「品川すさき」−昨日の絵を空から見てみよう!−『名所江戸百景』
今日は大学の友人にひっっっさびさに会えました。
2年ぶりの人もいました。対面が増えて四年生の私には友人のいない構内はつまらないけれど、ゼミや何かの集まりで会えるのが楽しみです。
そんな嬉しい日も広重。今回は『名所江戸百景』の「品川すさき」です。
◼️ファーストインプレッション
人々が日常の生活をする中で一際目立っているのが真ん中の出っぱっている洲にある神社のようなもの。色が金色がかっているからなのか、島にあるからなのか、そこだけ聖域な印象を受けます。
船を出して人を運んだり木材を運んだりしています。ここは船場だったのでしょうか。橋には人が渡っていて神社に行った帰りなのか、いくところなのか、参拝する人々でちらほら。鳥居の下には親子と見られる人々も描かれていますね。この神社が当時どんな評判だったのか気になります。
画面左下には開けたお宿のようなものがありますね。昨日見た飯屋のような室内を想像されますが、海の見える方向の部屋だったらここなんじゃないかと思えるほどそのまんまですね。
◼️洲崎弁財天
真ん中にある目立った神社のようなものは洲崎弁財天というもの。
元禄十三年(1700年)護持院隆光大僧正のご尽力により、江戸城中紅葉山に五代将軍綱吉公の御生母桂昌院の守本尊である弁財天(弘法大師作)と稲荷社を祀り洲﨑弁天社と称した。以来当社は江戸の観光名所として栄え、明治の神仏分離の際洲﨑神社と改める。
桂昌院様の時代からあるものなのですね。弁財天ということは周りに七福神のうちの六福神が
散らばっているということでしょうか。
まさにそうでした。
東海七福神 (約4.5km) 北品川から大森まで約4.5㎞、旧東海道を歩く「東海七福神」。昭和7年に品川が大東京に編入された記念として東海七福神初詣を定め、今にいたります。期間は毎年、元旦~1月15日まで。
品川周辺で行われているそうですね。
ということで、洲崎弁財天は品川あたりにあったということですね。
こちらの記事に場所についてまとめられているので参照します。
今ではこのあたり、まったくの陸地で、利田(かがた)神社があります。
この神社は、歌川広重の江戸名所道外尽にも描かれています。神社も昔は洲崎弁天と呼ばれており、品川沖の海岸、しかも洲にあったことがわかります。
現在は利田神社というところ。
もともとは旧目黒川の河口の海に突き出た砂洲に祀られていた弁天社で、江戸名所図会や歌川広重の浮世絵にも描かれています。明治に変わり利田神社となり、現在の祭神は市杵島姫命。利田の名は、当時この辺りの開発に尽力した利田利兵衛の姓から取ったものです。
場所はここ。
昨日見たところとまんま同じでしたね。笑!
だからというのも変ですが、左下にある飯屋は昨日のような妓楼である可能性がたかいですね。なので赤い服を着ているように見える人は遊女か芸妓でしょう。
昨日の絵のズームアウト絵だと思うとまた周囲の風景を脳内で足して昨日の絵を楽しめますね。
今日は洲崎弁財天の江戸の姿と今の姿を見ていきました。
今日はここまで!
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