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中学の時の親友から「ハルヒの新刊読んだ?」ってLINEが来てちょっと泣いた

ハルヒの新刊が出た。『涼宮ハルヒの直観』というらしい。もちろん作者は谷川流、イラストはいとうのいぢ、レーベルは角川スニーカー文庫。

いまさらいうまでもないことだが、ハルヒの前の巻である『驚愕』前後巻が出たのは2011年の春だったから、およそ10年ぶりの新刊になる。出るわけがないとみんな思っていたから、新刊の告知がでたときにはニュースにもなっていた。

クソデカ主語で恐縮だが、2000年代後半にオタクをやっていた人間は、だいたいハルヒを通っている。年がバレそうだけれど、おれの場合は深夜アニメとかラノベとかに関心を持ちはじめたときにはもうハルヒのアニメの一期は終わっていた。クラスの仲の良い男子たちがなにやら深夜アニメの話をしているらしいと気づいて、とりあえず当時流れていた『みなみけ おかわり』を見はじめたのが最初だから、あれは2008年のことである。よりにもよって最悪のクソアニメ『みなみけ おかわり』から見はじめたわりには、ハマった。それになにより、昼休みに体育館でバスケをするわけでもなく、教室であれこれと駄弁るわけでもなく、図書館で自習をするわけでもないカーストの男子たちは、クラスを越境して廊下の隅でその種のコンテンツの感想を話し合うものだった。休みの日には駅前のアニメイトに行けば時間を過ごせた。やり過ごせた、といってもいい。あれがなければ本当に何もすることがなかった。

そういう友達のなかでもいっとう仲のよかったのがYで、中学のあいだはずっとクラスも一緒だった。『消失』の映画も見に行った。荒廃して逮捕者も出た学校で、どのカーストとも仲良くやりながら授業はちゃんと受けるコンビだったから、教諭が配慮してくれていたのだろうと、あとで気づいた。高校で別れたあとも一緒に『けいおん!』の劇場版を見に行き、相も変わらず今だって年に数回は連絡をとり、盆には地元で遊ぶのだから、「卒業してからは疎遠になったけど今でもたまに思い出す」的なエモの定型が惹起される間柄でもないのだが、ま、時は経ち、お互い地元を離れ、それなりに大人にはなった。そういう時間が流れているあいだ、ハルヒの新刊は出なかったのだった。

今日、平日の真っ昼間だというのに、たぶん向こうの職場の昼休みなのだろう、Yから「ハルヒの新刊読んだ?」ってLINEがきた。こっちはこっちでやることさえやれば私用のスマホはさわってもいいというような職場なので、すぐにそれを読んで、バカだなあと笑った。それからちょっと泣いた。「ちょっと泣いた」というのはTwitter構文であって、精確にいうなら、万感がこみ上げたということである。

いったいなんでこんなことがこんなにエモいのだろうと、一日中考えていた。このあいだも「おばあちゃんちに顔出したら部屋で芋虫見つけた」とかいう訳のわからないLINEをもらっているので、懐かしくて懐かしくて涙が出るというわけでもない。ハルヒの新刊がもう書店に出ていることだって、駅から職場までの通りにある本屋にポスターが貼ってあるから知っていた。それなのに妙にしんみりしてしまうのは、東京みたいに面白いものがたくさんあるわけでもなく、けれどもチェーン店はなんでもそろっている郊外都市に生まれ落ちたことを呪いながら過ごした思春期を生き抜くことができたのは、たぶんハルヒみたいなものにアクセスできたからだと、いつも心のどこかで思っていたからだ。テレ東が見られて、バスに乗ればアニメイトや映画館に行けたことが、ごく短い青春時代の思い出たりうることを、「ハルヒの新刊読んだ?」という10年前と何一つ変わらない文面から、察したからだ。ま、向こうはいまでも現役バリバリのオタクらしいので、何の気なしにいったのだとは思うのだけれども、消費的なエモのよくなさは充分理解したうえで、それでも熱いシャワーを浴びずにはいられない、大人には稀にあるそういう夜なので、そのへんは許してもらおう。

2000年代後半からタイムスリップしてきたみたいに奇妙な存在感を放っている「ハルヒの新刊」がこんなにも愛おしいのはそういう事情であり、だからおれは明日にでも通勤途中の本屋に寄って「ハルヒの新刊」を買わなければいけないのである。

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