歳時記を旅する19〔栗〕中 *色づきしものより打たれ山の栗
佐野 聰 (平成十年作、『春日』)
新聞「日本」に掲載された正岡子規の「歌よみに与ふる書」に感銘をうけた長塚節は、明治三十三年三月二十八日、子規の根岸庵を訪ね、翌々日に家から持ってきた丹波栗二升を手土産に再訪し、「根岸庵」の十首を作る。
子規は節の歌才を愛し、節を養子にする話が出るほどだった。
この後も節は子規に栗を贈り、子規は、翌年九月九日に節から届いた栗で栗飯の粥四杯を食べ、九月十七日には「節より送りこし栗は実の入らで悪き栗なり」として「真心の虫喰ひ栗をもらひけり」との句を残した(『病臥漫録』)。
翌々年九月、節は子規の訃報を受けた時も栗拾いをしていたという。
山の落栗はすぐに小動物に取られてしまう。得ようとすれば、勢い句のように木から棒で叩き落すことになる。
(俳句雑誌『風友』令和三年十月号「風の軌跡―重次俳句の系譜―」より抜粋)
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