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本当の自分がわかる6眼心理テスト

六眼で検索したら、呪術廻戦の五條悟が最初に出てきてびっくりした。そうか、これが世間の常識、六眼はこっちかぁ~と感無量だ。

そいういえば、子どもが「読売ランドに行ってくるわ」をいうので、「なぜ?」と尋ねたら「一緒にいく子が無茶苦茶に五條悟推しで、読売ランドと呪術廻戦のコラボ企画は外せん!ということらしい」と聞いた。

(私の知っている)6眼心理テストは真面目な本だ。「デジタル」「アナログ」「主体」「客体」「未来」「過去」という6つの軸から、人の振る舞いの原理を分析している。

この本は元同僚が共著者になっていて、内容にも納得性がある。私自身も六眼を使っている。

だから、この本を読むと、「私は六眼が使えるよ」と言えわけだ。ちなみに元同僚は今では神社の本を書いている。改めて感無量だ。

6眼は人の行動様式(心理様式)の原理に焦点を当てているが、残念なこともある。全体で3軸・8象限もあるので、ひと言で特徴を言い表しにくいという弱点だ。

一方、普通のパターン分けと異なる特徴は、行動様式(心理様式)なので、それ自体がコントロール可能であるという立場を取る点だ。人は変わる・変わりうるという視点は希望ともいえる。

私は【デジタル・主体・未来】型に分類される。だから、あえてアナログの練習をするようにしている。

たとえば地下鉄に乗ったとき、すべての音から意味(デジタル)を消去し、音のみを聞くという練習をしていた時期がある。車内アナウンスも意味成分を可能な限り取らないようにし、分節を持たないアナログの世界に身を投じるわけだ。すると、デジタルな意味世界ではフィルタリングされてしまったいろいろな音が空間にあったことに気く。

同じように河原を目をつぶって歩いたこともある。すると自分の足音がだんだん大きく聞こえるようになってくる。自分の足音を聞くという体験はもう何年も前に捨ててしまっていたことに気づく。

武蔵小杉あたりでこれを試すと、他の人の足音も聞こえてくる。雑踏という言葉を私たちはよく使うが、注意して聞くものでもないので、ちょっと良い気分になる。言葉が体験化する。

もちろん武蔵小杉駅周辺を目をつぶって歩くのにはそれなりにリスクがある。ましてや酔ったときには絶対にしてはいけない。それが武蔵小杉ほど賑わっていない武蔵新城であったとしてもだ。花壇の柵に足をとられ肩から落ちて骨折することもあるからだ。そして誰も同情してくれない。

結論、ボトムラインというらしいが、すべては仮説(推論)・検証ということなのだ。演繹でもなく帰納でもなく、アブダクション。それが格好良いのだ。ちなみに米盛 裕二の「アブダクション―仮説と発見の論理」は少し読みにくいですが、とても良い本だ。

ということで、アブダクションこそが生の意味だと考える人も、そんなことより五条悟だという人も、いずれもがいるからこそ世の中は面白い。

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