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E35:「ハイタツ」に行くの

43年前の夏、担任の先生が言った。
「お母さんとお話したよ。源太くんは夏休みの宿題しなくていいからね」
そばで聞いていたクラスメイトが「いいなあ」と呟いた。事情を知らなければ、それはまぁ羨ましいに違いない。

小学校1年生の夏休みは、ほとんどを、とある施設で過ごした。
「甘くて、苦しくて、哀しくて、楽しくて、ほろ苦い」
そんな夏だった…。

ふだんできない歩行訓練を、集中的にしましょう、という病院側の提案だった。病院には「学校」が併設され、手足の不自由な子どもたちが「学校」と「病院」を往復しながら、集団生活を送っていた。

そこに小1のチビ助が、夏休みの期間だけ、限定で放り込まれたのである。

施設には実に様々な「肢体不自由児」がいた。
1日中ベッドの上で過ごす子もいれば、
「お前はレーサーか!」とツッコミたくなるような元気な車椅子の子もいた。

僕のように、危なっかしいながら歩いたり、走ったり出来る子は稀で 、その分みんなのサポート役に回ることも多かった。
ふだんの学校では「お手伝いの必要な困った子」が
ここでは人の役に立つ、元気な源ちゃん。
みんなの輪の中に入るうれしさ、「ごまめ」だの「みそっかす」だの、そういうものとは無縁な世界が、ここには広がっていた。
それが、ただ、ただうれしかった…。


1年生(=最年少)なので、多少意地悪もされたが、うんと離れた中学生の人たちは、ことさら僕をかわいがってくれた。
今にして思えば、しょっちゅうつまらないことで、びいびい泣いていたので、放っておけなかったのかもしれない。夜になると「家に帰りたい」とぐずる僕を、屋上や瓶コーラの自販機に連れ出しては、慰めてくれた。
今、復刻版の瓶コーラを見ると、不意に泣きたくなる。懐かしいのではない、あの頃を思い出すからだ。コーラの冷たさとお兄ちゃんの笑顔。なんであんなに優しかったんだろう。

なぜだろう、いま急にお兄ちゃんの名前を思い出した。
noteは本当に不思議なチカラを持っている。


中学生の女の子にもかわいがってもらった。
とくに中2のゆりちゃん(仮名)は優しかった。
ロフストランド杖に、装具をはめ、
今思えばずいぶん歩きにくかっただろうに
いろんな所へ連れて行ってくれた。

ただ、そんなゆりちゃんも、
1つだけ連れて行ってくれない場所があった。
それが「ハイタツ」だった。

「ねえ、ゆりちゃん、ハイタツって何運ぶの?」
「源ちゃんは知らなくていいの、そんなの」
「ずるいよっ! 僕も連れて行ってよ!」
「ダメよ! ね。すぐ戻ってくるから、待ってて」

そもそも
僕にとって、本来ハイタツは「魅力的」なものだった。
「おかぐちや」で作った豆腐や揚げを、スーパーや飲食店に卸す「配達」

孫の僕がついて行くと、取引店の人は
「あ、源ちゃんえらいね、配達てっだいよんのけ?」
(=手伝ってるのかい?)と言って、お菓子やジュースをくれる。そんな「魅惑的な」世界と直結するものだった。


「看護婦さん」や「技師さん」「先生(今考えれば理学療法士)」も
みんな「ハイタツ」と言っていた(……ような気がする)のに
どうしてだれも実態を教えてくれないのだろう?
小1坊主は腕組みしながら大いに不満だった。
時々こっそりついて行ったが、いつも見事に撒かれるのだった。

いつも優しいゆりちゃんが、ある時間になると
口をへの字に曲げて「ハイタツに行かなきゃ!」と言っていた。
困ったような、怒ったような、そんな横顔だった。

僕はひとりぼっちになると
窓の外の夕焼けを睨みながら
なぜか『ホテル・カリフォルニア』が脳内再生されるという、なんともマセたガキだった。当時盛んにラジオから流れてきたのを、夕焼けとともに覚えていたのだと思う。

「あーあ、つまんないの」
夕闇と孤独がドン・ヘンリーの切ない歌声とマッチした。
意味もわかんないくせに…。


それから7年後、中2の夏休み。
奇しくもあの時のゆりちゃんと同じ14歳。
つけっぱなしのテレビで見たNHKの番組
「ハイセツの介助は慎重になっていただき…」


雷に打たれたように立ち尽くす14歳がそこにいた。

まるで神様が
「同じ歳」になった僕に耳打ちでそっと教えてくれたように…。

まるで神様が
彼女の恥じらいや、苦悩や、哀しみをちゃんと理解できるタイミングを見計らっていたかのように…。


小1のあのころ
昼間は楽しかったのに、
夜になると窓の外を見てよく泣いた。
いつか、歩けなくなるのかな、と。
なんで僕はここにいるのだろう、と。
どうして1人でここにいるのだろう、と。

もちろん
お兄ちゃんやゆりちゃんを思う余裕などなかった。

ゆりちゃんも泣いたのかな。
思春期まっただ中の少女は、
「ハイタツ連れてって~♪」と笑顔で追いかけてくる
小1をどんな思いで撒いたのだろう。

遅ればせながら自分が14歳になって
7年越しに、胸が締め付けられる思いがした…。


隠語だったのか
幼さ故の聞き間違いだったのか
もう、それを今さら確かめたところで意味はない。


2022年
また、夏休みの季節が来た。
久しぶりに『ホテル・カリフォルニア』を聴いてみる。

ゆりちゃんは57歳。お兄ちゃんは58歳。
どこかで幸せに暮らしていてほしいな、と思う。

すごく、優しかったから。


最近、歩くのがつらくなってきた。
だけど、やっぱり、まだ歩きたいな。



お読みいただき、ありがとうございました。
【エッセイ 35】

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