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「大伝馬町木綿店」−景観を整える策はこの時代から?−『江戸名所図会』

今日まで両親が愛媛県に旅行に行っていました。
2泊3日で行っていたのである程度の観光はできたみたい。

坊っちゃんグッズをお土産に頼みましたが、流石になかったようです。笑

空港に坊っちゃんの格好をしたキューピーちゃんのキーホルダーがあったみたいですが、キーホルダーってもうこの年になると付けるところが無いものですね。笑

自転車の鍵しかキーホルダーの見せ場ってないですね。

そんなキーホルダーの使い道を考えあぐねている今日も『江戸名所図会』。

国立国会図書館蔵

「大伝馬町木綿店」です。
昨日のように何かのジャンルに特化した区域が中央区あたりには点在してたのでしょうか。

右には丸屋「叶」、左には長井「○」わたや、とあります。

左の店が綿を取り扱っていることはわかりますね。
大伝馬町がこうして木綿屋に溢れた歴史が国史大辞典に記載がありました。

寛永年間(一六二四―四四)に一丁目には四軒の木綿問屋ができ、多くの木綿店仲買商人が集まったが、貞享三年(一六八六)に仲買の七十軒も木綿問屋となり、ほかにも繰綿問屋もでき、一丁目は木綿店ばかりといわれた。多くは伊勢・尾張など木綿産地からの出店で、家屋も特に銅瓦などを許されて豪壮であった。二丁目・三丁目には各種の問屋・薬屋・浄瑠璃本屋などが集まってい、塩町は下総の行徳塩の売買が行われた場所であった。

国史大辞典

江戸の初期の方で既に木綿屋が立ち並んでいたのですね。
しかし江戸の人々が突然「木綿屋おこうぜ〜」と言い始めたわけではなく、伊勢や尾張などの木綿が生産の地域からきた出店であったそう。

木綿とは言わず、いろいろなお店が立ち並んでいるみたいです。


国立国会図書館蔵

広重の『東都大伝馬街繁栄之図』です。
まるで駿河町のような光景ですが、富士山は少しだけ左にずれているみたいですね。

どのお店も同じような暖簾を下げていますが、しっかりと自分のお店で何を売っているのかがアピールされています。
藍色染めの暖簾は駿河町のように統一感を生み出す効果がある気がする。

気になるのはどのお店も空いていないというところ。
常連でないと入りずらい気がしますね。
なぜこんなにも盛えていない様子を描いたのでしょう。
せっかく見栄えがいいはずの木綿店をメインにその繁栄ぶりを描けば名所絵として名のある作品になったはずですね。
しかし往路の人々の様子や富士を強調するだけで、「木綿店」出あることの強調をあえてしていないように感じますね。

この作品が制作された背景が関係しているように感じますが、この作品に関する情報が国立国会図書館デジタルでは限られているのでここまでになってしまいました。残念。


国立国会図書館蔵

広重の『名所江戸百景』「大てんま町木綿店」です。
ここをみると、一軒一軒の幅って狭いのかなって印象です。

こう考えると、幅が一間ってこのくらいなのかなって想像できます。
こちらの軒の上部が檻のようなデザインになっており、一つ上の作品と同じデザインであることから、実写的なものであることがわかりますね。
上の作品と見比べると、この道は芸者のような女性たちが通りがちだったのかなと思えますね。
この作品の素敵なところは、一つだけ暖簾が上がっていて、その中が覗けるという点。
まるで中まで奥行きが感じられる、見ている人間に気づかないで息づいているハムスターのような可愛らしさを感じます。

しかし期になるのは、暖簾の色やデザインが揃えられている点。
ここまで景観を整えているのには理由がありそう。

と、考えて色々サイトや事典を見ていますが、特にそのような記載はない。

これもまた今後の課題ですね。

今日はここまで!
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