鑑賞*山内に火種のごとき曼珠沙華
吉沢春雪
恵林寺の山門に掛けられている快川和尚の遺偈、
「安禅不必須山水減却心頭火自涼」
(あんぜんかならずしもさんすいをもちいずしんとうめっきゃすればひもおのずからすずし)
解説には、「武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者達を引き渡すよう快川和尚に命じたが拒否され、怒った信長が三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放ちました。天正十年(1582年)快川和尚が壮絶な火定(かじょう)遂げた際の一句」とある。
境内には盛りを過ぎて色褪せた万珠沙華が見られた。
彼岸花の朱色に燃え上がる山門の炎をを重ね見た。
彼岸花を火に見立てる詠み方は類句類想が多いとのことだったが、吟行地だからこそ詠める句、吟行地だからこそ採られる句もあるものだと思った。
(俳句雑誌「風友」平成二十四年一月号 「風友」五周年記念大会吟行記「笛吹川の風美しく」)
☆火定とは、仏道の修行者が火の中に身を投げ入れて死ぬこと。この恵林寺山門の焼き討ちの壮絶な様子は、このお寺、山梨県甲州市塩山の臨済宗妙心寺派、乾徳山恵林寺のご住職 古川周賢 さんが史料ををもとに説明されていますのでお譲りします。
快川国師が弟子の宗純に言った「死ぬことは易し生きることは難し」という言葉が身に沁みます。
(岡田 耕)
*参考文献 地図引用
恵林寺 - Wikipedia
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