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「金杉橋芝浦」−視覚的リズムに乗って流れる笠−『名所江戸百景』

やっぱり新生活は明るいイメージと共にどっと疲れる現実が表裏一体ですね。

今日は第一回目の講義を対面で受けて頭かち割れそうなほど疲れて体も浮腫を実感して、友達が来ていない(就活)環境は口角が下がるし、、。

月曜に大学にたまたま来る友人たちと夕ご飯の約束をしたのでそれのために頑張ります!

今日も当たり前のように広重。今回は『名所江戸百景』「金杉橋芝浦」です。

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◼️ファーストインプレッション

色鮮やかで風が爽やかに吹いているのが第一印象。緑の「講中」と書かれた旗と、紫の「井」のなかにマークのある布と、赤いしなった幟、そして奥の白い帆、地面の白と紫の交互の「魚 栄梓」の旗。この色、集合と単体、曲線と直線、遠近のリズムが、無音の絵でも賑やかな様子が伝わってくるものです。

旗を見る限り江戸講中の最中なのですね。それに目もくれない船の船頭との地味な対比がツボ。

海に突き出てる島の木材感が布のヒラヒラした様子との対比もあり、とても遠近での世界観の違いが面白いと気づきました。

手前の笠の集まりの上に連なる紫と白の旗には「魚 栄梓」とありますが、これもまた版元の魚屋栄吉を宣伝するちっちゃい広告を意識しているのでしょう。


◼️金杉橋

題名からして金杉橋という橋が芝浦あたりにあるのですね。

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赤いピンの集合が金杉橋のあった場所を示しています。現存していないから七日バス停の名前として一番にヒットしました。バス停マークのあるところから竹芝の方面を眺めると絵と同じ位置関係なのかもしれません。


◼️池上本門寺の御会式

この笠の集まりが「江戸講中」と書かれた旗を掲げて橋を闊歩している集団は、御会式というもののために集まった人々。

日蓮宗の宗徒が日蓮の命日10月13日の前後に集まり、池上本門寺で行われる御会式に参加するものです。

池上本門寺は、日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)、61歳で入滅(臨終)された霊跡です。
日蓮聖人は、弘安5年9月8日9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられました。

日蓮の亡くなった日付まで現在にしっかり受け継がれているのは、とても敬虔な宗徒の集まりであることが遺伝的なんだと思えます。

毎年10月11日・12日・13日の三日間に亘って、日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われ、殊にお逮夜に当たる12日の夜は、30万人に及ぶ参詣者で賑わいます。

今でも日蓮の遺徳を偲ぶ御会式法要が執り行われているそう。


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現在のお会式の様子。夏祭りのような雰囲気ですが、10月半ばといえばそんな気もする服装。

階段の下にある白いドレッドヘアのような飾りを持ち歩いているのがよく見る光景であるそう。

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これですね。絵では描かれていないのが残念ですが、このボンボンの歴史にも触れてみたいものです。奥のお堂に垂れる紫の幕に描かれている井のマークが絵のマークと一致していますね。

このボンボンについて調べると、万灯練供養という深夜まで行われる行事の最中に出されるものであるらしい。そしてこのボンボンを万灯という。

絵で描いて欲しかったなあ〜と思っている私は広重の罠にかかっているのかもしれませんね。広重は定番の万灯練供養を描くことをせず、(江戸時代からあったのかな?)明るいうちの風と旗の爽やかさを日蓮の命日に偲ぶ思いで重ねたのでしょう。

宗教に触れた日でした。今日はここまで!


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