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日記・雑感

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どうでもいい日々の雑感
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#書籍

本当の自分がわかる6眼心理テスト

六眼で検索したら、呪術廻戦の五條悟が最初に出てきてびっくりした。そうか、これが世間の常識、六眼はこっちかぁ~と感無量だ。 そいういえば、子どもが「読売ランドに行ってくるわ」をいうので、「なぜ?」と尋ねたら「一緒にいく子が無茶苦茶に五條悟推しで、読売ランドと呪術廻戦のコラボ企画は外せん!ということらしい」と聞いた。 (私の知っている)6眼心理テストは真面目な本だ。「デジタル」「アナログ」「主体」「客体」「未来」「過去」という6つの軸から、人の振る舞いの原理を分析している。

"わかる"ということ(その2)

「失敗学」を提唱した畑村洋太郎さんは変わったおじさんだ。年齢が自分よりも上の人をつかまえて「変わったおじさん」というのもなんだかだが、その印象は拭えない。もちろん、「変わったおじさん」というのは誉め言葉として使っている。 ITの分野では"ユニバーサル・ユニーク"という言葉がある。空間的・時間的に一意な識別子をさしていう。私は"人"にもユニバーサル・ユニークネスが存在していると思う。 別に"世界にひとつだけの花"ということを言いたい訳ではない。この世の中には「ああ、確かにこ

瞳孔刺激

デズモンド・モリス「マンウォッチング」は好きな本だった。その中に瞳孔に関する記述がある。 デズモンド・モリスが瞳孔について書いたとき、まさか、カラーコンタクトなんてものが使われるようになるとは思っていなかったのだと思う。しかし、カラーコンタクトの出現により、瞳孔信号に関して「顔の信号の中の容易にうそをつくことができない信号」とは言えなくなった。 もちろん、そういうものの可能性を示唆する記述もある。同じ本の下巻の「超正常刺激」の項では、つけまつ毛を「目の大きさとまばたきを誇

ソクラテスよ

中村雄二郎「臨床の知とは何か」を読み終えたときのこと、読み終えた本を横においてメモを書いていたら「何読んでたの?」とドロシーに聞かれた。 「経験とはなにかとかの本」と答えるとドロシーはかく語った。 揚句に歌いだした。ドロシーは歌がうまい。 そして日本の景気回復の現状についてとうとうと語りはじめた。滔々とは勢いよくとどまるところを知らないことなどをあらわす。 中村雄二郎「臨床の知とは何か」だが、臨床という言葉が使われているが、著者のいう「臨床の知」は、広義として医療に限

日本語を振り返る時間:杉本苑子『秋と冬の歌』

いつ買った本だろう。奥付を見ると昭和60年12月20日第一刷発行とある。1985年、まだ学生だったときだ。 秋立つ日という章には、中村草田男の俳句がさりげなく置かれている。秋の気配を感じるのではなく、秋立つ日にふさわしい《やや寒》という季語。無髯の耶蘇が掛けられた壁を《やや寒》という一言で言い尽くす感性。 この本を買った時、自分が何を感じたか、なぜこの本を買ったのか、もう思い出せない。ずっと本棚の奥に置かれていたこの本は、捨てられもせず、だからといって繰り返し読まれたわけ

富士日記

日記や手紙を読むのは嫌いじゃない。小説やノンフィクションにはない楽しみがある。その中でも武田百合子の「富士日記」が好きだ。 日記とは本来、本人以外にはどうでもよいものだ。どうでもよいことがら、どうでもよい思い、どうでもよい記憶。でもそれがその人なのだ。 どうでもよい日常の大切さを取り戻そう。

モンダスに住む:アーシュラ・K・ル=グィン『夜の言葉』

伝えることが出来ないこともあるんだなと思う。そう思うようになったのは、もうずいぶんと前のことだ。 ル=グウィンは、ロード・ダンセイニの作品中の《内陸》(イナー・ランド)を「わたしの故郷」と呼ぶ。ル=グウィンと私とは、時代も環境も世界観も異なるけれど、もしかしたら同郷かもしれない。 ル=グウィンの「夜の言葉」の「モンダスに住む」にこんな一節がある。 「見つめる眼」ではトールキンを引用しながらこんなことを言っている。 もっとも、ル=グウィンは私と違って、退却系ではまったく

『知的生産の技術』の思い出

本棚を探してみたら、『知的生産の技術』が過酷な断捨離を耐えて生き残っていた。高木貞治の『解析概論』すら断捨離されてしまったことを考えると大したことだ。 奥付をみると初版1967年7月、第23刷 1976年8月10日とある。1976年、中学3年生の頃だ。 『知的生産の技術』と出会ったきっかけは中学の国語の授業だった。当時の私のクラスの国語を担当していた家崎さんは少し変わった人で、学校の夏休みにインドに出かけて行き、帰国後チフスだかコレラだかに罹患していることが判明、夏休みが

きっかけ

私は小学校の3年生ぐらいまで本を読むことがない子どもだった。仲のよかったN君はすでに当時ドリトル先生の全巻を読んでいたりしたけれど、私はそれをどうとも思っていなかったし、すごいなとも思っていなかった。単純に本を読むことに興味がなかった。 実際はそもそも本を読むということが上手くできなかったのだと思う。本を読むということがどういうことなのかもわかっていなかった。運動も得意ではなかったし、学校もよく休んでいた。 本を読むようになったのは母が「魔ほうのボール」という本を買ってき

答えのない質問

レナード・バーンスタインの「答えのない質問」。副題は「1973年ハーヴァード大学詩学講座」。高校生の頃に本の方を古本屋で買った。それなりの値段がしたような気がする。少し背伸びをしながらわくわくして読んだ。 目次は、1.音楽的音韻論、2.音楽的統語論、3.音楽的意味論、4.曖昧さの喜びと危険、5.20世紀の危機、6.大地の詩と続く。 第3章の音楽的意味論 IIでは、「ベートーヴェンの<<田園>>交響曲を、外部的で非音楽的なあらゆる隠喩から分離させて、純粋音楽としてきくことが

近所のブックオフで

近所のブックオフで買った茨木のり子「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)の値段は100円だった。 冒頭の「はじめに」で茨木のり子はこう書いている。 美しいことばだな。こんな言葉が書けたらなと思う。それが100円。平和な時代をかみしめる。 最初の詩は谷川俊太郎の「かなしみ」(詩集『二十億光年の孤独』)。 少し進むと谷川俊太郎が40代のときに書いたという「芝生」(詩集『夜中に台所でぼくはきみにはなしかけたかった』)。 そして吉野弘「I was born」が続く(詩集『

旅のことば。プロジェクトが生まれた日

慶応義塾大学の井庭さんたちと認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ(DFJI)とで、「旅のことば 認知症ともによりよく生きるためのヒント」のプロトタイプ版を2014年に制作した。 下記のノートは、六本木にある国際大学GLOCOMの部屋で、井庭さんたちに「こんなことをしてみたい」と伝えたときのものだ。 ノートは、1) 右ページ中央から下へ、2) 右ページ上から中央へ、3) 左ページ上から下へ、という順番で書かれている。資料はこれだけ。 左ページの進め方のところには期間は

人と助けるとはどういうことか

PCの操作は、バスや電車でどこかへ出かけるようなものだと思う。たとえば家から新宿にいくのに複数の方法があるように操作手順も一通りではない。 新宿に行きたいのであれば、武蔵小杉を経由して東急で渋谷に出てから山手線を使う方法もあれば、南武線で登戸に出て小田急線で行くこともできる。 説明はシンプルな方が好まれる。新宿に行く方法には複数の方法がある手順が、より良い方法をと考えればかえって失敗する。 先回りしすぎてもいけない。たとえば、電車の時刻も分かった方が良いし、どの経路で行

時に触れる

好きなSFを一冊だけ選んでほしいと問われたら・・・。 ダン・シモンズの「ハイペリオン」? フランク・ハーバートの「砂の惑星」? それともアイザック・アシモフの「われはロボット」? あげだしたらキリがない。 でも、タイムトラベルものに限定したら? 古典としてのウェールズの「タイムマシン」、エンターテイメントとしての「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、いずれも捨てがたいし他にもよい作品は数えきれないほどあるけれど、私はやっぱりハインラインの「夏への扉」を選びたい。 SFでは