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「三河 鳳来寺山巌」−描くのも億劫な中景を見てみたい−『大日本六十余州名勝図会』

ここ数日ではシンプルな風邪をひきました笑
コロナではなく、シンプルに具合が悪くなって悪寒がして熱が上がって、ポカリをがぶ飲みして早く寝るという夜を過ごしました。

一晩で熱も下がったので良かったですが、焦りますね。コロナだったらバイトでやらなきゃいけないこと終わってないし、友達や彼氏との約束も全てキャンセルだし。

季節の変わり目は弱りやすいなと実感します。しかもこれまでコロナ予防で風邪を全然ひかなかったので6年ぶりくらいに熱が出て少し懐かしい気持ちにもなりました。笑


そんな発熱で懐古の念に駆られた今日も広重。

今回は『大日本六十余州名勝図会』の「三河 鳳来寺山巌」です。


国立国会図書館蔵

ファーストインプレッション

まさに山巌という言葉が適切な光景ですね。
岩山というのには緑が多いし、山岳というのにはもっと山々が欲しいところ。
しかし山×巌となると、仙人でも住んでいそうなごつごつした山道と高々と伸びる岩山がその言葉をまさに表現していますね。

直近の鳳来寺の景色と、その奥の山巌の景色の間は霞で排除されており、今回の絵の中の主役が副題の二つであることがわかります。

手前の鳳来寺は真っ赤な建物が鬱蒼とした木々の中に、より映える光景ですね。
傍の道には旅人と見られる人々がお寺に向かって歩いています。
この山岳地帯を歩きほどにこの鳳来寺は当時から有名な場所だったのでしょうか。

中景を排除したその先に、階段が長く続く急勾配な山道が描かれますがここを登ると修験道的な修行の成果が得られるのでしょうか。
鳳来寺のお参りの険しさと、階段の先の想像を膨らませますね。

今回は場所の固有名詞もしっかり出ていますし、どんな場所か特徴も炙り出ているのでしっかり探してみようと思います。

鳳来寺

鳳来寺がどこまで続いているのか、どの程度の規模なのかを見ていきます。

鳳来寺山の南面、標高五二〇メートルの位置にある。真言宗五智教団、煙巌山と号す。本尊薬師如来。三河国鳳来寺略縁起(小笠原利緒氏蔵)によれば、開山利修仙人は山城国の人で、白鳳元年に入山したという。初め鳳来寺山の南、千寿せんじゆヶ峰に住み、のち万寿坂まんぜざか峠に移り鳳来寺に通って修行したと伝える。また本尊は、利修仙人が奥院にあった七本杉のうち一本を切り、一刀三礼の法をもって彫刻したという。また山号の由来は鳳来寺興記(丸山彭氏蔵)に「本堂ヨリ西ニ当テ峯ヲ隔テヽ山有。仙人護摩ヲ修セシ岩窟アリ。護摩ノ煙、巌ニ着テ今ニ之アル故ニ爾云フ」とある。この岩窟は、鳳来寺山表山の西端塩平しおだいら地籍の標高四五〇メートル付近に高さ・奥行ともに約四メートルの岩窟をいい、利修仙人の石像が祀られている。その傍らに元禄六年(一六九三)記銘の開眼供養記念碑がある。地元では仙人様せんにんさまとよばれる所である。門谷かどやの街中に仙人様への道標があり、「利修仙人護摩所煙巌山道」と刻まれている。
表参道に築かれた一千四二五段の石段を登れば鳳来寺本堂(薬師堂)がある。麓よりここまでは江戸時代には二一の寺院が建並んでいた。今は楼門と松高しようこう院のみが残る。本堂は、大宝三年(七〇三)文武天皇の勅願により創建され、文治年中(一一八五―九〇)源頼朝が堂宇・坊舎を新築したという。元和六年(一六二〇)の火災で坊舎・古記録・宝物などとともに焼失。寛永二年(一六二五)松平忠明・菅沼定房らの寄付で再建。慶安元年(一六四八)徳川家光が本堂をはじめ諸堂宇建替えを発願、同四年に竣工。同時に東照とうしよう宮も竣工した。文久三年(一八六三)堂塔坊舎一〇余が焼失。現在の本堂は昭和四九年(一九七四)のもの。なお、本堂の東方には東照宮と宿坊があり、西北方の奥院に至る沿道にも勝岳しようがく院跡・不動ふどう堂があり、表山全山が霊場の体をなす。

日本歴史地名大系

「鳳来寺山表山の西端塩平しおだいら地籍の標高四五〇メートル付近に高さ・奥行ともに約四メートルの岩窟をいい、利修仙人の石像が祀られている。」とあり、本当に仙人がいたということが石に彫られているというのです。笑

後半に書かれていますが、絵の背景の多くの階段は全部で1425段あるそう。
今だったら1425段という文言で何かのごろと合わせて初詣とか、参詣に宣伝として使いそう。

鳳来寺だけでなく、表山全体が霊場であるというので絵の中で描かれている旅人はただの旅人ではなく、参詣のために1425段を登ろうと試みている人々なのですね。



国立国会図書館蔵

『東海道名所図会』第6巻「鳳来寺」です。

階段の連なりが広重の絵よりも緩やかに感じますね。
まるでお城を取り囲む城壁や堀のような構造をしていますね。

今回絵に描かれている建物が写されていませんね。
こっちも続いていたようです。↓


国立国会図書館蔵

おそらく描かれている赤い建物は詞書右の下に目をやると、鬱蒼と茂る針葉樹的な木々に囲われた小さな建物でしょう。
右側に湾曲した小道、そしてそれに沿右ような川が流れていることが特徴です。

やはりここから本堂の方を眺めると、広重の絵のように険しい坂道に見えるのかなあ。

3D把握能力とかあったらそこもちゃんとわかるのになあと嘆いています。

名所図会でさえ、階段と手前の建物の間は霞が描かれています。
どっちも本来の景色を見られない、というか描けないということは相当入り組んでいたのかなあ。

そんな道を乗り越えて見られる本堂からの景色もぜひどこかで出会いたい物です。

今日はここまで!

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