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ボクと正義と「アンパンマン」

小学生のころ歌っていた「手のひらを太陽に」はやなせたかし先生の作詞だとこの本を読むまで知らなかった。アンパンマンだけではない所でも影響を受けていただなんて。そういえば、ご近所の子ども(当時2才)の好きなキャラクターもアンパンマンだった。私が生まれる前から、生まれて大人になるまで、そしてこれからの子どもにまでたくさんの愛と勇気をくれる存在、その生みの親のエッセイ集。

ボクのように才能にあまり恵まれていない者はゆっくりと走ればいい。「あきらめるな!」と自分を叱咤しながら眼の前1メートルぐらいの地面だけ見て走り続けるというやり方です。

「アンパンマンを探せ!」より

ボクは才能がうすいから、さしたることはできません。賞にも、あまり縁がありません。でも、全力をつくしてひとを喜ばせる仕事をしたい、と思っています。

「血の色は紅い」より

やなせ先生は大器晩成で「自分には才能はないけどコツコツ続けていたらいつの間にか周りが居なくなり先頭に来ていた」ということが随所に書かれている。ご自身で才能がないと思っても子どもに対しての「思い」だけは人一倍強かったのだろうな。弟を戦争で亡くし、自分も戦場へ行っていた。その原体験から、やなせ先生は戦争を無くす方法は「分け与えること」だと本気で思っていたしその思いを具現化したのが「アンパンマン」だった。

子どもの時に心に染み込んだものは、大人になって出てきます。それくらい子どもの頃の生活は大事だし、まわりの大人の責任も大きいのです。ボクたち子ども向けに作品をかいている者の責任も重大です。基本的な精神のデッサンは三歳から五歳ぐらいまでに完成しているように思います。いわゆる「三つ子の魂百まで」ですね。

「アンパンマンを探せ!」より

ボクはあまり教訓的なことは好きではありません。お話はできるだけ面白く娯楽的であるほうがいいと思っています。しかし、面白さのために毒はいれません。なぜなら、精神的栄養になる子どもの時の絵本や音楽は身体を流れる血液と同じだからです。

「血の色は紅い」より

やなせ先生は子どもを一つの人格として、大人以上に真髄に向き合っていたのが全体を通してよく分かった。例え3才の「子ども」でも大人の想像以上にいろんなことを読み取れる「おとな」であること。吸収力が抜群にあるからこそ周りの大人の影響をストレートに受けること。

この本を読んで、子どもに対しての責任を一身に引き受けて作品づくりをしていたことを感じた。私はよく街中で親子を見かけると「もし自分に子どもができたらどんな風に子育てするだろう?どこへ行ってどんな遊びを一緒にするだろう?」と妄想する。(頭の中に行きたい場所リストはある)やなせ先生のように「愛と勇気」を見せられる親になりたい。生活や娯楽を通じていつも「あたたかい光」を与えられる存在になりたい。そんなふうに思った。(ま、いつ親になるかなんてわからないんだけどね!)

皆さんも自分の好きなことを見つけてください。見つからない人は探し出すことです。好きなものであればコツコツ努力する事も決してつらくありません。楽しみながらいつのまにか何かをつかむことができます。とかなんとかいっても、絶えず探し求めていなければつかむことができません。チャンスにもめぐりあえません。だからボクらは失敗を恐れず絶えず挑戦をくりかえしてやっとつかむのです。

「好きなことでコツコツ努力」より

ひとはみんな、よろこばせごっこをして生きています。それが、このいかにもさびしげな人生のささやかなたのしみになります。ボクらはそんなに長く生きはしません。星のいのちにくらべれば、瞬間に消え去っていきます。それならば、その束の間の人生は、なるべく楽しく暮らしたほうがいい。そして、その楽しさの最大のものは他のひとをよろこばせることなのです。

「一番うれしいこと」より

この2文章は一番のお気に入り。読み返すとふっと柔らかいチカラがみなぎってくる。自分用に残しておく。

ロールパンナとメロンパンナが好きでした

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