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色々言い訳してたらセルフコンパッションの話してた
初めまして。くまです。
良いことを言おうとすると
・結論を早めてしまう
・言葉の体裁を気にして芯がブレる
・決めつけた思考になってしまう
そんな気がします。
まぁ本文には関係ないですが
「がんばれ」と言うのは簡単です。
頑張らないのも簡単です。
リゼロのスバルは「諦めるのが簡単だったわけない」と言っていましたが、基本人間は頑張りたくない、諦めたい。
「一生暮らせる金があるならば働きたくない」「あぁ〜宝くじ当たんないかな〜」と多くの人が言うでしょう。
『何をすれば良いかわからない』は『達成する方法がわからない』『やりたいことがわからない』でもありますが、一番根本は『めんどくさい』です。
成功する人はめんどくさいを御せる能力があります。
ハードルが同じ高さであれば生まれつきの足の長さで有利ふりが出ます。あるいは身体の柔らかさ、基礎筋力などもあるでしょう。
現代においてその生まれつきの差は努力、つまり「がんばれ」で埋まるもののように見えますが、それは可視化されているからに他なりません。
適切なフォームで走り、振り、投げれば理論上は最高のパフォーマンスができる。スポーツはそういった目に見える自己到達点がある競争になりました。
一方生きることに関しては同様には言えませんです。ゴールの見えない成功像に向かって努力する必要があります。
そこでは「何をすればいいか」「何が必要とされているか」を考える想像力が必要になります。ハードルを越えるための可視化能力が。
多くの成功者が自分の大成の秘訣を語りますが、我々がそれを聞いてわかった気になるのは、既に可視化してくれたものを見せてもらっているからに他なりません。
聞いたところでその技能が身につくわけなく、浪費と満足感、一時の優越感が得られるのみ。
自己啓発のセミナーがその例として挙げられますが、参加すること自体は悪ではありません。ですが、何の知性も得られないで妄想オナニーに耽っているのは、せっかくの努力を無駄にしているように思えます。
頑張ったんだから見返りは欲しいでしょうが、伝家の練習法を教わったからといって実力は上がらないように、(もっと遠回りな成功の秘訣である)成功譚やマインドを知ったからといって何が変わるわけでもないのです。少なくとも聞いただけでは。
結局成功のために何が必要かと言うと最もシンプルな答えが最近の主流なのではないでしょうか。
『頑張ること』
「なぜ自分みたいにやらないのか」と成功者は言いますが、先に長々語ったように「いや、ハードルを越える力が違うじゃないか」と返したくなります。
「君は足が長いからね、遠くも見渡せるし、僕の困難を造作もなく踏み潰すじゃないか。対して足の短い僕なんか、目の前のことしか見えないし、君の塵芥は僕にとっての土石流なんだよう」
まぁこのように能力値の不平等、人生の不平等性を嘆いたって成功はしません。一時の自分の慰め程度にしかならないでしょう。でもそれでいい。
今日のタイトルは
うまい言い訳と内省が成功と平穏を保つ
結局は頑張らないと成功しません。
頑張っても成功しないかも。
でも、頑張らないといけません。だって「お金ないもん」
お金を稼ぐには必然的に働く必要があります。働くと表現すると会社員や作業員などの人的資本をお金に変えるものを思い浮かべがちですが、お金を稼ぐことは全て労働といって良いでしょう。
もう聞かなくなったでしょうか?「これが私の天職だ」と言いますが、それは能力値と必要とされる技能が合致したときだけです。
成功者に言わせれば「嫌なことは続けなくていい」という助言にも繋がります。
それを受けた労働者の反応はさまざまあるでしょうが、近年の転職ブームを見るに昔のような継続至上主義(すっごい偏見)はもう廃れたのでしょう。
「個人の能力を高めてより良い条件で雇ってもらう」これが転職家の常套句です。これは多くの人が『頑張るようになっている』のだと見えます。
じゃあ頑張らないとどうなるか。その答えは明白です。
頑張るハードルが高くなったか越えるものが多くなったのか。
学問が発展して文明は高度になりました。何が変わったかと問われればあらゆる物に変革があるでしょうが、その一番は情報量です。
小学校でさえ教科書が何冊もあり、学ぶべき情報が無数にあるにも関わらずそれは全て基礎だと言う。なんということでしょう。
みんなが頑張っている状態は周囲の文明レベルが上がっている状態です。学ぶべき時に学んでいなくては生きられない。文字通り。
現代日本の政治のせいでもあるでしょうが、数年前よりも成功のためのハードルは格段に上がっているように思えます。
それすら脚長さんには小さいハードルに見えるかもしれませんが。
ところどころで卑屈な文を書いているのですが、これは私の挑戦しない言い訳です。
「言い訳を言うな」と怒られたことはないでしょうか?
「言い訳ばっかで何にもしていない」と罵られたとこはないでしょうか?
私だけ?
言葉は魔力のようなものがありまして、特に幼少期に禁止「ダメだよ」とされていたことは自然と避けたり、大人になっても無意識に忌避していたりします。
言い訳という単語は良い風には使われず、悪いことの付け合わせのように言われるものです。
言い訳をして挑戦から逃げてしまったという経験もあるでしょう。
それらの経験が『言い訳』=悪いことのように思わせてしまう。
逃げるための手段が『言い訳』だとして自分の恥点のように思ってしまう。
それは精神衛生上良好ではありません。
常に挑戦はできませんから、ちょっと休憩のためには合理的な言い訳が必要になります。
let’s 言い訳。
メンタルヘルスを気にかけている人であれば自己肯定感を考えたことがあるでしょう。ご存知の通りそれは自分の良いところだけを認めることではありません。
酸いも甘いも自分であると認め、受容すること。
特性は変えられないと認識してその上で行動を変える。これが自己肯定感を持った人の挑戦の姿勢です。
『めんどくさい』で努力ができないことは自分の汚点かもしれないが、まぁ別にいいじゃない。
その姿勢を得るためには成功が必要というパラドックスがあるのですが、その前段階は挑戦の姿勢でいいでしょう。
何かできるはずだと盲信することで自信を得るのは悪いことではありません。
挑戦できないのが悪いことです。
「だってお金稼げないもん」
言い訳は挑戦から身を離すためのツールです。それ以上でもそれ以下でもありません。
ただ、言い訳を使うだけでは挑戦にはつながりません。
うまい言い訳の使いこなしには自分の心の働きを掴むことが大切です。
「自分は今、言い訳をして挑戦から逃げているな」と客観的に見たり
「言い訳で努力から一歩引いたことで気が楽になっているな」と内面を捉えたりすることで第一段階はいいでしょう。
次に温かい言葉をかけてあげる。
「自分は弱いから常に頑張るのは無理だ。だから言い訳をしてしまった。でもしっかり休んだらまた挑戦すればいいからね。あまり気負わずにやっていこうか」
心理学ではこれをセルフコンパッションと言いますが、些かおままごとのようで幼稚、スピリチュアルのようで懐疑、あと自分を許容する気恥ずかしさで「そんなことしなくても」という言い訳が湧いてきます。
そういった方は日本の風土病なのでしょうが、ネガティブで不健康な状態が誉められる信念に陥ってはいませんか?努力の証を調子の悪さで表す、失敗への言い訳にセルフハンディキャッピングで自己防衛。自己受容を甘さだと思う信念。
言い訳は精神良好にとっても有用ですが、挑戦するという大前提を壊してしまえば身を滅ぼす諸刃の剣です。なんでもやってみるのがいいでしょう。
不思議なことに精神が良好だと自然に頑張れます。
長々成功者と能力なしの人生差を語りましたが、実際にはそんなに差はないのかもしれません。ですがそれも言い訳。他人に強要をせず、自分の精神性が良好であればなんでもいいでしょう。
大事なのは成功すること。あるいはお金を稼ぐこと。
まずはお金が大事です。健康な精神はお金の上にある。と台無しなセリフで今回はおしまい。
結果挑戦できればいい。
言い訳は安全地帯への退避
良好な精神性は安地の土台
セルフコンパッションは再び飛び立つ手段
良好な精神性の土台は経済的安定
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