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花押(かおう)の歴史【その1】起源から武家に広まるところまで

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前回は花押の概略と、現在に花押が使用されるシーンなどについてお話ししました。花押はつまり「俺のサイン」、自署の代わりに用いられる記号・符号のことを言います。

令和の現代でも閣僚たちは花押を使ってサインをしているなんて・・・!自分の花押を持つことが今なお政治家にとってのひとつの憧れでもあるのかもしれません。詳しくは↓↓↓

では、花押っていつからあるの?どうやってできたの?いつ隆盛したの?
今回は花押の歴史、花押の成り立ちについて紐解いていきたいと思います。

この話のYouTube動画はこちら↓↓



花押は中国が起源


花押は、中国の唐の時代(618-907年)に発生しました。(それより前の晋(265-420年)や先秦(紀元前221年以前)とする説もあります。このくらい古い歴史は何でも諸説あり…ですね)
もっとも、現存する資料としては唐代の頃のものも非常に少ないのだとか。

漢字から平仮名を生み出した日本人なので、同じような遊び心のある花押はもしかして日本発祥?と筆者は思っていましたが、違いました。

中国では明(1368-1644年)清(1616-1912年)の時代まで花押が用いられていたようですが、次第に使われなくなったようです。


日本の花押は平安時代から


日本において花押は、現存する資料の上では、平安時代(794-1185年)中期の900年代から見られるようになります。

その頃に印鑑が無かったわけではないと思いますが、文書の上で花押は重要な本人証明(そのため「判(ハン)」、「書判(カキハン)」、「判形(ハンギョウ)」などと呼ばれることもある)でした。

そのため、花押は他人に真似されないようにそのデザインが工夫されました。ちなみにこの頃は、花押は自署の代わりであるため、名前と合わせて書かれることはほとんどありませんでした。

しかし、他人と確実に区別するため!と言っても、現代のように印鑑登録のような仕組みはなかったようですが。


鎌倉・室町時代に武家にも広まり、形も多様化


平安時代では主に貴族のものであった花押。鎌倉時代(1180-1336年)・室町時代(1336-1568年)には、貴族以外に武家にも広まるようになります。多くの人が花押を持つようになり、形もさまざまに変化していきます。

一族を示す花押

この頃の花押の特徴は、一族で似通った形をしていること。例えば、藤原家、北條家、細川家などその時代に隆盛した一族は、一族ごとに皆似通った花押を持っていました。
最も有名な事例が足利一族の花押。足利様(あしかがよう)花押とも呼ばれています。

(出典:『花押を読む』佐藤進一著 P24,25,26,27より)

一説によれば、初代将軍足利尊氏は元々「髙氏」という名前で、はしご高の部分をデザインして作られたのだとか。その初代のデザインを後世の一族も踏襲していったものと考えられています。

何か意味のある絵でもなく、不可解だけれどどことなく可愛さもあって、その独特さにすごく惹かれます。

(出典:早稲田大学図書館 「足利尊氏御判御教書」(※)
左下ののびやかなマークが足利尊氏の花押)

※御教書(みぎょうしょ)
位の高い人からの仰せについて、家臣が発行する命令や告知の文書全般を「奉書(ほうしょ)」と言う。お偉方の位によって奉書にはさまざまな呼び名があり、その一つ、三位(公卿)相当以上の人の仰せの文書が「御教書(みぎょうしょ)」。

「御判御教書(ごはんのみぎょうしょ)」は、室町時代において、家臣ではなく直接将軍から発行された文書。将軍の直発行と言っても、文書も花押でさえも右筆(ゆうひつ、代書する人)が書くというケースもあったらしいけれど。

花押は、鎌倉・室町時代には、政府が発行するもの文書以外にも、私的な契約書などにも用いられるようになっていました。

ちなみに、花押はその人の一生涯の中で変化する場合があります。書き癖が変わっていくこともあれば、改名、地位の変化、出家などの理由に寄って意図的に変えることもあったようです。


禅の僧侶の花押

鎌倉時代、中国の宋(960-1279年)・元(1271-1368年)からの禅僧が来日したり、日本の禅僧が向こうで修業し帰国するようになりました。

彼らが持ち込んだのが、簡素で抽象的な、一風変わった花押。有名なのが臨済宗の僧侶である太陽義沖(たいよう ぎちゅう 1282-1352年)のもの。太陽をそのまま模して花押に仕立てたものではないかと言われています。

(出典:Wikiwand)いかにも禅っぽい!

太陽義沖よりも時代は少し先ですが、同じく臨済宗の僧侶・沢庵宗彭(たくあん そうほう 1573-1646年)の花押もかなり簡素で抽象的です。

(出典:広辞苑無料検索)まさか漬物の沢庵の形?!



この後、戦乱の世に入り、花押にも変化が起きてきます。
次回へ続きます。


参考文献:『花押を読む』佐藤進一 (平凡社ライブラリー)


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