マガジンのカバー画像

日記・雑感

147
どうでもいい日々の雑感
運営しているクリエイター

2020年8月の記事一覧

モンダスに住む:アーシュラ・K・ル=グィン『夜の言葉』

伝えることが出来ないこともあるんだなと思う。そう思うようになったのは、もうずいぶんと前のことだ。 ル=グウィンは、ロード・ダンセイニの作品中の《内陸》(イナー・ランド)を「わたしの故郷」と呼ぶ。ル=グウィンと私とは、時代も環境も世界観も異なるけれど、もしかしたら同郷かもしれない。 ル=グウィンの「夜の言葉」の「モンダスに住む」にこんな一節がある。 「見つめる眼」ではトールキンを引用しながらこんなことを言っている。 もっとも、ル=グウィンは私と違って、退却系ではまったく

めく

「めくって見出しとしてちゃんと辞書に載ってんだぜ。辞書って愉快だなぁ」  あの頃、辞書ばかり読んでいた年上の友人の三宅さんが自慢げに言った。「めく?」私の馬鹿な返事。 新解さんに聞いてみよう。うん、確かに載ってる・・・。 ”皮肉めいた言い方”が何にかかっているのか意味不明。そして、五型ってなんだ?五段活用か? 細則を読んでみるがはっきりしない。 春めかない、春めきます、春めくとき、春めく、春めけば、春めこう。 "春めこう"ってのもなんか今風で妙だ。だって「・・・要素

現在・過去・未来

昨日から渡辺真知子の「迷い道」が頭の中でリフレインして止まらない。 好きな歌には歌詞が好きなものと曲が好きなものがあるが「迷い道」は間違いなく後者だ。それでも冒頭の「現在・過去・未来」という部分だけは強く心に響く。 時間の流れから言えば「過去・現在・未来」だろう。そして「あの人に逢ったら伝えて」というのだから過去や現在はあり得ない。伝えられるのは「未来」だけのはずだ。そんな理屈の上での論理性や整合性を軽く飛び越えていく心地よさがこの歌の冒頭にはある。 「現在・過去・未来

丹野智文さんへのインタビュー

熊本県下の高校31校をネットでつないだ下記のワークショップの後半は、39歳で若年性認知症と診断された丹野智文さんへのインタビューを高校生のみなさんにも聞いていただき、そこで感じたことをお互いに対話してもらった。 後半のインタビューを含む全体の流れは下記の通り。 丹野さんと出会ったのはいつだったろう。 たぶん、しっかりとお話をしたり関わるようになったのは、下記のRUN伴のプロモーション用のWeb/映像を制作したときだろう。このときは7つの地域の認知症当事者の方にインタビュ

高校生のスピード感

下記のワークショップには128人の高校生たちが参加したが、その中の熊本県立第二高等学校の3人には、あえてセッションに参加せずに《従軍記者》として撮影隊になってもらった。 13時から始まったワークショップは15時半に終了。そして16時半には撮影隊の3人からプロトタイプの概要説明の動画が届いた。素晴らしいスピード感だ。彼らが作ってくれた2つの動画。どちらも若い人らしくてとてもいい。 高校生たちにとって映像の撮影や編集は私の世代がPCで文章を書くようにごく自然なものなのかもしれ

《従軍記者》という概念

《従軍記者》といっても戦争の話ではない。第三者的な記録者の位置づけをここでは《従軍記者》という言葉で呼んでいる。 世の中には、本当によい活動をしている人たちがいる。価値のある取り組み、姿勢、そして周囲の人たちに多大な影響を与えている人たちだ。そういう人たちや活動は、福祉の現場でもNPOの活動でも、さまざまな地域に点在している。 そういう人たちは本当の意味で人に寄り添い、ものすごい熱量で活動をしている。だから自分たちを記録する余裕はない。だからその場にはいなかった人たちには

サカサクラゲ

クラゲが好きだ。 その中でも、好きなんだよなぁ、サカサクラゲ。温泉の地図マークそのままに、砂地の上で天から降ってくる餌を待つその姿勢。そういうものに私もなりたい。 しかも体の中には褐虫藻と呼ばれる藻類を共生させており、藻類が光合成によってつくりだす栄養分を利用して生きているらしい。そうなのか、サカサクラゲ。なんか、温泉三昧で生活が苦しくなってカーちゃんに内職させるみたいな。クラゲの人生もいろいろ。 そしてときに花びらのように舞い踊るらしい。 サカサクラゲの学名はCas

noteのビューが半年で10万を超えた

今年の2月の新型コロナの拡がりの中で家にいる時間が少しずつ長くなり、「せっかくの機会だからnoteを毎日書くようにしよう」と思いたった。 約半年で全体ビューは10万回を越えた。やっぱりうれしい気持ちだ。だから少し振り返ってみようと思う。 毎日書くほぼ毎日、過去に書いたものも含め、何かしらアップしている。 毎日書くことはnote社も推奨しているし、多くの人が勧めている。私の場合は過去のブログ記事から改めて再編集したものも掲載することにした。 名が体を表すように、書いたも

語義の表現形

新明解国語辞典(第4版)で「さびしい」の語義と用例を読んでいて気がついたことがある。 形容詞の定義を「~状態だ」「~感じだ」で終わらせるなんて。形容詞とはそういうものだったのかという発見がある。寂しいという気持ちにさえ、そこに救いが見いだされるような気持ちにしてくれる。 もちろん、新解さんの表現形は語意によって揺らいだりはしない。 あくまでも、~な感じなわけだ。もちろん、語尾は微妙に変化する。そして微妙な例外もある。 新解さんには本当に励まされる。言葉の語義の中に深く

きっかけ

私は小学校の3年生ぐらいまで本を読むことがない子どもだった。仲のよかったN君はすでに当時ドリトル先生の全巻を読んでいたりしたけれど、私はそれをどうとも思っていなかったし、すごいなとも思っていなかった。単純に本を読むことに興味がなかった。 実際はそもそも本を読むということが上手くできなかったのだと思う。本を読むということがどういうことなのかもわかっていなかった。運動も得意ではなかったし、学校もよく休んでいた。 本を読むようになったのは母が「魔ほうのボール」という本を買ってき

答えのない質問

レナード・バーンスタインの「答えのない質問」。副題は「1973年ハーヴァード大学詩学講座」。高校生の頃に本の方を古本屋で買った。それなりの値段がしたような気がする。少し背伸びをしながらわくわくして読んだ。 目次は、1.音楽的音韻論、2.音楽的統語論、3.音楽的意味論、4.曖昧さの喜びと危険、5.20世紀の危機、6.大地の詩と続く。 第3章の音楽的意味論 IIでは、「ベートーヴェンの<<田園>>交響曲を、外部的で非音楽的なあらゆる隠喩から分離させて、純粋音楽としてきくことが

近所のブックオフで

近所のブックオフで買った茨木のり子「詩のこころを読む」(岩波ジュニア新書)の値段は100円だった。 冒頭の「はじめに」で茨木のり子はこう書いている。 美しいことばだな。こんな言葉が書けたらなと思う。それが100円。平和な時代をかみしめる。 最初の詩は谷川俊太郎の「かなしみ」(詩集『二十億光年の孤独』)。 少し進むと谷川俊太郎が40代のときに書いたという「芝生」(詩集『夜中に台所でぼくはきみにはなしかけたかった』)。 そして吉野弘「I was born」が続く(詩集『