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「井の頭の池弁天の社」−水源発見のお陰で豊かな場所に−『名所江戸百景』

今日扱う井の頭をなぜこんなに溜めていたかというと、小さい頃から慣れ親しんだ場所だからです笑。
ただそれだけ。
よく友人や彼氏と散歩をする場所でもあるので、よく知っておきたいと思い楽しみにしていたのです!

そんな話を置いてそさくさと本題に入ります。
あ、今日はお昼に貪り食べたさばのおにぎりがおいしかったです。

今日こそ広重『名所江戸百景』「井の頭の池弁天の社」です。

◼️ファーストインプレッション

この絵の主役は左下のお堂ですね。
それは題名や実際に見たことから分かるものではなく、描かれたお堂の佇まいですね。
これまで主役となる対象物を描くときは真ん中に捉えるか、風景として溶け込ませるか、あえて小さく描くとかそんな技法で描写していた気がします。
けれど今回は端にそっと正面から描かれています。
その上、周りとの色彩の区別がはっきりしていますのでお堂の黄金はよりくっきりと浮かび上がってくるのです。

島にポツンと浮かんでいる上に、周囲にある木々が余計にその神聖さを醸し出しています。
今も同じような位置関係にありますね。島になっていて周囲は大きな池になっています。

右にある陸は今の動物園でしょうか。それとも対岸として埋め立てられているところもあるのかな?

井の頭のこの弁天は家康関連だったことが記憶にありますが、細かいことを覚えていませんのでじっくり調べようと思います。

◼️井の頭の池

この池がまずどこにあるのかちゃんと把握しておく必要があります。区内ではないから、大学の友人はあまり馴染みのない場所であるようでした。

左上の赤ピンが井の頭弁財天です。吉祥寺駅から徒歩10分ほどでいけますね。着くまでの間にいい感じのお店たちばかりが並んでいるので是非過程も楽しんでほしい場所であります。
なぜこの地図をズームアウトにしたかというと、この池から南東に流れている細々とした川を辿っていくと前回扱った神田上水につながっているということがわかるからです。
とは言ってもさすがに前回の椿山荘のあたりまで映してしまうと、井の頭池まで潰れてしまうのでここまでにしました。
この井の頭公園駅から久我山高井戸に沿って流れている川はその後永福寺駅を過ぎた後に北上して中野まで行きます。そして新宿まで行ってさらに北上して高田馬場、そのまま早稲田の方面へ行って椿山荘につながります。

赤い線で繋いだものが神田上水です。
この神田上水井の頭池の水源なのでこうしてつながっているということなのです。

江戸時代当時に干ばつに苛まれることがあっても、この井の頭の池が水源となり、神田や京橋、日本橋に生活水を届けたそう。

https://www.inokashirabenzaiten.com/welcome.htm

弁財天(弁才天)はもともとはインドのヒンドゥー教の神様サラスヴァティーです。 このサラスヴァティーとは聖なる(豊かなる)河といった意味で、水の神様とされてきました。 日本でも、三大弁才天とされている、江ノ島・竹生島・厳島をはじめとして、水のそばにまつられていることが多いですし、井の頭弁財天も井の頭池の中におまつりされています。

弁財天は以前記事で扱ったのか、課題で扱ったのか確かではありませんが水の神として祀られた女性の神であったのでした。
江ノ島と竹生島、厳島に大きく祀られ、他にも日本中に点在しています。水の神であることから池や海の近くに祀られていることも納得できますね。

みなさんに七福神の一人としておなじみの弁天様は琵琶を持った2本の手の女性ですが、井の頭弁財天のご本尊は8本の手を持った八臂像で、頭上に宇賀神を載せ鳥居を冠しています。 大変優しいお顔をした美しい姿をされていますが、秘仏であり、普段は公開しておりません。12年に一度、巳年にご開帳されてお参りすることが出来ますので、その際には是非ご覧になってください。 また井の頭弁財天本堂は、弁天様のほかにも、毘沙門天や大黒天もまつられており、一度に三福神がお参りできる、大変ありがたいお堂です。(後略)

弁財天の御本尊である八臂像はなかなかお目にかけることができないのですね。
いつか拝んでみたいものです。
この弁財天は最澄の作であるらしい!

一気に毘沙門天や大黒天も拝めるとのことですのでチェックしておきたいと思います。
そのときはしっかり記事にしたいなと思います。

もともと河の神様のサラスヴァティーですが、河の(水の)流れの音が、音楽や豊かに溢れる言葉を連想させることから、音楽をはじめとした芸術や学問全般の神様としての信仰も集めました。 また日本においては、農業や穀物の神様である宇賀神と習合して、五穀豊穣の神様としても崇められ、さらには「才」を「財」に置き換えて、財宝を授ける神様としての信仰がもっぱら盛んになったのでした。 井の頭弁財天にも、本堂の裏手に、龍の形をした銭洗い弁天がございます。こちらでお金を洗っていただくと、きっと財産が増えるご利益があるでしょう。

(引用の順番が前後してしまっていますがご容赦ください)
水の神は川の流れの音が、音楽を連想させることから音楽や芸術の神としても祀られています。
なのでこの弁財天は江戸時代当時、歌舞音曲の神に拝むために歌舞伎役者からの支持があったそうです。

https://musashino-kanko.com/area/kichijouji/inokashira-benzaiten/

家康自身も何度かこの地を訪れたとされ、慶長11年(1606)に家康が井の頭池の水でお茶をたて、その時に使用したとされる茶臼は今も弁天堂に伝えられている。

三代将軍家光の代になるとこのあたりは鷹狩り場とされ、寛永6年(1629)に家光が訪れた際に、この池の水は江戸の飲料水の源・上水の頭であることから「井の頭」と命名し、池のほとりのこぶしの木に小刀で井の頭と刻んだと伝えられている。

家康の関連はここでした。神田上水の水路を引いた時が江戸に移った時でしたね。
江戸が開いて、家康が井の頭池の水でお茶をたてたという話があるなんて知りませんでした。
今はスワンボートが浮いている池です。

そもそもの「井の頭」の名前の由来も三代家光由来なのですね。
池のほとりのこぶしの木に刻まれたものもお堂に伝えられていたりするのでしょうか。

そんな由緒ある場所でふざけて撮った写真がこちら。

触るなと家康公から叱責を受けそうなサングラス。

この日はちょうど赤い幟が立てられていて、「井之頭辨財天尊 奉納」とあり小さい子たちが両親と来ている様子が多くみられました。

ここには神田上水の水源であること、5.5万m2が史跡に指定されていること。
縄文時代中期から後期の竪穴住居跡が数件発見されたこと、そのほかに石器時代の跡も含めると60軒以上もの史跡が発見されていることが述べられています。

そっちの方が家康関連であることよりも驚きです。

このボードには江戸時代の歴史に関しては記載はありませんが、ちゃんと読むと周知の事実よりももっとミステリアスな事実が存在していたことを改めて知りました。

この絵はきっと徳川家への何かしらのリスペクトを含めた畏敬の念が込められた描き方だったのでしょうか。
鳥や深い緑の集まる場所として描かれているこの池は家康が水源を開いたことでこんなにも豊かな土地になっていることを崇めている描写だったのではないかとも感じます。

今回は井の頭公園のありかと、歴史、広重の思惑について考えてみていきました。

今日はここまで!
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