「立春大吉」を門に貼る風習
【スキ御礼】 道元禅師が書いた「立春大吉」
立春の日に「立春大吉」の札を門に貼ることは曹洞宗のしきたりだが、これに似た風習は中国にある。
中国では、立春と同時に、一家の平穏と招福を願って「大吉祥」や「宜春」などと書かれた札を門に掛ける風習があった。
それが日本では、禅門に取り入れられて、修行の成就や仏法の広まり、檀家の除災招福を祈念する行事となっていった。
永平寺14世にあたる建撕禅師は、道元禅師の没後約200年後に、道元禅師の伝記『建撕記』をとりまとめた。
それによると、寛元2年(1244)7月18日に、新しく建立された寺(後の永平寺)の本堂を開くにあたり、道元禅師がこの山を「吉祥山」と名付けたとされている。
その3年後の宝治元(寛元5)年(1247)には、道元禅師は「立春大吉文」を書いたことになっている。
「吉祥」とは、「帝釈宮の名であり、またお釈迦さまの成道の時、吉祥草を敷いて座禅をなされたということに因んでいる」(『訂補建撕記』)、とされている。
道元禅師は、これを山号に取り入れた。
『建撕記』にその記録があり、「吉祥」の解説がなされている。
この法語は、『華厳経』の「夜摩天宮品」という偈文の一部を改変したものになっているという。
道元禅師は、自身の主張を表現するために、中国の仏教の原典を自分なりに改変して表現するという手法がたびたび見られるのだそうだ。
だとするならば、道元禅師が書いたという「立春大吉」という言葉も、中国の風習にあった「宜春」「大吉祥」という言葉を捩ってひねり出したのではないだろうか。
これを門に貼りだすというのも、道元禅師が中国の風習からヒントを得て、自らの表現に適していると考えて取り入れたのだろう。
しかしまた、この伝記『建撕記』において吉祥山大仏寺と命名された年が寛元2年(1244)とされているのも後に否定されている。
この日付は、江戸期の学僧である面山瑞方によって、4年後の「寶治2年(1248)11月1日」に訂正がなされている(『訂補建撕記』)
現在の永平寺の山門には「吉祥山命名法語」の額があり、そこにも「寶治2年(1248)11月1日」と記されている。(トップ画像)
建撕禅師がまとめた『建撕記』に記された、道元禅師が「立春大吉」を書いた年月日、そして「吉祥山大仏寺」と定めた年月日のいずれも後に否定されている。
これが建撕禅師の単なる事実誤認なのか、それとも何か特別な意図があったのか。次に考えてみたい。
(つづく)
(岡田 耕)
*参考文献(引用のほか)
『禅学大辞典』大修館書店 1978年
『道元辞典』東京堂出版 1977年
東隆眞『道元小事典』1982年
石龍木童訳註『現代語訳 建撕記図会』国書刊行会 2000年
渡部武 訳註『四民月令』東洋文庫 1987年
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