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「通壱丁目祇園会」–お尻を出した子一等賞−『江戸名所道戯尽』

暑いですね。梅雨入りは去年より早いみたいなので明けもその分早まっていて欲しいですね。
例年より8日早いみたいなので来月初旬あたりかな?

早く日傘買わないと、、!

そんな日差しを避けたい今日も広景。今回は『江戸名所道戯尽』「十七 通壱丁目祇園会」です。

◼️ファーストインプレッション

今回は人の数が多すぎて一人一人に言及していられませんが、熱気がズゴイことだけは分かりますね。

まるで大阪のだんじり祭りみたいですね。
みんな手には「天」の赤い文字が書いてある扇子を持っています。
そしてそれぞれふんどしは真っ赤。衣装として決まっていたのですね。

山車の上に鳥のオブジェが載せられていますので、〇〇祭り、つまり山王祭のような江戸市中を巡回する祭りでしょう。
多分、扇子に「天」とありますので天王祭り?

軒が左に伸びていて、そこに向かって列も進んでいるので縦長の画面でも奥行きと立体感を感じます。
軒から顔を出している数人も口角が上がっているように見えてとても平和な空間。

しかし一人涙を流しそうなくらい恥ずかしい思いをしている人がいます。
最後尾にいる人は前の人の褌に引っかかって、転けてしまっているし、褌が解けてお尻が見えそうな予感。
転んでお尻が痛くなってしまう人と、お尻丸見えになって人からの視線で痛くなってしまう人、彼ら二人は後で固い絆で結ばれる気がします。


◼️通一丁目

実はここの通りを描いた絵は以前見ていました。
広重の江戸百の「日本橋通一丁目略図」です。

この通りの広重の描かれ方と、広景の描き方は全く同じ。ということは江戸時代のこの通りはまさにこのような光景だったということが分かりますね。
そして周りには軒が並ぶだけで、ごちゃごちゃとした高層の(と言っても櫓とか)は大して無いことも共通ですね。

通一丁目を描いた他の浮世絵を見つけることはできませんでした。

◼️祇園会

題名の祇園会というものはやはり天王祭であるそう。
以前山王祭や葵祭については見ていきましたが、天王祭は初めて。

二天神輿振り
神輿の担ぎ棒は4本や6本を井桁に組んで担ぐことが多いなか、当社は2本のみで担ぎます(「二天」にてん)。屋根の鳳凰が地面につくほど神輿を左右へ倒して激しく振る「神輿振り(みこしぶり)」は、大変荒々しく、かつ勇壮・荘厳な情景です。

六月は旧暦で夏。天王祭は、人や物の行き来が盛んな街道の夏に流行する疫病を、激しい神輿振りにより、御祭神の神威をより一層振り起こして祓う悪疫退散・除災招福・郷土繁栄を願う祭禮です。春と秋に稲の収穫を祈念感謝する農村型の祭禮に対して、京都の祇園祭と同様、都市型の祭禮といえます。

確かに絵でも2本の井桁で担いでいますね。
この神輿を左右に振って、その振りで悪霊退散や除災招福を願うのですね。
この絵では左右に振っている様子はわからないけれど、人が左側に偏っていることから左に傾けるところなのかも知れないですね。

その天王祭の一部が『江戸名所図会』に挿絵として載っていたのでこちらを紹介します。

この絵は小舟町なので、広景の絵の道の向こうに日本橋があり、その北東のあたりにある区画のことなのですが、天王祭もこのあたりを巡回するということですね。

通一丁目が、日本橋麒麟像とある日本橋の南の通りのことです。ここを日本橋に向かって神輿を運んでいるので橋を渡って、小舟町に向かったのでしょう。

ただ、『江戸名所図会』にはその神輿が見られないので、祭りとしての光景を描いたのでしょう。
今のように出店が出たり、ショーが始まっていたり、賑わっていることが分かりますね。祭りがあることで近所の飲食店や組合は儲け時でしょう。

でも、この通一丁目は折角の商店街であるのにも関わらず、大して商売をしようという気が感じられない。
この神輿自体は単にパフォーマンスであって、一過性なのでしょうね。

現在では今年六月に開催されたものが最新らしいですね。
今年は色々祭りや花火大会が再開するみたいなのでこういった祭の意味を知るのも面白いですよね。

眠くて仕方ないので寝ます。
最近は短いし締め方が緩くなっていることに反省です。

今日はここまで!
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