「とこしえの雨」−異質な共食いの形−『超常気象』異形コレクション
この記事を書いていない間にたくさん本を読みました。
(たくさんでもないのかな。)
その中でも印象に残っているのが異形コレクション井上雅彦監修の『超常気象』です。
短編集で一つ一つのお話の作者が異なるので全く異なる作風が楽しめます。
異形コレクションはこれまでに54冊も刊行されてきたようですが、手に取るのは今回が初めてでした。
怪異小説自体があまり読んできたタイプの本ではないので手に取ってから読むまでが非常にワクワクしていたのを覚えています。
今回は気象に焦点を当てて、異常な気象にまつわる物語が15編書き下ろされているので気象と言ってもさまざまな現象がピックアップされています。
その中でも非常に興味深い作品が篠たまきさんの「とこしえの雨」という作品です。
雨の山中で迷った男性は一軒の家屋で雨宿りをさせてもらいます。
家の主人は痩せ細った生気を失った男性で、部屋の奥にはお産の近づく妻が寝込んでいました。
この夫婦はただの夫婦ではなく、お産の近づく妻が夫の腹を喰う夫婦なのです。
男性はこの光景を目の当たりにして何か恍惚感を覚えつつ、家を後にします。
男性が普段の生活を過ごしている間、露子という女性と出会い彼女と交際を始めます。
彼女と交際していくうちに彼女の腹を食いちぎりたい衝動に駆られます。
あの時の感覚と似ているのです。
彼女と旅行に出かけた時、全室離れだけの宿に泊まることになりました。
そこで二人の時間を過ごすことになるのですが、男性はどこか既視感のある宿だと感じます。
彼女は男性にあなたをずっと知っていたし、探していたと告げます。ずっと彼の声を卵嚢の中でも聞いていたというのです。
男性は再度あの時の感覚を呼び起こし、彼女に自分の腹を破って食って欲しいと言いますが、彼女は自分の卵が育ってからでないと破ってはいけないと食い止められてしまいます。
時は流れて妻は妊娠し二人で森の中の家に籠って過ごしていますが、そろそろ彼女にも滋養が必要な時期になってきました。
男性は彼女が自分の腹を破って喰っている感覚とあの時の光景を重ねて痛みよりも快感を覚えるのです。
彼女の滋養にされる喜びを感じ、少し動くだけでも体力を消耗していく。
そこに一人の人間が雨宿りをしたいと家を訪れてきました。
その人間の視線を感じて抉れていく腹に快感を覚え、臓器は歓喜に戦慄いていくのです。
まとめてしまうとこんな話で、雨の降る森の中の家での男性と女性の出会いのお話です。
男性の腹を食うことで女性の滋養になるというのは、人間以外の生き物で同じ性質がありそうですよね。
カマキリはその中でも有名な類で、交尾をした後にメスがオスを食うというのはよく知られていますね。
交尾後のカニバリズムがオスにとっては生まれてくるであろう子供達に栄養を与える大事な犠牲であるということなのですね。
しかし今回の物語にはその「食われる」という工程に男性が快感を覚えているのです。
カマキリ自体が食われることに悦びを感じているかは計り知れないことではあるけれど、本能として「なくはない」可能性のある現象として受け入れているのでしょう。
作品の中の男性はこの「食われる」行為に
①痛いことから来る快感
②あの時見た光景から思い出される興奮
③彼女の滋養になることへの悦び
の三つを感じています。
カマキリに限らず他の生物の共食いというのは、自分が生き残るために子供を食ったり敵とみなした同種を喰ったりという、自分の生きるための共食いですね。
しかし今回は食われる側の悦びと、食うことの目的が二人の子供の滋養のためという従来の共食いとは異なる性質を持っています。
雨がしとしとと降る森の中という設定がただでさえその現象の妖しさを倍増しています。それだけでなく、水という体を構成する成分が溢れている中でも生気の足りていない男性と栄養の足りていない女性がお互いだけで補い合っていく構造がこの設定の妖艶さとグロテスクを演出した作品だと感じました。
今日は本当は浮世絵をいつものように見ていこうと思いましたが、書いているうちに軽くまとめてしまったので番外編とします。
本を読んでもうまく要約できないことを実感しましたし、読み終わった後も噛み砕ききれていないことを痛感したのでたまにこうして読了を噛み砕く回も設けてみたいと思います。
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