理を生涯追い求めたキルケゴール。愚直ながらもひたむきに生きる姿は見習うべき点があると感じます。


哲学に触れようと思ったのは自分が救われたいからでした

哲学に触れようと思ったのは自分が救われたいからでした。

ですが、哲学者の思想や人生について調べていく内に、「いかに彼らが魂を削りながら自分の思想を分析しまとめ、主張していったのか」という苦悩が見えてきました。
魂の重さとも言えるのでしょうか。その魂の熱量に私は圧倒されていきました。


そう感じてある種の清々しさを感じました。


「人ってめんどくさい生き物なんだな」
「あぁ、人生って誰にも分からないんだな」


なんとも身も蓋もない話です。
悩みたくないから救いを求めてきたのに、魂を削りながら自分の思想を主張する哲学者の姿を見て、一周回って「あぁそうか。人なんて、人生なんて誰にも分かんねえわ!」と開き直った自分が居たのです。

哲学史とは時代によって「正解はこれだよ」「これが美しい主張だよ」といかに隙のない主張をされても数年後、数十年後、数百年後には「それは違うよ」と別のものから論破される世界の連続でした。
そしてまた未来の道が切り開かれていくのです。主張を作っては壊し、作っては壊しの連続で、良いもの素晴らしい思想や生き方が後世へと繋がれていきます。


哲学に触れてみて感じたことは、一人の哲学者の思想にそのまま100%同意しても良いし、より抜きで好きな考え方だけを参考にさせてもらっても良いなと思えたことです。
自分が美しいと思えた思想や考えは自分の心を豊かにして人生を照らしてくれるだろうと思います。

哲学史の中で思考の対象が世界や神から人や科学へと変わっていったことのように、「人生は悩み苦しむのではなく、どう変化していくのかを楽しめ。本質・真理はなんであるかを追い求めなさい。そうする姿があれば良いのだ」と教えてもらった気がします。


本質・真理を求める。まさしく「知を愛する」。哲学です。
数百年周り回って、ソクラテスに戻ってきた感じがします。


一周回って開き直れたこの清々しさこそが、私にとっての救いだったのかもしれません。

この記事が誰かの救いを見つけるキッカケになれば嬉しいなと思っています。

※本記事では長くて扱いきれませんでしたが、大陸合理論とイギリス経験論からのドイツ観念論や、社会思想としてのマルクスの社会主義思想、アメリカで生まれるプラグマティズム(実用・道具主義)、そして日本の東洋思想なども大変興味深いので気になる方は気軽に哲学や倫理に触れてみてほしいなと思います。哲学、面白いよ!


そして性懲りもなくまた悩んでしまう未来の私へ。この記事を読んでもう一回開き直ろうね。
さぁ、人生を楽しんでください。


参考文献

私に新しい発見をくれた素晴らしい書籍達です。ありがとうございました。


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