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2024年J2第22節いわきFC-横浜FC「炭鉱と温泉の町で」

試合翌日とある温泉での話。湯本の温泉は基本的に熱くて30分程でのぼせそうになったので上がって脱衣所でのこと。そこに居合わせた4、5人の初老の男性たちは顔見知りのようで世間話をしていたが、突然いわきの試合のことになった。

Aさん「新聞で、「いわき 4発」とあったからお?と思って開いたら、4点決められて負けてたわ。(自虐気味に)ハハハ」
Bさん「相手どこよ。」
Aさん「横浜よ。」
Bさん「横浜強いなぁ。」
Aさん「横浜はJ3から上がってきたチームじゃなく、J1から落ちてきたチームだから違うんだわ。それでもベストメンバーじゃなかったらしいし。」
Bさん「あらー、J1からか。横浜にしたら赤子の手をひねるようなものだったろうに。それでどれだけ入った?」
Aさん「5000超えたってよ。朝から並んでたのもいたみたいよ。」(※注 実際は4796名)
Bさん「ところで、大谷がまた打ったな。」
以下続く

世間話に地元のJ2のクラブが会話に出てくることに驚いた。しかも試合翌日。横浜ではありえない。川崎でも試合後丸子温泉にユニを着たサポーターはいたけど、試合に行ってなくてもクラブの話題が人と人をつなぐっていいなと思いつつ、横浜を持ち上げてもらってどこか締まりのないニヤケ顔で湯本を後にした。


右手にはツルハシを、左手にはレイを

いわきのホームゴール裏には2つの大きな幕が掲げられていた。向かって右手はツルハシを持った男性が、左手はフラを踊る女性が掲げられている。右手の男性は、いわきが元々常磐炭鉱のつまり炭鉱の町であったことを示しているのだろう。大規模な炭田が北茨城から富岡町付近まで広がりここは常磐炭田と呼ばれていた。社会の教科書だと石狩炭田や筑豊炭田が出てくるが、常磐炭田は東京に最も近い大規模な炭田として名を馳せた。
ところが石炭はエネルギー革命の影響で市場から徐々に駆逐され、日本全国の炭田は徐々に閉山を迎えた。常磐炭田も例外ではなく、1976年にはいわき市の炭鉱はすべて閉山し、1985年には常磐炭田の全ての炭鉱が閉山となった。
それと入れ替わるように1966年に誕生したのが、常磐ハワイアンセンター(現:スパリゾートハワイアンズ)だった。映画フラガールの大ヒットはまだ記憶にも新しい。炭鉱閉山で職を失った父とフラを練習する娘。石炭を掘る為に捨てていた大量の湯を、温泉として活用し始め斜陽化したいわきは観光地に生まれ変わった。あの幕には交差した歴史が描かれているのかもしれない。それを考えてしまうほど、横浜にとっては退屈で難しい試合となっていた。

6連勝でいわきに乗り込んできた。ただ、その連勝の通りには簡単には勝たせてくれない。攻守の切り替えの部分で中々相手の裏のスペースを使いきれなかった。カプリーニは前半だけで3パスカットされ、敵陣でボールを奪い返した直後のパスミスで自陣に走らされる嫌な展開が続いた。
村田の左サイドを攻略されかかったが、小川が必死に自陣に戻りピンチを何とか乗り越えた。
ボニフェイスはいわき・棚田や有馬を完全に抑え込み、2列目から飛び出してくる西川や山口もユーリや中村が侵入を許さなかった。嫌なボールの持たれ方こそしたが、徐々に相手の縦パスが入った後のプレスバックで相手が敵陣でボールを回し攻撃の糸口を見つけるようになり、横浜は優位に立ち始めた。J2リーグ最少失点の最強の盾で横浜は相手を殴りつけた。

ラッシュが始まる

前半31分、福森のコーナーキックをボニフェイスが競り、そのこぼれ球にいち早く反応し彼がシュートを放って横浜が先制。今シーズン何度も見たこの形。直接ゴールではないので、多分福森のアシストではないだろうが、彼の左足が絡むゴールはチームのゴール数の半分くらいになるのではないだろうか。

横浜が先制してからいわきはそれまでしていた前線からのプレスをやめて中盤でのボール争いにしたように見えた。前線からプレスをかけて奪えないとスペースを与えてしまう。そのため、前線から激しくいかない分中盤に誘い込む意図があったように感じる。

後半12分頃いわきはロングカウンター発動。カプリーニのシュートはいわきDFに当たり、横浜の選手はハンドを主張するも採ってもらえず、いわきは抗議を尻目にカウンターでいわき・加瀬が持ち上がり、最後は西川がシュートを放つもGK市川が抜群の反応でセーブする。

後半17分にはそれまで再三突破を繰り返していた山根からのクロスに合わせた小川が反応して追加点。小川の3戦連続ゴールも素晴らしいが、山根のクロスの質は5月以降かなりよくなった。この試合でも蹴るバリエーションを中の状況を見て選択している。選択肢が増えるだけでなく、それを実行に出来る。これが福森会の育成力なのか。

後半21分には福森のパスに抜け出したカプリーニが相手DFを翻弄し、いとも容易くゴールを陥れて3点目。ゲームの趨勢は決まった。

後半アディショナルタイムには、村田の移籍後初ゴールも生まれ、0-4と横浜が完封勝利した。ゴールドラッシュならぬゴールラッシュでいわきを一蹴した。

山の神 ハマの神

炭鉱といえば、近くに安全を祈願して神社が設置されていることが多い。それだけ鉱山は大変な労働だった。実際、炭鉱ではガス爆発、落盤、海水流入などで過去たくさんの事故が起きそして多くの方が亡くなっている。いわきでも、湯本山神社がいわき湯本病院の裏手にある。ここの場合は、過去炭鉱ごとに奉られていたものを、閉山などの度にここに集めていたようで完全に閉山となった今はこの神社だけとなっている。

今年横浜の神は市川だ。22節を終えてクリーンシートは12。半分以上の試合で無失点を続けている。もちろん彼だけでなく守備陣全体での結果ではあるが、ゴールに鍵をかける最後の砦はゴールキーパーだ。
いわきにラッシュを許さず閉じた扉に閂を固くかけた。前半いわき・有馬の至近距離からのシュートも片手で弾き出し、カウンターからの西川のシュートも横っ飛びでセーブ、後半38分のいわき・谷村のゴール正面からのシュートもキャッチした。
小川のゴールからいわきはガクッと落ちた感じはあったが、それでもゴールを脅かすシーンは何度もありそれをビッグセーブで撥ね退けた。鉱山に山の神がいるなら、横浜にはハマの神がいた。

歩みを止めない

いわきは水曜にアウェイで長崎と戦い、中2日で横浜戦と日程に恵まれていなかった。そしてその日程に恵まれた横浜。ホームで対戦した時よりキレやスタミナがないと感じたのは、日程の影響はあるだろう。その中でいわきのサポーターは超満員に膨れ上がったスタジアムで最後まで声を出していたから、いわきも点差がついてもテンションを落とさず最後まで食らいついてきた。

試合後いわきのサポーターの方に「長崎を倒してください」と言われる。これがエールなのかはわからないが、私たちとしてもどこかが長崎を止めないといけない。プレーオフ争いを盛り上げるのではなく、私たちが昇格するためだ。
この日、師匠こと増田功作が監督を務める徳島が後半44分まで長崎をリードするも、直接フリーキックを決められて同点に。2020年当時の横浜を率いた下平監督、増田コーチの直接対決でも長崎を止められなかった。

横浜はリーグ戦7連勝。ここ3試合で12点と攻撃陣は好調だが、その最初の1点が中々苦労している。そんな甘くはないのだ。7連勝といえば、横浜が清水を止めた時も7連勝中だった。大量得点、無失点、大勝圧勝と喜べる理由はいくらでもあるが、2位と3位では天と地ほどの差がある。3位清水とは同じ勝ち点。次の試合で順位が入れ替わる可能性もある。振り返って、「7連勝は記録したが」では意味がない。

8月10日長崎戦、9月28日清水戦を意識しがちだが、目の前の秋田戦にフォーカスしないと足をすくわれる。旧炭鉱の町で、安全は何ものにも代えがたいものだと改めて思い知らされたのだった。


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