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水深800メートルのシューベルト|第958話

 強い風が吹いた。アーモンドの枝先が揺れて花びらがふらりと宙に浮いた。その花びらと重なった少年がこちらを向いて、待たされて拗ねた顔を崩してこちらに手を振ってきた。


「じゃあな兄貴。宿題頼んだからな」
 僕は頷きながら彼らを見送った。風が冷たかったのでポケット手を入れると、折れた手紙の角がチクリと触れた。じんわりととした痛みと風の冷たさが、そこには居なくなった彼女の存在を思い起こさせた。
 

 
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 休暇は瞬く間に過ぎ去った。リビングにあるグレーのソファには、僕の鞄やアビアナの脱ぎっぱなしの服の代わりに、褐色の巨人の頭があり、そこから湯気が立ち上っていた。湯気は深入りローストコーヒーの香りを載せて、室内に忍び込んだ湿気と混じり合っていた。

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