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曖昧なイメージへの依存が能動を妨げる

初めまして。くまです。

笑顔でいれば大抵はうまくいきます。人生の大抵は人間関係で構築され、その攻略法は笑顔で好印象を得ることだからです。



やる気が出ない時に何をしますか?

目標達成を主眼において行動するのであったら「やる気のない時にも実行できる習慣を心掛ける」「やる気のなさの原因を追求して事前の対処をする」などが良いのでしょうが、如何せん“やる気依存の人“はその場で停滞してしまいがちです。


できることならやる気スイッチを押して励みたいところですがそんなものはありません。そして、やる気スイッチというイメージもよくありません。


これさえすれば後は頑張れるというものを体験したことはありますか?ないのでしたらやる気を出すイメージ、自分にあった正しい方法を捉え損なっているのかもしれません。


今日のタイトル

人生は結局はイメージによって決まる。そこを捉え間違っていると見当違いな努力と自己認識につながってしまう。



イメージというのは侮れないものです。

言葉よりも客観性を持たないのに、思考はそれに依存し、私たちはその結果に満足しています。

例えば、身近で誰もが使うであろうスマートフォンの内部構造や通信の仕組みを理解している人は多くないでしょう。「ワイヤレスってどういうどうやってつながっているの」と聞かれて答えられるでしょうか?

「よくわからないけど使えるからまぁいっか」これが世の多数派です。こういった方々がドラム缶テレビを斜め45度から叩いていたのでしょう。


とは言っても脳の構造上はどうしようもない面でもあります。自分はなぜ立てているのかを疑っても立っている事実は変わらないので、疑問を省略化して常識として認識するのが省エネでとても合理的です。

なので立てている事実の根拠を、スマホが機能している事実の根拠を考えなくても能力を発揮できているので“曖昧なイメージ“でも十分だと思われています。

ここで起きる問題点は物理でのイメージ化ができないと、形而上のもの、感覚的なもののイメージ化が難しくなることです。それは精神状態を把握する際に非常に不利になります。

精神状態を把握することなんて意味ないよと思いますか?

日本で(海外での様子なんて知りませんが)精神状態をどうのこうの言うと「メンタルに問題があるのでは?」と思われやすいのではないでしょうか。そんな周りの目を気にしたところでしょうがないので、自分の人生に集中しましょう。

そしてあなたがもし成功したいと、能動的に自分の人生を操作したいと思っているなら、精神の構造、脳の仕組みについて理解することが役に立ちます。

近年では脳科学に基づき、やる気の出し方、成長の仕方、思い通りに生きる方法、など多くを構造から語られますが、知るたびに俗世のイメージとの乖離を感じます。

なぜ乖離しているかというと、先ほどの通り曖昧なイメージで満足しているからに他なりません。


まずは脳の構造をイメージ化したいところですが、正直めんどくさいですよね。それはおそらく実践形式の知識になっていないからであると思います。


困ったことに本のリンクが出ないのですが、とっても良い内容の本です。

イメージ化ではどれだけ深く広く認識できるかが重要です。脳のイメージを濃いものにするには、ホルモンや神経、脳の器官それぞれの機能を知っておくと良いでしょう。


正しい理解を進めていますが、最終的には自分に合っているかが大切です。飛べると思ってもアヒルはあまり飛べません。でも鳥類という分類に騙され、羽の付け根の筋肉を強化すればいずれは空へ羽ばたけると無駄な努力をしている姿は滑稽ですよね。

・自分の体の構造を理解していないこと
・鳥なら飛べる。羽あるしという妄信

これらがアヒルの飛べるイメージをつくっています。

正しい理解をさせるにはまずは筋肉、骨格を知らないといけません。

これはやる気で言うところの精神、脳の構造理解です。

そして、飛べないと一度わかったのならなぜ飛べないのかという思考が必要になります。

なぜやる気が出ないのか。出ても長続きしないのか。思い通りに発揮できないのか。

できない結果がわかっているのなら、何かしらのイメージが間違っていることに気がつくチャンスです。

アヒルの場合は羽があるから飛べると思い込んでいたことが自身への間違ったイメージにつながっています。

ここまでアヒルで例えておいて今更ですが、かなりわかりづらいですね。まぁとりあえず『できないなら何かが間違っている』はずです。
最後には自分のしたいようにできるなんて残酷なことは言えませんが、(アヒルが結局飛空できないように)“常識的な範疇“だったら大体は実現可能です。



常識もイメージなので普遍の照らし合わせがない以上、捉え間違えが生じるのを防げません。世のルールとかなら聞けばいいですが、感情言語になると訊くのが難しくなります。

常識を疑うのはキリがないとはわかっていながらも、私たちの常識は不確かなイメージで構成されていることを認識しなくてはなりません。

それは精神状態の正確な把握のために『見当違いな自己認識』を正す必要があるからです。


これに関してはいい例が思い浮かばないので、浮かんだら書きます。

まぁ嬉しいと楽しい、寂しいと悲しい、などの似たような表現をしっかり区別できているかが、言語をうまく使えるかの判断基準であると思います。

「こんな簡単な表現だったらわからないわけない」と思うことでも先ほども言った通り、曖昧なイメージでできている可能性があるので、適切な表現を調べて照らし合わせてみるのも良いでしょう。

また、自分の感情の揺れうごきを察知するのも効きます。「私はなぜ不快に感じているのか」「なぜ嬉しく感じているのか」そこを掘り下げることは感情の起点となる価値観や信念を知ることにつながります。

引っ叩かれてイラつく人もいれば、嬉しい人もいることでしょう。そういった差がやる気をどうやったら出せるかという個人差につながります。


あなたはなぜやる気を出せるのか。今一度考え直してみるのも良いかもしれません。

なぜ出せないのかも。



リンクを貼るだけで「押したい欲」が出て、集中力がかなり削がれるようですが、みなさんどうでしょうか?


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