見出し画像

正面攻撃か迂回強襲か

 史実では激しいにわか雨があったということだ。
今更確かめる方法はない。当時の複数の文献がそう記述
しているからおそらくそうだったのだろう。
 物理法則だってそうだ。永久に絶対的に正しいとまでは
言えない。99.999・・・・・%間違いないだろう、という感じだ。

 結果がああだから、信長が最初から義元本隊を一点集中
攻撃することを狙っていたように解釈される。まさか、あの
時間帯ににわか雨があることを見込んで出撃したわけでは
あるまい。
 が、とにかく激しいにわか雨はあったとする。

今川軍は国道1号線と302号線の交差点付近から南東へ、
桶狭間を結ぶラインに、点々と布陣している。
 ところで、Google map 上では、もう少し東にある桜花
学園のキャンパス内に『信長坂』と示された小径がある。
国道1号線にある大将ヶ根交差点付近からこの小径に入って
行くコースが、地元の歴史研究家の人達が唱えている織田軍
の進行ルートのようだ。大将ヶ根交差点から南へ入ると、
道路の舗装にリングパターンが施されるほどの急坂があった
りする。『生山』(ハイヤマと読むらしい)という地名が
あるが、織田軍が這って登っていったから、そういう名前が
ついたという話もある。実は松茸がよくハエルからそういう
名前がついたのかもしれない。もう少し南に登っていくと、
武待とか武路とかいう地名が出て来る。そして、愛知用水を
越えたあたりが、開戦場所と推定している。

 って、地図を掲載して説明すればよいものだが、私には
サービス精神というものが欠如している。説明地図を掲載
したwebページは世にたくさんあるし、Google map から
想像するのも悪くないんじゃないの、とか言い訳をしてい
る。昔の国盗り物シミュレーションゲームなんて、ただ数値
が表示されるだけなので、あとは想像で補ってその世界を
作り上げて楽しんでいた。今は全般的に性能が上がり、精緻
なムービーが展開されるが、それは作者が作り上げた世界で
あり、受動的に浸るものである。ストレスが溜まっている時
なんかはそれも悪くないと思うが、自分でいろいろ想像して
みるのも良いのではないか。

 話が飛んだ。 
では、雨が降らなかった場合を想像してみよう。
 いきなり東へ向かい、大将ヶ根付近から信長坂方面に入ろ
うとすれば、今川方前軍に対応される可能性が高い。軍勢の
向きを変えること(戦闘用部隊が前方、支援的部隊が後方)
は大変ではあるが、出来ないことではない。義元本隊へ向か
って駆けつけるだろう。そもそも
『かからば引け、退けば引き付けよ。とにかく練り倒し、追い
 崩せ!分捕りはせず、首は打ち捨てにせよ!』
と中島砦で激を飛ばしておいたくせに、敵正面を避けていきなり
迂回というのはどうかと。相撲の立合いにしても、正面から当た
ると見せかけてから、変化をする。
 基本は正面から当たる。しかし、別動隊を送って敵の側面や
背後を突くのはよくある手段だ。
 翌年発生した第四次川中島の戦いで、武田軍は別動隊で上杉軍
を攻撃しようと企図した。(結果的には裏目に出たが)
 後に行われる長篠の戦で、酒井忠次に鳶ヶ巣山砦などを攻撃さ
せて戦果を挙げている。(意思決定プロセスは置いておいて)

 信長は、当初は今川前軍に正面から当たるつもりだったと考える。
『かからば引け、退けば引き付けよ。とにかく練り倒し、追い
 崩せ!分捕りはせず、首は打ち捨てにせよ!』
その頃の信長は自ら軍勢を率いて戦っていた。馬廻りには、軍勢を
任すことが出来るような武将は育っていない。柴田勝家のような
武将もいるが、まだ帰順して間もないから信頼しきれない。
だから、野戦での勝負勘が優れていた時期だったのかもしれない。
不慣れな土地まで出て来た敵に対して、細かく駆け引きをしながら
攻撃する。首を取るなと言っているのは、とにかく敵を少しでも
多く斃し、弱体化させることを狙っていたかと考える。
 結果から追うと、いかにも義元本隊を一点集中攻撃したように
みえるが、当初はそのつもりはなかったと考える。

 そして、運命の激しいにわか雨。
信長公記によると、雨が止んでから戦闘開始したとなっている。

①今川前軍の手前で停止し、雨が止むまで待っていた。
 
 これだと、せっかく中島砦で激を飛ばして士気を上げたのに、
 雨に打たれて下がってしまうのでは。

②混乱する今川前軍の間をすり抜けて、義元本隊の前で停止し、
 雨が止むまで待っていた。
 
 今川軍ばかりが一方的に混乱すると考えるのはどうか。
 激しい雨中で進軍、戦闘を行うのは、敵味方の識別がしにくく、
 混乱のさなかで信長自身が死亡する危険がある。(同士打ちも
 あり得る)そんな危険をおかす可能性は低いのでは。
 今川方が指をくわえて見ているばかり、ではなく、信長軍に
 襲い掛かると思われる。逆に信長軍は包囲される。

ということで、士気を維持するにはそのまま動きを止めない方が
良さそう。それなら、別動隊を送り込んだ信長坂方面へ向かった
方が良さそうだ。 雨で今川前軍の動きは鈍り、追撃はなさそう。
こちらの動きも把握出来なさそう。ということで、予定変更。

 後の世では『迂回』という言葉が一人歩きしているように見える。
が、今川前軍を『迂回』して義元本隊へ向かった、という要素が
実際にあったから、と考える。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?