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「千束の池袈裟懸松」−日蓮上人の後を追う白い鳥−『名所江戸百景』

今朝は早めに起きて、バイトまでの時間で少しづつ書き進めていきます!
ちょっと得な日曜朝も広重。今回は『名所江戸百景』「千束の池袈裟懸松」です。

◼️ファーストインプレッション

こんなに広い場面の景色を描いているのに目がいってしまうのは真ん中を悠々と飛んでいる3羽の白い鳥。東京なのにこんなに純白の鳥が飛んでいるなんて江戸時代はどんな自然が広がっていたのか再現してほしいくらいです。

手前の大きい街道みたいな通りには茶屋があり、そこはきっとこの大通りで需要のある休憩場所だったのですね。馬に乗ったり、籠を抱えている人、荷物を背負っている人々がこの街道を通って江戸の中心に向かってるのでしょうか。

また、右側にある出島みたいなところに柵で囲ってある大きな松がありますね。それがおそらく題名の通り、袈裟懸松ですね。名前からして仏教的な意味が込められているのでしょうか。

またその奥の岸に小さい社のようなものが建っています。手前の松と何か関係があるのでしょうか。

◼️千束池

この大きな水面は千束池という池であるらしい!こんなに広いから海岸だと思っていました、、!


かつては「千束の大池」と呼ばれていましたが、鎌倉時代末期の弘安5年(1282年)、病気治療のため身延山を出た日蓮が、武蔵国池上郷にあった日蓮に帰依した池上宗仲(いけがみむねなか)の屋敷(日蓮はそこで入滅)に向かう途中に立ち寄り、足を洗ったとの伝説があり、それが「洗足池」の名の起こりとなったとか。
この時日蓮が袈裟をかけたという「袈裟がけの松」(3代目)も残され、江戸時代の浮世絵師・歌川広重の『名所江戸百景』にも「千束の池袈裟懸松」として描かれています。

やはり仏教関係の地名であった。病気治療のために身延山に訪れた日蓮が、池上宗仲の屋敷に訪れる際にこの池で足を洗ったことから、「洗足」と名がつきました。

この漢字の違いも見ていきます。

http://www.photo-make.jp/hm_2/ma_13.html

『日蓮上人の文章には、千束郷池上とあり、また、馬込の小名にも千束とあって、千束郷の名残と見られ、いわゆる千束郷の名は、浅草寺のそれと同じく、ここの池上本門寺に対する千僧供料(せんそうくりょう)の免田の意であろうと言われている』。(『武蔵野の地名』中島利一郎著 新人物往来社刊 1976年)」

”千束”の方は池上本門寺に対して千僧供料の免田の意味を込めて、千束という名がここ一帯についたのですね。

左下の池が千束池です。表記では洗足池となっております。
表記はどっちであるのが正しいのですかね。東急池上線では北は北千束、南は洗足池駅となっておりますね。
ちなみに池南側にある大通りは、中原街道でした。この街道も日蓮上人も通ったことのある道であるそう。
これは調べていくと、千束の表記が日蓮の言い伝えが出てから”洗足”になったそう。


そしてこの題名の松が袈裟懸松です。
由来は上記の通り。↓

この時日蓮が袈裟をかけたという「袈裟がけの松」(3代目)も残され、江戸時代の浮世絵師・歌川広重の『名所江戸百景』にも「千束の池袈裟懸松」として描かれています。

日蓮が足を洗うときに袈裟を掛けた松がこの松ということですね。

確かに絵を見ると、池方に枝が伸びているから池に入るときにちょっと便利かもしれませんね。日蓮の御由緒があるから丁重に扱おうとする姿勢がよくわかります。松を囲っていますしね。

こちらが現在の袈裟掛けの松

このページでは日蓮の像が立っていることも記載があります。とても詳細にかkれているのでぜひ飛んでみてください!

今日はここら辺にしておこうかな。

それにしても今日放送されていた大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」はなかなか凄まじいものでした。
本当に頼朝を好きになれる瞬間がないなんて、時代の英雄としてあるべき姿なのか、人として酷な人格なのか。大江広元も恐ろしい人間ですね。。
佐藤浩市さんの演技が圧巻で、本当に息を呑んでじっくり見入ってしまいました。
いやあ、上総介を悼みたい気持ちで今日は寝ます、、。上総介は結構隠れお茶目で好きだったのに、、。

1日の思い出が大河ドラマに全部持っていかれました、、、。
歴史の教科書に載る人間は必ずしも人格者だったり、英雄の典型であるわけではなく、周りを潰してでも頂点にのしあがった人間であることの方が多いんだなと感じました、、。

ううううう。

今日はここまで!

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