おじおり

早く人間を辞めたい男 〜美味い飯を食い、知的好奇心を満たし続けながら気楽に生きるノダ〜

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早く人間を辞めたい男 〜美味い飯を食い、知的好奇心を満たし続けながら気楽に生きるノダ〜

最近の記事

〜とにかく笑えれば。最後に笑えれば。〜

 「笑い」とは人間に欠かせないものだ。辛くなった時は現実逃避として芸人さんのネタや日常の笑いに救われていた。「笑う門には福来る」とは良い言葉だ。しあわせな人には常に笑みがある。美男美女、金持ち、偉人、成功者など、日々充実している人には常に「笑み」がある。「笑み」を浮かべている老若男女を見ていると、私までしあわせや喜びが伝播し辛いことが吹っ飛んでしまう。なにより、日々、すべてを笑いに変える関西人マインドに救われている。  人生を振り返ると、私の身の回りには「笑い」があった。小学

    • 今日も迷探偵

       デスクに山積みの仕事をほっぽらかし、夜の街に繰り出した。いつも飲みに行くと、なぜか同業種の会話がよく聞こえてくる。世間一般にはニッチな仕事なのに全く謎な話である。おそらく、同業種が近接して事業所を構えていることや、コミュ障でヤニカスを吸い、きったない昭和風の店に22時以降から少人数で溜まり出す20代はケンコンマンくらいなのであろう。  今日は稀に2件続けてケンコンマンに出会した。1件目は、雑居ビルの2階にある中華料理店で、夜にもかかわらず1組しか入っていなかった。きったない

      • お叱り

         発注者にお叱りを受けた。久しくの経験だ。とある自治体の計画策定にまつわるWSで、「テーブルマネージャーの方が〇〇市のことを知らないのはいかがなものか」と参加者よりクレームが入ったようだ。自責の念にかられる。自分なりにインプットしていたつもりだが。。。(まあ実証実験中に、いきなりJV組んでいる協力会社の人がら、「おまえクビ」と言われた元上司よりはましだがw)  1年間ポッキリの契約社員として正社員にもなれず、いくら深夜や土日返上で作業をしても、残業代すら出ない末端作業員(月2

        • 生活にいろどりを

           久々にご老体に鞭を打ち、六甲を訪れた。重量の増加に伴い、体が思うように動かない。人生は山登りと同じだ。登っては降ったり、降っては登ったり、絶望し、やっとこさ頂上に辿り着く。たどり着いたら、今までの苦労や絶望感を忘れる。今の私は、とにかく馬力が足りぬ(昔にも増して)。せめて、昔のような跳躍力を取り戻したい。ただただ、体が重く前に進まない。腐ってしまった精神・肉体には、酷なようだった。少しづつでも新陳代謝をしていかねば。下りは、経験値で爆速降下できたので、まだ希望はありそうだ。

        〜とにかく笑えれば。最後に笑えれば。〜

          仕事の中に豊かさを

           近頃、感じていることがある。息長く生きるためには、日常の豊かさが必要だということを。人生は忍耐の連続だ。日々、幸福を感じるためには、何よりも精神的安定が不可欠なようだ。仕事が忙しい時にこそ、読書をしてみる、自然を感じてみるなどのコンスタントな息抜きは必要だ。少しサボったところで、大した問題ではない。むしろ精神的に安定し生産性が上がるのであれば、サボることも大事なことである。  まずは、現地調査だといって勝手に週末してみた。おもひで記録簿を作成しておこう。

          仕事の中に豊かさを

          限界末端技術員Cの憤り

           作業に対する現実逃避をしたいせいか、とめどなくモヤモヤした毒がこぼれ落ちてきている。  我々、公共コンサルは公僕よりも汚く醜くい存在だ。ハエのように数少ない食糧に寄ってたかり、食い尽くしていく。国民が納めた血税を喰うヤカラだ。生産性のない存在であり、社会にとってはゴミクズな我々であるにもかかわらず、偉そうに驕り高ぶる勘違い系自称エリートには吐き気がする。テメーも所詮ハエだろうが。ハエの分際なんだから、手足となり働けやと私は思う。無能な我々を生かしてくれる世間様へ感謝をし、他

          限界末端技術員Cの憤り

          限界末端技術員Cのぼやき

           技術員Cという言葉は存在しない。存在するのは、主任技師、技師(A)、技師(B)、技師(C)だ。むろん、私の今の身分は技術員C程度であろう。人権は存在しない。人権にまつわる行政計画を作成しているにも関わらず、なんとも皮肉なことだw。リベラリスト、審議会委員、議会、首長、無知役人、鉄人技師、使えないAIによってかき乱され、こき使われる自分が情けない。これが末端労働者というヤツだろう。  世の中というのは、良い人ほど損をするような仕組みになっているようだ。このシステムを変えること

          限界末端技術員Cのぼやき

          春の訪れ

          今日は初めて生きていてよかったと思えた。住処の目の前の公園では人々が楽しそうにきゃぴきゃぴピクニックしている。普段は虫やカラスぐらいにしか相手にされていない公園がどこか嬉しそうな表情をしている。それにしても、ベランダから見るさくらの絨毯は言葉を無くすほどの絶景だ。大川とさくらの絨毯を横切る環状線のカタコトという電車が走る音は脳裏に焼きつく。独り占めできて幸せすぎるだろw(家賃4万8千円でこれはコスパ良すぎテヘヘ) 大川の桜並木と人の賑わい、各橋梁(環状線の鉄橋、源八橋、桜宮橋

          なぜnoteを始めるのか???

          社会人になり、はや3年が経ち、もう26歳だ。自身の言語化能力が不足していること、己を表現した経験があまりにも少ないことによる弊害が起きていることがnoteを始めたきっかけだ。巷ではZ世代と言われているらしいが、私はSNSは全くやっていない。LINEは連絡ツールとしてのみ使っており、相手への返信は1週間遅れになることも日常茶飯事だ。そもそも、コミュニケーションにおいても相手に合わせることにストレスを感じるので、他者に干渉されず自分のペースで、できるだけ自由でいたいという思ってい

          なぜnoteを始めるのか???