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「興津 興津川」−ドヤ顔の理由は、、?−『東海道五十三次』

夜ご飯の後にアイスと冷凍フルーツ入りのヨーグルトを食べました。
最近ダイエットをしていたはずなのに甘いものを多めに食べてしまいました。
ま、アイスは趣向品として、ヨーグルトはノーカウントか!なんて思ってお煎餅をボリボリ食べながら書いています、、。

一定の体重でキープできてはいるけれど、頑張ってもそこから急降下できないのがネックです。

筋トレがんばろ、、。

そんなフラストレーションの中筋肉を鍛える今日も広重。今回は『東海道五十三次』「興津 興津川」です。

◼️ファーストインプレッション

この興津川は意外と浅くて、人のふくらはぎまで触れるくらいの深さなのですね。
その中を渡しの人足たちが大男を先導しています。
駕籠の中の男は大きなお腹を抱えて胡座をかいている。駕籠持ちの男の人たちよりも体格が良くて、四人がかりでもきつそう。
その後ろを行く馬の上にも大男が乗っています。
ちょっと口角が上がってドヤ顔で座っているのが地味に可愛いポイントですね、笑。

乗っているのが大きな男性ということで相撲の力士か、歌舞伎役者か特殊な職業であることが特定できそうです。

右側の背景は霞んでいながらも広々とした土地があることがわかります。
木々も数本あり、あえて靄を配することでその奥にもっと広く土地が続いていそうな想像をさせますね。
しかし、ちゃんと見ると帆がいくつも立っているので海なのかな?
土地の境目をくっきり描かないことで奥で何が起こっているか想像することができますね。

反対の画面左側の岩山ですが、一部分だけ岩肌が異なりますね。
そんな中でも木々が生えている違和感はあります。

この一行がどこから来たんだろう、とか川が海にこんなに近接している地域とはどんな場所なんだろう、とか用意された設定から想像が膨らむばかりですね。

今日は興津川の位置とこの一行について見ていきたいと思います。

◼️興津川

初めて聞いた川の名前ですが、何か神話的な由来がありそうな名前、、。

最近こうして東海道を現在の地図で見て思うのは、意外と一つ一つの宿場の間隔が狭いということです。
今は高速道路があったり橋がかかっていたりして交通の便の良さや、ナビ自体も道路を歩くだけである程度わかりますね。しかし江戸時代当時はこんな便利なものはないのでもっと大変な道のりだったことはわかります。
けれど意外と宿場間の距離が近いなと感じております。
昨日見た薩埵嶺及び薩埵峠が上の海岸沿いにありますね。
まあ、川を渡るだけでも何時間もかかったりしたのですかねえ。


◼️力士と元ネタ

この籠に乗っている男性と馬に乗っている男性は力士であるらしい。大きなお腹で、胸元が少し空いた浴衣みたいな軽めの服装をしていますね。

で、広重はこの一行を描くにあたりある絵を元にしているらしい。

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko30/bunko30_e0205/bunko30_e0205_0004/bunko30_e0205_0004.pdf

『東海道名所図会』「安倍川」の挿絵です。
場所は違えど、画面下の籠一行と後ろの馬の二人がまさに今回の絵そのままですね。

丸々形も同じとまではいかないけれど客として力士がいるという点ではこの絵を見ていた可能性がありますね。

今回参考書で言及されていたのがこの力士たちの表情。
『東海道名所図会』の力士二人は手前の人はかなりグダーっとくつろいでいる様子。タバコを吸って眠りにつくそうなくらい寛いでいます。後ろの男性は意外とソワソワして、後ろを確認していますね。

『東海道五十三次』では駕籠の中の男性がソワソワしていて、川の中の様子を伺っていますね。後ろの馬の上の男性はドヤ顔。
参考書には、駕籠の中の男性は自分の体重で駕籠が壊れないかと心配しているようだとの指摘があり、確かにそう見えますよね。


『東海道名所図会』
では人々の心情を読むのは非常に難しく、態度と持ち物だけでおそらくそうだろうなと推測することがかろうじてできます。けれど広重の絵では手前の男性の恰幅と表情が相まってどんな気持ちで今そこにいるんだろうと想像が可能になりますね。

ただ、後ろの男性のドヤ顔の理由だけはわかりません、、笑

『東海道名所図会』に倣うだけでなく、自身の技を入れていくことでオリジナリティを出しているのですね。

今日はここまで!
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