「深川三十三間堂」−江戸で見たかった通し矢−『名所江戸百景』
昨日はお酒を飲み過ぎてしまい、頭ふらふらだったので寝っ転がっていたら書きそびれました。笑
気合を入れ直して唐揚げ食べて書き始めます!
”からよし”の唐揚げの美味しさに感動した今日も広重。今回は『名所江戸百景』の「深川三十三間堂」です。
◼️ファーストインプレッション
なんだか日本堤みたいな長い堤防?道?
そうは言ってもこの長い赤い扉のある長屋が三十三間堂ですね。この長さからして名前の由来は三十三間あったからなのでしょう。
絵のように、深川の川沿いにあったのですね。木材か何かが浮かんでいてそれもまた見ものだったのでしょう。
川沿いに茶屋が設置されていて、近くの富岡八幡宮に行くまでの寄り道を誘う役割があったのでしょう。
茶屋の左側に入り口があるのがわかります。そこから船が出ていたのか、そこの役人が張っていますね。観光の船だったのか、積載のためのものなのか気になるところではあります。
◼️三十三間堂
三十三間堂は京都にあるのは有名ですが、江戸にも当時はあったようです。
しかしこれは京都の三十三間堂を模したもので、オリジナルではない物。今は現存しておらず、跡地として石碑が残っています。
江戸の三十三間堂は浅草に建てられましたが、1698年の火災で消失してしまったそう。
江戸の火災の多さの被害に遭ってしまったのですね。今も東京に三十三間堂が残っていたら有名な観光スポットになっていたはずです。
京都の三十三間堂を見てみましょう。
通し矢という行事があったそう。これはお堂の西縁の南側から120メートルを矢で射通したものです。矢数とその的中率を競ったものであったそう。元々は江戸の三十三間堂で生まれ、人気を博したものでありましたが、それを京都の名物になったそう。
歌川豊春の「浮絵御江戸富賀川 三拾三軒堂之図」です。
この長いお堂の縁側の手前に数人が矢を持って構えています。ここから一番奥までの的に向かって何回で射ることができるか競ったのですね。絵を見ることで容易に想像することができます。
それは競争者たちだけの間で完結するものではなく、これを見物する人々がいるから盛り上がるもの。塀を隔てて老若男女が覗いて賑わっています。その観客に向けての食べ物を売っているのか、茶屋も繁盛していそう。敷物を敷いて見る気満々です。
広重の絵の中でも実は通し矢は行われているそう。
こちら側の縁側に立つ武士や手前の女性たちが同じ方向を見ていることからまさに矢が放たれたところではないかとも言われています。
◼️貯木場
勝手に引用させてもらいます。
木を置いている場所ですので、木場と言いました。このように木材を川にまとめて浮かべて、建築資材を保管していました。
この写真は隅田川のものでありますが、新木場などもその由来ですので湾岸エリアにもその名残はあります。
北西に灰色ピンで指されている「富岡八幡宮」の近くに木場公園とあります。赤ピンで南側に新木場があります。このあたりは埋立地ですので江戸時代当時の地理とは重なりませんが、木場から新木場あたりまでの川があったエリアは木場が点在していたのでしょう。
今日は東西の三十三間堂とそこで行われる通し矢、そして木場について少し見ていきました。
今日はここまで!
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