熊本地震と私 ⑸
私がいたのは指定避難所ではなかったため、行政からの物資が届くまでに数日の時間を要した。
ただ、OPや在学生、近所の方々が物資を持ち寄り、特段飲食に困ることなく過ごすことができていた。
時に韓国出身の先生がチヂミを、スリランカ出身の先生がカレーを作ってくださった。みんなで囲む食事はそれだけで幸せだった。非日常の中に日常を感じるホッとする時間。
避難者が徐々に自宅や知人宅へ戻っていく中で、県外から美味しい炊き出しをしに来てくださる方々もいらした。
今でも覚えいるのは千葉県から来たお二人のシェフ。葉物とおだしを使った絶品のソースが今でも忘れられない、感動の味だった。
月日が経って他の人にその方々について聞いてみたが、情報がほぼわからない状況のまま。今もわからずだが、感謝の気持ちがどこか回り回って届くことを願っている。
そして、避難所内の運営が避難者で回っていくと、徐々に大学生は外でボランティアをし始めた。大学にボランティアセンターがあるため、そこを介して別の避難所(小学校)などに複数名で手伝いに行く流れができた。
ただ、私は避難所開設からずっとそこでの生活やかってがわかっていることもあり、中で継続して避難所運営を行うポジションを任されることになった。
他の避難所に行ってきた学生から聞く限り、自分の避難所がいかに快適で、自治体制ができているのか知ることにもなった。
⑹ へ続く