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「蓑輪金杉三河しま」−今も昔も鳥を集める(?)場所!−『名所江戸百景』

今日は早速英語の勉強を再開できました。
明日もちゃんとできるように絶妙なところで止めておきました。

そんなやる気が湧きわきの日も広重。
今回は『名所江戸百景』の「蓑輪金杉三河しま」です。

◼️ファーストインプレッション

大きなツ鶴が2羽描かれています。
一羽は地上に着陸しようとしているのか下降していて画面上部を覆っています。
真下に人間が描かれていることでその遠近がはっきりしますね。
対して小さな水たまりに足を入れている鶴の方は口を半開きにして立っています。後ろに一本の梅の木がありますが、可愛らしい咲き方をしていますね。
梅が咲いていて春の訪れを感じる暖かさを感じますね。
静かな一瞬が切り取られたような微笑ましい瞬間です。


◼️現在の三河島

蓑輪というとなぜこのような表記なのかと思いましたが、やはり三ノ輪のことですね。

右下に三ノ輪駅がありますが、あまり今回は関係なさそうです。
左うえに新三河島駅やその下に三河島駅がありますが、そこが今回の舞台となることもなく、、、。

一つ上の地図にある「ゆいの森あらかわ」をズームしてみました。
そこに白鳥の池というのがありますね。
このあたりに人工的な水辺があるのでそこに今でも鷲や鴨などが飛来するようです。
その様子はかつての江戸の光景を彷彿させるものであるようです。

◼️江戸時代の三河島


当時のこのように鶴が飛来する様子はしっかり意味があったそう。

このあたりは田園や湿地帯が多く、丹頂鶴が飛来する土地であったらしい。

https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-16H06583/16H06583seika.pdf

こちらの論文には江戸時代のいくつかの鶴の種類についての分析とそれぞれの渡り方を記載されています。

ツルに関する記録は、北は北海道から南は沖縄まで広く確認できた。愛知県や島根県では、ツルを獲物とした鷹狩のためにツルを集め、飼い付けて置く場所が設置されていたことが確認できる。このようなツルの飼付場、鷹狩に資するための人為的な環境ではあるものの、江戸時代におけるツルの渡来地として重要な機能を果たしていたと考えられる。

鶴が江戸でなぜ飛来するようになったのかがわかります。
鷹狩をするために各地からツルを集めた結果、ここが鶴園みたいになったそうですね。

ここに飛来する丹頂つるは江戸幕府によって餌付けされていたために、「ここに来ればご飯がある」と覚えられたのでしょう。

この場所で鷹狩をすることを「鶴御成」と呼んだそう。

江戸幕府年中行事の一つ。将軍みずから、毎年寒入り後、三河島小松川品川目黒などのの飼付場で行なった鷹狩。捕獲した鶴は御鷹の鶴と称して朝廷に献上し、また御三家その他の大名にも賜わった。

将軍が絡んだから「御」付き。


今も昔も野鳥(?)に溢れた自然のある場所であるようです。

今日はここまで!

最近生活リズム上、寝る前に書いているので焦りながら書いているのが正直なところ。。。少し前みたいにもうちょっと深ぼったところを書いてみたい、、。

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