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E88: 自己紹介風エッセイ1

私事で恐縮ですが、今日4月3日は「note開始記念日」にあたります。今日から4年目に入ります。

note歴はそれなりにあるのですが、上記のようにまだエッセイも88本目ですから、かなりのスローペースです。

これまで私は、note上で、自己紹介的なものを書いてきませんでした。芸人・ヤナギブソンのギャグじゃありませんが、「これ、誰が興味あんねん!」のセルフツッコミを常にしているからです。

今更ですが、「66日ライラン」を始めたことですし、新たに読んでくださる方も増えましたので、今日は自己紹介みたいな感じでエッセイを書きたいと思います。


生まれたのは1970年代初め、関西の田舎です。
現在、もうそこには住んでおりませんが、親族がおりますので、定期的に墓参りなどで足を運んでいます。

かつて、その街に祖父母が営んでおりましたお店がありました。祖父母の代でお店をたたみましたので、彼らが他界した今は、もう何もありません。寂しさもありますが、その街に行くたびに、やはり心が落ち着きます。
「おかぐちや」は、祖父母のお店の名前(屋号)でございます。店がなくなるのはまだしも、名前までこの世から消えてしまうのは悲しい。そう思って、noteの世界で名前を残した次第です。


だから「落語家」でもありませんし、「ミヤネ屋」のマネでもありません。これは初めて申し上げますが、後者と一緒にされることを非常に嫌います。笑


子供はおりませんが、2人で仲よく、もう19年目に入りました。子供がいたら…。と思うこともございますが、こればかりは仕方ありません。note界の子育てのお話を拝読しながら、幸せな疑似体験をさせていただいております。



幼少の頃から、色のイメージが鮮明で、頭の中ですぐ空想を始めてしまう子でした。それが、小学校時代は担任の先生の目に留まり、悩みの種になり、親はしっちゅう呼び出される…。真面目な母にとって、私の頭の中を理解することは難しく、親として子育てはかなり苦労したのではないか、そう思いますと、申し訳なく思います。


今のように、凸凹とか、AD云々など
状況を示す言葉や概念がなかったために、先生としてはつかみにくい子供だったと思います。さらに、一見わかりにくいのですが、少し体が動きにくいところもあり、それが「怠慢」と捉えられ、かなり理不尽な指導も受けました。私にとって義務教育はあまり楽しいものではありませんでした。


そういう状況でしたので、たまに文章を褒められても、心の底から褒められていると認識できず、かえって落ち込むこともありました。どこの高校に行くか、ではなく、高校進学そのものも危ぶまれる状況でございました。ただ、中2の担任の先生が、「先生というよりお母さん」みたいな人で、毎日ノートに思いを書き殴っていたら、成績が徐々に上向き始め、何とか高校に進学することができました。中学卒業の時、保健室の先生が「源太くんが高校生になるのね。よくがんばったね」と言って泣いてくれました。そんな子供時代でした。

あ、長くなりました。今日はこの辺で。
で、これ、ご興味あります?笑
なんというか、その、自分のことを語るのは、
やはり恥ずかしくて。
読んでいただきありがとうございました。

【66日 の 3日目】

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