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桶狭間の戦い

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桶狭間の戦いに関する小説、私の考えなど。
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桶狭間の合戦 ~ 雨が分けた命運 ~

永禄三年 庚申 五月十七日  「あちらに湧き水がございます。」村の長老は指を差した。そち…

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桶狭間の戦いに関する12章

『桶狭間の戦い ~ 雨が分けた命運 ~』を固定記事に している。歴史小説にしては、ぶっき…

今川義元はなぜ大軍を率いてやって来たか

 よく言われていたのが、義元が上洛を目指していたとか、 尾張を領有しようと目論んでいた、…

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今川義元の進軍ルート

 カエサルのように、信長が口述筆記したものを残してくれていれば 良かったのだが。まあ、そ…

信長は義元の居場所を知っていたのか

 桶狭間古戦場公園の南、長福寺の近くの池のほとりに 瀬名氏俊陣所跡というものがある。案内…

正面攻撃か迂回強襲か

 史実では激しいにわか雨があったということだ。 今更確かめる方法はない。当時の複数の文献…

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桶狭間の合戦その他諸々

 簗田政綱についてはよく分からない。小説というスタイルの便利 なところは、フィクションを交えてもよいということだ。  水野信元の動向についてもよく分からない。裏切っていたのか、 芝居だったのか。  古戦場公園周辺には『カジノ』という姓がよく見られる。 百姓とは様々な生業を営んで生活しているが、鍛冶もそのうちの 一つだ。根来や堺のように大規模に生産しているわけではないが、 自分たちで使う分+αくらいは作っていたのではないか。普段は猟に、 あるいは自衛用に。  合戦当日の雨には濡