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歳時記を旅する 13 〔桜〕

陽に満ちてひとひらこぼる桜かな      土生 重次
                      (平成四年作、『素足』)
 ソメイヨシノは幕末から明治の初めにかけて、今の東京都豊島区駒込にあたる「染井村」から全国に広がった。東京都千代田区の靖国神社の参道の傍らには「東京に春を告げる「靖国の桜」」という掲示板に、「靖国神社と桜の縁は古く、明治三年維新の元勲木戸孝允公によって神苑内に染井吉野が植えられたのがはじめです。」と由来が書かれている。
 ソメイヨシノは、生まれてから百五十年足らずで、日本に植えられている桜の大部分を占めるようになった。
 ソメイヨシノの咲き方の大きな特徴に、葉が出る前に花が出そろうことがある。樹全体が花の色に染まるところが、日本人が好むところなのだろう。
 句の桜は、満開の状態だろうか。少しでも風が吹けば散り始めてしまいそうなところ、春の日差しにさえ耐えかねた花びらがひとひら落ちた。

宿机借りて日記に初桜           佐野  聰
                      (平成八年作、『春日』)
 沖縄本島の寒緋桜の桜前線は南下する。沖縄を訪れたのは一月十八日。寒緋桜の見どころを案内人に尋ねたら、八重山が五分、今帰仁城が三分、那覇はまだだと言われた。
 サクラは、夏のうちに作られた花芽が休眠したまま年を越し、低温にさらされることで休眠から覚めて(休眠打破)成長を始める。寒緋桜は、染井吉野と違って暖かさでは成長が進まない。そのため高緯度から伝わる寒波を受けて休眠打破になると、そのまま開花するので、北部から南部に開花が進むのだそうだ。
 寒緋桜は日本で最初に咲く桜。旅でその開花に出会えたことは、句のとおり、その日のうちに記しておきたい。

上千本中の千本花の雨           磯村 光生
                       (平成三十年、『花』)
 吉野の桜は本来のヤマザクラである。吉野の桜を愛した西行だが、桜を詠んだ一四〇以上の歌のうち、吉野山の雨を詠んだ歌は見当たらない。「ながめつるあしたの雨の庭の面に花の雪しく春の夕暮」など近景の歌に雨が現れる。(『山家集』岩波文庫)ヤマザクラは、「千本」と形容される梢の花が林立した遠景が評価されたからだろうか。
 それでも、雨に烟って桜が見え隠れする吉野山の趣もなかなかのもの。西行が住んだ庵は、さらに南の標高の高い「奥千本」の山の中にある。

 (俳句雑誌『風友』令和三年四月号 「風の軌跡―重次俳句の系譜―」)

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