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永平寺観光ガイド [七堂伽藍]
非常に間が開きましたが、続きとなります。
前回は雪囲いなどで撮影しづらいところがありましたので、再訪問して写真を増やしました。写真は前回のものと今回のものが混じって使われています
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1. 山門(さんもん)
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道元禅師(以降全人物敬称略)により永平寺の前身である大佛寺が建立されたのは1244年ですが、移転(最初はもう少し山の奥のほうにありました)や火災による消失もあったため、最初期の建物は現在では残っていません。
山門は現在の永平寺の伽藍の中では最も古く、1749年の建築物となっています。
山門は永平寺のいわば正面玄関で、七堂伽藍の中では最下部中央に位置します。
玄関とは言っても住職を除いて通常はここから出入りすることはなく、『永平寺に修行に入る時(上山:じょうざん)』『永平寺を降りる時(乞暇:こうか)』に限り使用される、儀式的な意味の強い門となります。出入り禁止と立て札があるのはそのためです。
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修行僧が作務の前に山門頭に集合することがありますが、その際は山門の脇を抜けて出入りするなど、このルールは徹底されています。(参拝では廊下外へ出ることは禁止のため、ここからも出てはいけません)
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上山のシーズンは春と秋の二つがありますが、特に春(3月頃)はまだ雪も残る時期で、修行僧は寒い中、実際にこの門の前に立って入門を請います。
またこの山門は二階建ての造りとなっていて、上部には五百羅漢像などが祀られています。
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ここには毎日、衆寮という寮舎の担当の修行僧がお膳を持って上がり、お経を唱えています。また、定期的に大勢で上がって法要が行われます。
寮舎とは会社の部署のようなもので、「衆寮(しゅりょう)」は作務・坐禅・諷経の随喜を主とした、一般にイメージする修行生活にひたすら打ち込むことを役目とされている部署です。
山門にはほかに、左右には四天王像が、そして正面には2枚の聯(れん)のほか、傘松峰大佛寺を吉祥山永平寺へと改めた由来の額が飾られています。
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聯はそれぞれ、
「家庭厳峻、陸老の真門より入るを容さず」
「鎖鑰放閑、さもあらばあれ、善財の一歩を進め来たるに」
と読むようです。
陸老というのは昔の役人の一種で、地位も富もあるような人のこと、善財は華厳経に登場する「善財童子」のことで、いろいろな指導者を訪ね歩いて修行を積み、悟りを開いたとされています。
ざっくりとした訳として、
「この門は厳粛な修行道場としての入口であり、仏道を求める心が無いのであれば、いくら富や名誉を持っていたとしても特別扱いでここから入ることはできない」
「一方でここには鎖も鍵もなく、常に開け放されている。あなたに仏道を求める心があるのであれば、いつでも入ってきなさい」
という意味となるそうです。
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こちらの額については、おおよそ現代語でそのまま上から下に読むことができます。
解釈のひとつとして、後半二段の
「諸仏ともに来たってこの所に入る この故この地 最吉祥」
においては『諸仏』が修行僧のことを指しているという考え方もあり、それに応じて訳をすると、
「仏を目指して修行に励もうとする修行僧が集まるこの場所は、とても尊い場所である」
という意味に捉えることもできる、とのことでした。
また山門から外側を望むと、大梵鐘と杉並木を見ることができます。
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この大梵鐘は「ゆく年くる年」の除夜の鐘として放送されたこともあるもので、それに限らず、早朝の暁鐘から夜の定鐘まで、時を知らせるために現役で毎日鳴らされている鐘でもあります。ひとつ撞くたびに一回お拝をしながら、丁寧に撞きあげられていきます。
また五代杉は永平寺5代目の住職である義雲によって植樹されたものと伝えられる杉の老木です。当時の永平寺は解釈違いに端を発する派閥争いなどにより伽藍も廃寺同然に荒れていて、義雲はその整備・復興に力を入れたとされています。
2. 浴室(よくしつ)あるいは浴司(よくす)
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七堂伽藍とは、大きな寺院にみられる重要設備のフルセットのことであり、宗派によってその種類は異なります。曹洞宗の場合、山門、僧堂、庫院、法堂、仏殿、東司、そしてこの浴室となっています。
東司(トイレ)や浴室が七堂伽藍に入ってくるのは禅宗の特徴と言えます。そして七堂伽藍、つまり修行の場所ですので、はっきりと使用時の作法が定められています。
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立ち入り不可エリアとなりますので概念図になります。
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突き当たって右側に進むと修行僧用の脱衣場、お風呂場があります。
お風呂は午後の作務が終わった後、晩課諷経までの間の時間に入ることができます。寮舎によってはこの時間に仕事があったりもするので、その場合は開枕(就寝時刻)後に急いで入ることになります。
本来の作法では入浴は4と9のつく日と定められていたのですが、そこは時代の流れとともに、基本的には毎日入ることとなっています。
脱衣所入口には跋陀婆羅菩薩(お風呂をきっかけに悟りを開いたとされる)が祀られているので、まずはここでお拝をします。脱衣して風呂場へと入り、桶と石鹸を持って浴槽の傍に座り、浴槽の湯で体を流しながらよく洗います。設備としてシャワーは備えられていますが、修行僧は使えません。体をきれいにしたら湯につかって温まります。
この間、原則無言で体を清めることに集中します。声を発するのは偈文とお風呂場入退場時の挨拶ぐらいです。なお、僧堂・東司・浴室を、私語を特に禁じた「三黙道場」と呼んだりもしますが、ほかの仏殿や法堂や庫院なら私語OKという訳では当然ありません。
3. 東司(とうす)
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東司はトイレです。ここは参拝用の通路からは隔絶された位置にあります。僧堂内部から少し下ると辿り着くことができます。
七堂伽藍としての東司はここになりますが、参拝者用も含め、あらゆるトイレに東司と表記されてはいます。
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東司に祀られているのは烏枢沙摩明王で、炎属性に由来して、不浄なものを清浄にするとされています。なお表記こそ古めかしいですがきちんと水洗の現代のトイレですので、参拝に際し安心してください。参拝時間終了後、担当の修行僧が毎日掃除を行っていますので、しっかりきれいに保たれています。
4. 僧堂(そうどう)
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修行道場そのものを指して僧堂と呼ぶこともありますが、これについては僧堂という名の建物です。ここでは、睡眠・食事・坐禅が行われます。中には『単』と呼ばれるたたみ一畳ぶんのスペースが約90個、カプセルホテルめいて(ただし平面的に)並んでいて、中央には文殊菩薩が祀られています。食事、睡眠は修行僧一人につき単一つです。坐禅も基本的には同じですが、混みあっているときは一つの単に二人が坐ったりもします。
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僧堂がこの三つの役割を持つのは曹洞宗固有で、同じ禅宗の臨済宗にも似たような内部構造を持つ建物(禅堂)があるのですが基本的には坐禅のみで使われ、食事や睡眠は別の場所で行うようです。道元は中国(宋)留学時代にこの僧堂にいたく感激したとされ、日本に戻ってきた後に最初に建立した寺院である興聖寺にもさっそく僧堂が作られています。また、建立したての初期永平寺(大佛寺)は、法堂、庫院、僧堂の構成となっていました。
修行僧は起床後、いったん各寮舎で着替え、すぐに戻って僧堂で朝の坐禅をし、終了後に朝課へと向かいます。ご飯を僧堂で食べ、すぐに回廊清掃や作務、お昼にはまた僧堂に集合してから日中諷経、お昼ご飯も僧堂で、午後の作務が終わったら僧堂に集合して晩課に向かい、夕食、坐禅、就寝と、なにかと僧堂を中心として修行生活を送っている、欠かせない伽藍です。
振鈴(しんれい:修行僧の起床時刻)は夏季で3時30分、冬期は4時30分となります。ただし振鈴前に寮舎の仕事のある修行僧も多く、この時刻まで寝ていられることはそう多くありません。また振鈴が終わるとすぐに暁天坐禅の準備へと移行しますので、もし鈴の音で起きたのであれば、急いで片付け・準備をしなければなりません。
また四九日(4と9のつく日)は放散日と呼ばれ、この起床時刻が1時間遅くなります。そのほか日中の作務が無くなるなど、ちょっとしたお休みのような日です。しかし各寮舎の仕事は普通通りあり、もちろん外出もできませんので、洗濯などの普段時間の取りづらいものを重点してすごしているようです。
開枕(かいちん:就寝時刻)は21時ですが、実際にはこの後も各寮舎の仕事が残っていることが多く、22時30分のリミットぎりぎりまで起きている修行僧が多いようです。ちなみにこの後に「点検」が行われ、寝床につかずに所在不明の場合は最悪『脱走』判定となってしまうため、この刻限はよく気を付けているとのことでした。
食事は「応量器」と呼ばれる食器を使って坐禅を組みながら摂ります。食器を広げる手順や唱える偈文、配膳の仕方などもすべて作法が決まっていて、鳴らし物とハンドサインだけで極めて厳かに食事が行われています。
そして坐禅です。坐禅はお釈迦様が悟りを開いたその時の姿勢として、仏教では広く行われている修行です。坐禅が特に重要視されている宗派は禅宗と呼ばれています。
道元が持ち帰った曹洞宗も、禅宗の一つです。日本の場合、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗が有名どころです。また、永平寺2代目住職の懐奘、3代目義介、4代目義演は、もともとは日本達磨宗という禅宗の僧侶でした。
曹洞宗の坐禅は、『正しい姿勢で、壁に向かってただ坐る』ことを目的とする点が特徴的です。これは黙照禅(もくしょうぜん)とも呼ばれたりします。逆に臨済宗は看話禅(かんなぜん)と呼ばれ、こちらは壁に背を向けて坐り、坐禅の最中は師から与えられた公案(禅問答)の解について思考を巡らせます。禅問答を行うのが臨済宗の特徴です。
道元が只管打坐(しかんたざ)と表現するように、曹洞宗の坐禅では、ただひたすらに坐る、ということを重要視します。何を考えるでもなく、無心に坐ります。
これは、坐禅は「悟りへと至る手段」なのではなく、「正しく坐っている姿勢・心持ちそのものが、仏の行いであり悟りの姿である」という思想に基づいています。坐禅を続け、これに「気づく、確信を得る」ということを、いわゆる『悟った』と表現するようです。
ちなみに当然出てくるのが「正しい姿勢とは?」という疑問ですが、道元はそれを普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)という書物に書き表しています。永平寺の宝物庫である瑠璃聖宝閣ではその原本が展示されています。(中身の文章は検索すれば見れます)
道元はまた、坐禅と同じような心持ちで行えば、日々のあらゆることが修行の場となるとも説いています。修行の先に悟りがあるのではなく、正しい作法と心持ちで日々の修行生活を送ること、そのものが仏行であり、悟りの姿である。故に、修行を続けるということ自体が肝心である、といった感じでしょうか。先に挙げられた浴室や東司が七堂伽藍(修行において特に大切な建物)に数えられているのは、このあたりが関係しています。
解釈が完全に合っているかは少し自信がないのですが、極めてストイックな考え方だなと思います。
5. 大庫院(だいくいん)
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大庫院(庫院)はとても大きな建物で、参拝ルートからは二階の一部分を覗くことができます。
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大庫院には永平寺の維持・管理をする寮舎が集中していて、4階には全体的な運営や行事予定、人事などを担当する監院寮(かんにんりょう)、3階は買い出しや物品管理を担当する知庫寮(ちこりょう)、2階は料理を担当する典座寮(てんぞりょう)、1階は伽藍の修繕や整備を担当する直歳寮(しっすいりょう)がそれぞれ存在します。
他には、来客向けの宿泊部屋や内講(修行僧向けの講義)で使う大広間なども存在します。
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大庫院には韋駄尊天が祀られています。火災や盗難の災害から伽藍を守護するとされています。修行僧の食事は、ここにお供えされて僧食九拝という儀式の後、僧堂へと届けられます。
観光名所ともなっている大すりこぎ棒はもともとは仏殿建立に用いられた地撞き棒で、その後オブジェとして改修されました。これには、由来となった道元の歌があります。
「身を削り 人に尽くさん すりこぎの その味知れる 人ぞ尊し」
擂り粉木は、包丁や鍋のような調理において目立つ花形選手ではない。しかし、陰で身を削りながら料理の味を共に引き立てている。そういったことをよく知って、感謝の心を持てるような人になりましょう。
といった感じの意味でしょうか。
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また、この調理(に限らず作務や日常生活全般)というものが修行として重要視されるのも、僧堂の項で前述しましたが、道元が留学先から持ち帰った考え方の大きな特徴です。
道元が生まれたのは1200年、鎌倉時代です。出家したのは13歳の時で、比叡山で天台宗の僧侶として修行を始めました。その後、自らの疑問を解決するためにいくつかの寺院を訪れ、臨済宗の寺院である建仁寺で明全という僧侶に師事し、共に宋へと渡りました。
この頃の日本の仏教では、炊飯は新人の雑用であり、立派な修行僧であればそういった雑事にかまけるべきではなく、お経の勉強や法要、坐禅などを重視すべしといった考え方が一般的でした。当然、入宋当時の道元もそのように考えていました。
宋に到着後、修行先は既に天童山景徳寺と決めてあったので、師である明全が先に手続きへと赴きました。
しかし道元の受けた戒の種類に因る、入門についてのトラブルが発生してしまいます。そのため、明全が天童山の説得にあたる暫くの間、道元は港で足止めとなってしまいました。
この時、ある老僧が船を訪ねてきます。その方は阿育王山という有名な寺院の典座(料理長のようなもの)でした。道元がお茶を出して話を聞くところによると、明日の端午の節句で修行僧にふるまう麺汁のため、日本産の良質なシイタケを買いに来たというのです。
港から阿育王山まではだいぶ距離もありますので、道元はぜひともここに一泊して頂き、そしてお寺の話などを教えていただけないかと提案します。しかし老僧は、今日中に帰って食事の支度をしなければならぬとこれを断ります。
道元は素直に疑問をぶつけました。あなたのような(立場のある)僧がわざわざそれをしなくとも、大きなお寺ですし若い修行僧にやってもらえばいいのではないですか、と問いかけます。老僧はそれに対し、典座の仕事は自分の修行であるから、どうして他の人に任せることができるだろうか、と答えました。
先のとおり、道元は修行イコール坐禅を行ったり経典を読んだりすることと学んできているのですが、老僧はそれを聞いて、あなたはまだ修行というものがどういうことかわかっていないようだ、とまで言い放ちます。
自らの今までの修行を否定されたように感じ、しかし一方でその言葉に思うところもあったのでしょう。二人はいくつかの会話を交わし、結果として道元は、『修業とはなにか、仏道とはなにか』という疑問を新たにします。
その後道元は、明全の説得の結果として天童山への入門を許可され、修行生活を送り始めました。ある日、よく晴れた日の日中の法要終わりのことでした。道元は、かんかんの日差しが照り付ける中、汗だくになってキノコ干しをしている老僧と出会います。天童山の典座です。
道元は作業をしている老典座を見て、このような大変な仕事は若い人に任せて、もっと法要などの行事をされたほうが良いのではないか、と心配そうに問いかけます。しかし老典座の答えは、阿育王山の典座と同じでした。この仕事こそ修行で、これこそ私の修行であると。
道元は続けて、ではせめて、もう少し涼しくなってからにしてはどうですかと問いました。老典座は答えます。キノコを美味しく干すには暑い時が最も良く、つまり今をおいてその時は無いと。修行僧の為に食事を作るのは決しておろそかにはできない大切な仕事であり、尊い修行であると道元に説きました。
道元はまたもや予想外の返事に驚き、また深く感じ入りました。目の前のことに誠心誠意、無心で取り組み、やるべき時にやるべきことをする。その姿勢で臨むのであれば、掃除であろうと飯炊きであろうとそれはまさに修行であり、仏の行いであると確かに思えたのです。
二人の典座との出会いが大きく作用したこともあってか、道元はその心持を示した「典座教訓」という書物を執筆しています。
典座教訓では、典座の持つべき心得として「三心」というものを挙げています。
「喜心」「老心」「大心」です。
「喜心」とは喜悦の心であり、調理という役割が与えられたことをありがたく受け止め、食べる人が美味しく食べられるように積極的に努力することを勧めています。
嫌々と適当にまずい料理を作るのでは、食べるほうも作るほうも共に不幸になってしまいます。逆であれば、結果もまた逆です。
「老心」は父母の心であり、親が子に接するように、見返りを求めず、相手を思いやって料理をする慈しみの心をさします。食べる人の立場に立って、たとえば同じ食材が続くとしても調理方法や味付けなどを変えながら手間を惜しまずに作りましょうという指針です。
「大心」は偏無く党無き心であり、選り好みをせずに受け入れるような広い心という意味です。食材が良いものであろうとそうでなかろうと態度を変えず、その食材それぞれにあった調理を工夫し、無駄を出さずに精一杯に美味しく仕上げようとすることです。
これこそが、修行、仏行として調理を行うための、また修行の日常生活全般に通じる大切な心得であるのでしょう。
また永平寺の料理はいわゆる精進料理ですが、精進料理のエッセンスはここにこそあるのかなと思います。「動物性の食材を使わない」というのは確かに縛りとしてありますが、そこはおそらく一番重要な点ではありません。実際、仏陀の時代では托鉢が主でしたので、頂いたものは全てありがたく食していたと言われています。
精進料理では、食材を端材まで可能な限り大事に扱います。野菜の切れ端なども、炒めたり、汁に入れたり、ご飯に混ぜて炊いたりして頂いているようです。お客さん向けには良いところだけで料理を作ったりもしますが、可食部の端材は修行僧の食事に混ぜられているそうです。この切れ端についても、ただ何となく混ぜるのではなく、しっかりとそれに向いた調理をするとのことです。
頂いた命に感謝して大切に使い切ること、そして食べる相手のことを考えて手間を惜しまないこと、それこそが『精進料理』なのでしょう。
ちなみに典座寮の修行僧は毎朝、起床時刻の2時間も前に起きて朝食の準備を始めるそうです。
朝ごはんはおかゆと梅干、沢庵とごま塩です。このごま塩は一般的なそれとは違い、胡麻の割合が多く、塩分は控えめです。そのため結構かける量が多く、沢山のすり胡麻が必要となります。
この胡麻も、わざわざ毎朝擂られています。前日に擂っておけばもう少し長く寝れるにも関わらず、です。これも同じで、「胡麻は直前に擂ったほうが香りが良いから」だと聞いています。
6. 仏殿(ぶつでん)
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道元の時代の永平寺は、僧堂・法堂・庫院の構成でした。ここに仏殿や他の建物を追加し、七堂伽藍の構成にしようと働きかけたのが、永平寺三代目住職の徹通義介です。義介は道元の教えをもっと民間に広めたいと考え、人々の平穏に祈りを捧げる場として仏殿を建立するなど、永平寺の伽藍や規矩(きく:きまり)の整備に取り組みました。
これがきっかけとなり、道元の定めた修行を遵守したい勢力との間で諍い(”三代相論”)が起きました。諸説ありますが、これが激化した一因には、義介がもともと日本達磨宗の印可を受けた僧侶であったことを良く思わない一派が存在したことも影響しているとされています。
日本達磨宗の印可を受けたということについては永平寺二代目住職の孤雲懐奘も同様だったのですが、懐奘は道元直々の後継者指名であり、さらに強火の道元ファンゆえに道元の手法を遵守したことが、保守派の反発を招かなかった要因なのでしょう。
一方で伽藍、規矩の整備に着手したのは懐奘の時代からであり、調査のため、義介を天童山に留学させたのも、懐奘でした。
また道元が自分の法をしっかり受け継いだとして後を嗣がせたのが懐奘であり、その懐奘が同様の考え方で後を嗣がせたのが義介であるため、義介の考え≒道元の考えとすることにも一定の根拠があります。
さらに義介自身、道元に師事していた時代には典座や監寺などの重要な職を任されるほどに信頼されていたということもあり、義介の行いを否定するまでの合理的な理由があったのかについては疑問が残ります。
最終的に義介は永平寺を去りますが、このとき義介の考え方に賛同して付き従った僧の一人が、後に總持寺を開くこととなる瑩山紹瑾です。人々に教えを広く伝えて救いたいという想いの元、より民間に開かれた寺院を目指し、總持寺の系譜は発展していきます。
義介が去った後、義演が四代目として住職を継ぎます。義演も元は日本達磨宗で義介の兄弟弟子であったのですが、永平寺の修行のかたちを道元の示したそのままに保守することで反発を治めました。
義演自身は、義介派であった紹瑾が布教の一環として人々に授戒を行いたいとした際にその作法を自ら伝授するなど、個人として敵対していたというわけではなかったようです。
ほかに、永平寺に隣接する地蔵院を建立したのは義演だとされています。
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いざこざにより支援者の信頼を失ってしまったこともあり、永平寺は勢力を落としてしまいます。この復興に力を入れたのが、永平寺五代目住職の義雲です。
義雲は、寂円に就いて修行をした僧です。
寂円は道元の天童山景徳寺留学時代に共に修行した宋の僧で、道元を慕って日本に移り住み、道元に随って修行していました。道元没後は懐奘に師事し、後に宝慶寺を開きました。寂円は道元の気風をよく受け継いだ、厳格な僧であったとされています。
また紹瑾もこの宝慶寺を訪れ、四年間ほど寂円から指導を受けていた時期がありました。
義雲は荒れ果てた永平寺伽藍の復興に努め、また再び支援者の信頼を得ることにも成功しました。
かつての永平寺派と總持寺派の対立は激しいもので、江戸時代に幕府からお触れが出て両大本山と規定されるころまで、険悪な関係は続きました。
現代では特にそのような対立構造はなく、修行先を永平寺か總持寺かほかの地方僧堂かと選ぶ際も、ちょっとした個人的な好みで選ぶことがほとんどのようです。
またその性質上、永平寺の系列の寺院というものは少なく(約20%)、多くの寺院は總持寺の系列となっています。
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仏殿に祀られているのは曹洞宗の本尊である釈迦牟尼仏で、その左右には阿弥陀仏、弥勒仏が据えられています。また須弥壇外の左右の奥のほうには、達磨大師と如浄禅師(宋・天童山景徳寺の住職で道元の師)の像がそれぞれ祀られています。
また先の通り仏殿は人々のために祈ることを目的として建立された建物ですので、正面中央には「祈祷」と書かれた額が飾られています。
永平寺では法要は目的によって場所を変えて行われますが、日中諷経や晩課諷経は、この仏殿で行うことが多いようです。
7. 法堂(はっとう)
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法堂は朝課や各種法要を行うほか、住職が上堂(修行僧に説法をすること)をするための講義室でもあります。「法」は仏の教えのことを指しています。
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法堂には聖観世音菩薩像が祀られています。須弥壇下に4体いる犬のような動物は猊(げい)で、獅子と同一視される伝説上の生き物です。仏陀は獅子に例えられることもあり、そういった関係で飾られることがあるようです。
先の仏殿やこの法堂の管理をする寮舎を知殿寮(ちでんりょう)と言い、所属する修行僧の事を殿行(でんなん)と呼びます。法要の進退(動き方)などをしっかりと勉強する必要があり、どこの寮舎も大変さはあるのですが、特に大変な寮舎の一つとして数えられています。
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道元は上堂にも力をいれていて、特に安居期間(3カ月間の外出を禁じての修行期間)は頻繁に上堂を行ったとされています。
そして上堂の際は、住職は自らのことを寺号で呼ぶのが伝統でした。つまりここ大佛寺では、道元は自分のことを「大佛」と言う必要があったのです。これがどうも気が引けると、道元は寺号を永平寺へと改めた、というお話も伝わっています。
Ex1. 承陽殿(じょうようでん)
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承陽殿は七堂伽藍には数えられませんが、永平寺固有の建物ですので、参拝の際はぜひお参りしておきましょう。ここは道元を祀る御真廟です。道元だけでなく、五代目住職の義雲までの像も、共に祀られています。
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承陽殿の管理にも専用の寮舎があり、侍真寮(じしんりょう)と呼ばれます。所属する修行僧は真行(しんなん)です。
承陽殿でも法要は行われますし、開祖にお仕えする公務上、法堂の知殿寮と同様にとても厳しい寮舎として知られています。
そのため、殿行あるいは真行に割り振られてその期間を全うすることは、修行僧にとっての一種のステータスとして扱われる文化があるそうです。
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承陽殿の正面にある香炉です。かつては時間を計るために用いられたとされており、中の香は朝・昼・晩の法要で用いられた線香の燃え残りを砕いて作っているとのことです。
なお承陽殿内部は2023年現在では撮影禁止となっており、中の写真はありません。しかし数年前まではそうではなく、検索すると写真はたくさん出てきますので、そちらでご覧ください。
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承陽殿のすぐ脇には小部屋があり、白山水と額がつけられています。こちらは白山水系の湧水を引いているとされており、侍真寮の修行僧はここから水を汲んで、道元禅師にお供えしています。
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また承陽殿をはじめ、永平寺には様々な所にこのような紋がみられます。これは「久我竜胆(こがりんどう)」と呼ばれ、公家の久我家の家紋です。道元はこの久我家の出身であるとされ、その由縁で使われています。
Ex2. 回廊
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永平寺と言えばよく出てくる写真が、この回廊です。全ての伽藍を繋ぐように作られていて、屋根もついています。そのため、天気が悪くても屋外に出ることなく、七堂伽藍を巡ることができます。
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修行僧は朝ごはんを終えた直後、急いで作務衣に着替えて雑巾を持ち、階段を一番上、法堂わきまで駆け上ります。そこから所属寮舎によって少し違うルートを通りながら、全力で廊下を拭き下ります。これは毎朝行うため、回廊はきれいに磨き上げられます。
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また階段の脇のほうを見ると、ところどころに謎めいた装飾が残っていることがわかります。
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そして歩いてみるとわかりやすいのですが、階段はやや手前に傾斜しています。
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これはかつて回廊に屋根が無かった時代の名残であり、傾斜は雨を下に流すため、装飾はもともと排水溝のフタだったそうで、それを残してあるとのことでした。
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なお永平寺は歴史的建造物ですが、廊下のように痛みやすくまた実用に供される部分については、現代的なしっかりした補修が施されています。
これは、実際に今も修行道場として修行僧の生活の場になっているためです。
修行僧はキャストではなく、永平寺も今なお生きた道場ですので、文化財としての保存よりもしっかりとした新陳代謝に重点を置いていると、そういったお話でした。
Ex3. その他のフォトギャラリー
撮ったけれど紹介に挟みにくかった写真たちを、最後にキャプション付きでお送りします。ありがとうございました。
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時刻に縛られず他の場所に回りやすい車が便利です
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右奥に見えるのも同じコインパーキングなのですが、右奥のほうが出入りはしやすかったです
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ここからひたすら真っ直ぐ歩くと寂光苑(じゃっこうえん)に着く
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記念公園のような場所
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赤い部分に見えるのは山門の正面
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赤いラインを越すと「進入禁止」の警告音声が流れる
もう少しとはいえ、自制しよう
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主にごはん関係の合図に使われる
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イートインスペースにて
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正直ちょっと少なめ
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複雑な修行僧用の着付けを手伝ってくれる
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食堂の営業時間はよくわからない