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「中川口」−危ないものと女性は運んでませんね?はい、どうぞ~。−『名所江戸百景』

今日は人生初の小顔矯正に行ってきました!痛くない小顔矯正というもので、確かに施術中は頭を揉んだり顔の骨格の歪みを取ったり、ゴリゴリする施術がひとつもなかったのです。

家に帰って親に確かにシュッとしたとか一回り小さくなったと言って貰えてかなり嬉しかった!!!継続的に通わないと効果は定着しないということでしたが、金欠大学生なのでその都度その都度行く形にします、、。笑

そんな一瞬でも小顔になった今日も広重。今回は『名所江戸百景』「中川口」です。

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◼️ファーストインプレッション

この絵に描かれる川は二つが交差しているのですね。

こちら側からは人々を運ぶ船が、右の流れからは木材の束ねられたものに乗った人や傘を被った人々自身が漕いでいる船が流れていますあ。また奥の流れからは2隻流れてきているのがわかりますが、詳細は分かりません。岸には藁を被った船が停船しています。

手前の岸には道路が整備されて屋根が軒を連ねているのが分かります。しかし右上や右下、左上の岸には草木が生えていて整備されておりません。地理的にどんな違いがあるのか気になります。

人々の向きから左の方向に皮が流れているのがはっきりとわかる、広重の表現力に感服です!

◼️交差する川

この絵で川は三つ描かれています。

一つは手前の川の小名木川です。小名木川は以前から幾度となく登場していますね。江戸時代、徳川家康が塩を運搬するために行徳までの河川を小名木四郎兵衞に命じたことからこの川は始まりました。

小名木川を行き来する船を長門船と言いました。描かれている2隻もそうですね。


小名木川と中央を流れる川との境目には番所が置かれていました。その真ん中の川が中川です。なのでこの番所を中川番所と言いました。この中川番所についてはまた後ほど言及します。


またその奥の川を新川と言いました。言いました。と過去形なのはこの川は現在大島小松川公園という公園になっていて現存しておりません。

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位置関係はこの地図のようなっています。

左の小名木川が西から東に流れていて、東側に中川が流れています。旧がついています笑。今は大きな公園になってしまっているところに小名木川の延長で東に伸びて新川があったそう。

描かれているのは小名木川の北にある小池酸素工業ガス部があるところあたりからということになりますね。!

◼️中川番所

先ほど申した絵の真ん中の中川に入るために警護をする番所がありました。それが中川番所です。上の地図に水色ピンで「中川船番所跡」があります!

その中川番所の役割は中川に侵入する人々や物をチェックする役割です!

中川番所の跡地は、東京都江東区大島の9丁目にあります。大部分が江戸時代以降の埋め立てで形成されている東京都江東区。埋め立てと並行していくつもの水路が閉鎖されました。その結果、江戸の産業や文化に大きな影響を与えることとなります。そして1661年、江戸を出入りする船が頻繁に訪れる中川にできたのが中川番所です。夜間の出船や女性の運行、鉄砲などの武器や武具、物資の出入りなどを取り締まっていたとされています。

埋め立てを始めるために水路がいくつか閉鎖されたのですね!使わないようにしないといけないのですね!

この中川番所は江戸を出入りする船を取り締まりました。主に夜間の出船や女性の運行、武具、物資を取り締まったのですね。この取り締まりの言い回しを「入り鉄炮に出女」と言います。

それはただの厳しい取り締まりというわけではなく、江戸の秩序と風紀を整えるための政策だったのですね。

その中川番所は絵では左下の藁の屋根があるところです。きっと小名木川にいる2隻も番所によるチェックを受けたあとなのでしょう。

今回は三つの川が交差していること、そしてその一つの中川、中川番所について見ていきました。

今日はここまで!

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