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【杉原千畝】:命のビザを書いた外交官

こんにちは

さとしです

今日は僕が尊敬する歴史上の人物

「杉原千畝」について書いてみようと思います😊

「命のビザ」って聞いたことありますか?

1.杉原千畝

杉原千畝は

第二次世界大戦中
「リトアニア」という国で
外交官をしていました。

当時
ナチスドイツによって迫害を受けていた
いわゆる「ユダヤ難民」は
占領され、国々を追われていました。

ホロコーストと呼ばれる
ナチスドイツ軍による虐殺から
逃げ続けていたのです。

その中、追われたユダヤ難民の一部が
千畝のいる、リトアニアまで逃げてきました。

そして

彼らは千畝に対し、こうお願いしたのです。

「ナチス・ドイツに限らず、ヨーロッパの国々がユダヤ人を差別している。日本を通り、安全に暮らせる国に行きたいので、日本を通過するためのビザを発給してほしい。」と

千畝は、とても悩みました。

なぜなら、彼らにビザを発行するには
日本を通過し最終的にたどり着く国の入国許可証と
そのための旅費を持っていることが条件だからです。

ユダヤ難民の彼らは
行く宛も無く、逃げ続けている者や
旅費を持っていない者がほとんどでした。

つまり、ビザを発行する要件を
彼らは満たしていないのです。

公務員の千畝は、ルールを無視して
彼らにビザを発行することは、できません。

早速千畝は、日本政府に対し
事情を説明し、ビザ発行について問い合わせました。

しかし、日本政府の回答は
「ビザを発行してはならない」
といったものでした。

その間にも、外でビザを待つユダヤ人は
数千人にふくれあがったといいます。

千畝は悩みました。

もしここで上の命令に逆らってビザを発行したら
公務員をクビになり、家族共々路頭に迷うことになる。

しかし、目の前には
理不尽に、命の危険にさらされている人々が
大量にいる。

彼らを無視することが公務員の仕事です。
ビザを発行することは、組織の命令に逆らうことになります。
当然、立場がなくなります。
自分たちの生活もかかっています。
自分が生きることを考えたら、確実に無視するべきです。

しかし、千畝は
ビザを発行することを決めました。
このことについて、後にこう言っています。

「私のしたことは外交官としてはまちがっていたかもしれない。だが、頼ってきた何千人もの人を見殺しにはできなかった。」

当時、コピー機などなかったので
すべて手書きでビザを発行し続けました。
朝から晩まで、ずっと書き続けたそうです。

1カ月後
次の勤務先に移動するため
リトアニアを離れる日がやってきました。
千畝は移動するための汽車に乗り込んでも
ビザの発行を続けたそうです。

そして、戦争が終わり。

千畝は日本に帰ることになりました。

そこで千畝を待ち受けていたのは
公務員の残酷な現実でした。

組織の命令に逆らってビザを発行したため
外務省をクビになったのです。

しかも
「ユダヤ人から大量の金をせしめた代わりにビザを発行した」
という、言われもない噂までたてられたのです。

人道的に正しいことをしたのに
組織人として正しいことをしなかったからです。

結局、生涯外務省に戻ることはありませんでした。

そんな千畝に
ある日嬉しい知らせがありました。

リトアニアでビザ発行を依頼してきた
ユダヤ人の代表”二ジュリ”が無事生きており
日本のイスラエル大使館にて千畝と再開を果たすのです。

”二ジュリ”は、そこで初めて
千畝が組織の命令に逆らってビザを発行したことを知りました。

このことを知った”二ジュリ”を始めとするイスラエル人の代表は
千畝に対しイスラエル最高位の勲章を贈りました。

千畝は日本の公務員から長く
組織に不服従の不届き者として扱われていましたが
このような表彰を受けることで
千畝の行いや、政府からの冷遇が明るみになり。
千畝の行動は人道的に正しく、政府の冷遇は間違っている
との世論が大きくなりました。

2000年
河野洋平外務大臣が正式に杉原家に謝罪し
千畝の行いを人道的行為と称えられ
千畝の名誉回復がようやく公式にされました。

これが
「杉原千畝の命のビザ」のお話です。

2.自分の頭で考える人が好き

千畝の行動は
まさに自分の頭で、何が正しいかを考えた行動でした。

僕は、千畝が好きです。

このお話は
僕が公務員を嫌だと思う部分が
とても分かりやすく書かれています。

自分を見失いそうになる度に
杉原千畝を思い出します。

僕は公共団体職員ですが
その前に一人の人間です。

彼のように
自分自身を生きる

組織に服従せず
自分が正しいと思う道を進む。

自分の限界まで
これに挑戦したいと思います。





おわり



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