見出し画像

富士日記

日記や手紙を読むのは嫌いじゃない。小説やノンフィクションにはない楽しみがある。その中でも武田百合子の「富士日記」が好きだ。

「見せたやな、さるすべりの花なよなよと うす桃色が風になびくを。」原爆が落ちたとき死んでしまった夫に、見せたいなと語りかけているそうだ、このやさしい歌は。自分もあとから原爆病で死んでいった女の人の歌だ。さるすべりが咲いていると何だか必ず思い出してしまう。
(武田百合子『富士日記(中)』p379)

ここの食堂の窓からは、正面に富士山とその裾野の朝霧高原が一望できるということになっているらしいが、富士山には雲が下りて何も見えず、草原一帯には広い高い空から雨が降りしきっている。風が吹くと枯れ草がなびく。無声映画を観ているように、窓の草原の雨をみながら、三人ともぼんやりとうずらそばを食べる。
(同 p105)

鳴沢村バスストップの前の店で、みかんとヘップ履きを買う(ヘップ履きというのは、スリッパにかかとがついている形のサンダルで、もとはオードリイ・ヘップバーンが何かの映画にその形のサンダルを履いて出てきてから、ヘップサンダルといって流行した。それが山梨ではヘップ履きという名前になっている。男用のも女用のもあり、足の甲にあたる縁に、ポワポワの毛がついているのを防寒ヘップといっている。冬は男も女もそれをよく履いていている)。
(同 p51)

今朝、主人はりんどうを一本、濃い、まっさおな花が七輪もついているのを、胸のポケットに入れて庭を下りてきた。起きぬけに、ぼんやりと庭に出ていた私の前を、胸を反らせて、花をみせびらかすように通り過ぎる。「その花、うちの庭の?」ときくと、返事をしないで、胸を反らせて通り過ぎた。
(同 p34)

日記とは本来、本人以外にはどうでもよいものだ。どうでもよいことがら、どうでもよい思い、どうでもよい記憶。でもそれがその人なのだ。

どうでもよい日常の大切さを取り戻そう。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。