見出し画像

努力できない僕を救った、恩師の言葉

「あなたは才能がないんだから、努力だけはちゃんとしなさい」
「努力は誰にでもできるんだから」

私は、自分の予備校の生徒に、このような指導は絶対にしません。

一見すると正論のようですが、言われた側にとってはなんの救いもない言葉だからです。そんなことを言われても、どうしようもない。

すべての人が「がんばるぞ!」という気合いだけで努力することができたら、誰も苦労しません。

私自身、小さいころから「自分は努力できない人間だ」と感じていました。しかし、中高の恩師に言われた「ある言葉」がきっかけで、考え方が変わったんです。

努力できない人は、どうすれば幸せに生きていけるか。

今回はそんなお話をします。

がんばれる弟と、がんばれない自分

私の弟は、すごく努力ができるタイプです。

小学生のころから、弟は子ども会のソフトボールチームに所属して、どんなに眠くても毎朝6時に起きて素振りをしていました。中学では野球部に入り、朝から部活をやって、ドロドロで帰ってきて、そのうえ勉強もしっかりやる。

弟はどんどん野球がうまくなりました。2年生でショートを守って、レギュラーとして大活躍しました。体も超ムキムキで、ほんとうに立派です。

私には、とても真似できませんでした。

どうやっても、そんなにはがんばれない。朝は眠くて起きられないし「きついな」と思ったら休んでしまう。ちなみに子ども会は、途中で退会してしまいました。

それはもう、意思の力ではどうしようもなかったのです。

がんばれる弟は、みんなからとても褒められます。いっぽう、私はぜんぜん褒められず、どんどんひねくれていきました。「そもそも野球ってなんなんだよ、ボール投げたら危ないだろ」なんて思っていたんです。

楽しようとすると怒られる

どうしてもがんばれなかった私は、つねに「いかに楽に成果を出すか」を考えるようになりました。

小学生のときの話です。

私の通っていた小学校では、テストで満点をとると「よくできました」と金色のシールをもらえました。計算ドリルや漢字のテストでも、リコーダーやハーモニカのテストでも、同じシールがもらえます。

当時は、みんなそのシールが欲しかった。

ところが、私はハーモニカが苦手でした。一方で、算数はけっこう得意。「だったら、得意な算数をやったほうが、楽にシールがもらえるじゃん」と思いました。

それで、計算ドリルのテストでたくさんシールをもらい、それを剥がしてハーモニカのほうにも貼っていたんです

これがバレて、先生にはめちゃくちゃ怒られました。

でも私としては、算数ならとても楽に「シールをもらう」という成果を得られたのです。先生には「そういうことじゃない!」と怒鳴られました。いま考えると、たしかにそういうことじゃないんです(笑)。

ただ、「がんばったら褒められて、楽をすると怒られる」ということには、やっぱりどうしても納得できませんでした。

努力できることは「才能」である

努力だけは、誰にでもできる。努力できない人は、ただ怠けているだけ。

私はこういった考えに、ずっと疑問を感じてきました。自分自身が「がんばれないタイプ」の人間だったからです。

最近の研究では「努力は誰にでもできる」というのは、誤りだという説がでてきているそうです。「生まれもった遺伝子が、努力できるかどうかを左右する」といった研究結果もあったりします。(参照:ミシガン州立大学サイト 

苦しくてもがんばれる人には、生まれもった「努力の才能」がある。

そう考えると、「努力は誰にでもできる」と決めつけるのは、とても暴力的なことです。

「努力できる」というのは「運動神経がいい」とか「背が高い」みたいなことと同じようなもの。努力の才能がない人に「とにかくがんばれ」と言うことは、身長が小さい人に「気合で背を伸ばせ」と言っているようなものなんです

「甘え」とか「気合が足りない」といった精神論では、前には進めません。

「がんばらなくていいから、結果を出せ」

私の話に戻りましょう。

弟みたいに努力の才能もない。小学校でも怒られてばかり。「自分はダメなやつなんだろうな」と思っていました。

そんな私が自信をもつきっかけになったのが、中高の担任の先生です。

先生の口癖は「がんばらなくていいから、結果を出せ」でした。

「がんばったんです!」なんて言わなくていい。がんばったアピールはいらないから、とにかく結果を出せ。

それを中高6年間、ずっと言い続けられたのです。

ちなみに学校としては「とにかく努力しなさい」という方針でした。黒板の上には「努力の上に花が咲く」という標語が、額縁に入れて飾ってあったぐらいです。

そんな環境でも独自の方針をつらぬく変な先生だったのですが、私は彼をとても尊敬していました。

先生は宿題もほぼ出さないし、テストも普通。ただ、テストの結果に対してだけコメントするんです。「点数上げなくちゃいけないけど、どうすんの」「いつまでにやるの」と。まるでリクルートの上司です。

それが、当時の私にとっては救いというか、衝撃でした。

「がんばらなきゃいけない」という呪いから解放されたことで、めちゃくちゃ楽になったのです。

がんばらずに結果を出す方法

「がんばる」というのは、ただのプロセスにすぎません。

プロセスにこだわらなくても、最終的な「結果」が出ればいい。

「めちゃくちゃがんばってとった100点」と「ちょちょいのちょいでとった100点」の価値は同じなのです。むしろ、苦しまずに結果が出ているぶん、後者のほうがお得です。

ふつうは「がんばらないと結果は出ないんじゃないか?」と思うでしょう。たしかにそうなんです。正確には「やらないと」結果は出ない。寝ているだけで、すべてがうまくいく方法なんてありません。

ただ「がんばらずにやる」方法なら、けっこうあるんです。

どういうことか? 説明していきます。

技術は才能の差を「無効化」する

カギを握るのは「技術」です。

たとえば、私が「足の速さ」でボルト選手に勝つなんて、ふつうは不可能でしょう。それこそ、遺伝子レベルで無理。しかし「はやくゴールに到着する」という結果を得るためなら、プロセスはなんだっていい、としたらどうでしょうか。

そうなると話は変わってきます。

バイクに乗ってしまえば、私でもボルト選手よりはやくゴールできるからです。

ほかにも、ふつうは「計算スピード」で暗算大会の優勝者に勝つことはできません。でも、コンピューターを使ってしまえば、私でも楽に早く計算ができるわけです。

足の速さや計算スピードなどの才能は、バイクやコンピューターなどの技術によって「無効化」できます

「そんなのズルじゃん」と思う人もいるかもしれません。

たしかに、試合でそんなことをしたらズルです。しかし、スポーツと違って、人生にルールはありません。使える技術はどんどん使ったほうが、絶対にお得です。

「努力の才能」も無効化できる

圧倒的に便利な技術があれば、才能の差なんて関係なくなる。それは「努力の才能」にかんしても、例外ではありません。

努力の才能を無効化するのは、「習慣化」や「効率化」の技術です。

努力の才能があれば、苦しくても気合で継続できるでしょう。しかし、どんなことでも習慣化してしまえば「なんの気合もなく、自然とやれる」状態になります。

気合で圧倒的な量をこなして、成果を出せる人はすごいと思います。しかし、効率的なやりかたを追求すれば「目標達成のために必要な最小限のこと」だけで、量をこなした人とおなじ成果を得ることができるんです。

がんばらなくても、やれてしまう。気合を入れなくても「努力」ができてしまう

努力の才能がないのなら、「習慣化」や「効率化」というバイクに乗ってしまえばいいのです。

そういった「技術」を使うことで、結果的に継続してなにかに取り組めたら、それは「努力」をしたのと同じ結果を生みます。技術を使ったとしても、「気合」だけで達成したとしても、結果の価値に差はありません。

がんばるのが苦手な私ですが、大学受験も、起業してからの経営も、そういうマインドで臨んだことでそれなりにうまくいきました。

結果を出すために、勉強や仕事はもちろんやりました。特に起業当初は、人より多めにやった時期があったと思います。けれど、それを努力だとは感じていませんでした。

「苦しい努力」「気合でやる努力」は、ほとんどしていないんです。

ふつうは「つらい努力」が必要なプロセスを、技術によって「ハック」する。そうすれば、苦しまずに結果を出せる。

それを、自分と同じように「がんばれなくて苦しんでいる人」に伝えたくて、いま私は「スタディーハッカー」という会社をやっているのです。

努力できないことは「ふつう」です

人は生まれつきでこぼこで、決して「平等」ではありません。

人それぞれに得意・不得意があるし、才能の差があるのはあたりまえ。それなのに「とにかくがんばることが正しい」という一律の価値基準だけで評価するのは、おかしな話です。

努力が得意な人はがむしゃらにがんばればいいし、そうじゃない人は別のやりかたを試せばいい。

大切なのは「どんなゴールを達成したいか」です。達成のためのプロセスは、いろいろあっていいはず。

もし、いまあなたが「がんばること」に苦手意識を感じているなら、ぜひ一度「がんばる以外の選択肢」に目を向けてみてはいかがでしょうか。


習慣化や効率化の具体的な方法は、こちらのnoteにも詳しくまとめていますので、気になった方はぜひ読んでみてくださいね。


この記事が参加している募集

忘れられない先生

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?