「小田原 酒匂川」−自信を与えてくれるゴリゴリ山−『東海道五十三次』
今しょっぱい梅干しを食べながらパソコンに向かっています。
塩分とりすぎ女ですが、目が覚めるのでヨシとします。
そんな眠気覚ましの梅干しで顔が浮腫みそうな今日も広重。今回は『東海道五十三次』の「小田原 酒匂川」です。
◼️ファーストインプレッション
とても大胆な直線で描かれた構図ですね。
画面下を左右に横切る大きな川が副題の通り酒匂川という川のようですね。
酒匂川についてみてみましょう。
ここの人々が描かれている所は渡しではないのかな?
肌色のほぼ全裸の男性たちが神輿のような、籠のようなものを担いで渡っていますね。
人間の表情も動きでしか何をしているのか判断できないのでジオラマを見ているみたいで可愛らしいですね。
往復のためにこうして服を脱いで待機していなくればならないのもお腹を壊しそうですね。
対岸に着いたら早速原っぱに続く細い道を通って山の麓に続く家家の並びに向かっていきます。
あそこの宿場町につけば、川を渡った疲れを取ることができますね。
川の近くだとこうして渡しの営業で小金を稼ぐことができたのですね。
後ろの松と後ろの山が同じであれば江尻かなと思いましたが、江尻は静岡県清水なのでちょっと届いてないですね。
きっと当時の人は広重の描いた小田原の原っぱの一本の木は小田原宿到着の目安にしていたことでしょう。
奥のゴツゴツとした山は富士山ではなさそうなので神奈川の山。箱根山?角張った印象が強い山ですね。岩山とかなのかな?陽の光が当たっている部分が赤く描かれ、陽の光を浴びていない部分が深い青にされています。
土の色が違うのか、陽のあたり具合が違うのか、、、?
この角張った山は、これから宿場を抜けて対峙する難関のように感じさせる威厳を放っていますね。
今回はこの絵が描かれた酒匂川と奥の山について見ていきましょう。
◼️酒匂川
初めて聞いた川なのでしっかり見てみましょう。
近世以降に、それ以前に呼ばれていた「まりこ川」という名前では存在しなくなったみたいで、室町以降に何かのきっかけで名前が変わって、そこから同じものとして記録されなかったみたいですね。
場所としてはこんな感じ。
酒匂川自体はこの太い川のこと。
小田原アリーナとあるあたりが小田原エリアなのでこの辺りの渡しでしょうね。
https://support.ashigarakami-sci.net/wp-content/uploads/2021/11/Hsake.pdf
独特な名前の由来がこちらの記事に書いてありましたので引用します。
表記の仕方や呼び方ですらいくつか幅があったみたいで、残ったものが現在も使われていますね。
一番面白いのが一番下の大和武尊の逸話で、川に注いだ酒の匂いがなかなか抜けなかったという話。
日本の地名の由来としたは非常に「それっぽい」由来ではあります。
以前日本霊異記をみていったことがありましたが、地名の由来がこうした神々の逸話からきているものが多く、読んでいて興味深かった記憶があります。
◼️奥の山と風景
今回の絵の奥の風景に注目です。
大きな山は箱根の山にあたり、明日箱根を見るのでその時にじっくりですが、かなりの急勾配。
確かに以前箱根に行った際、周りが意外にも高い山々ばかりが並んでいたことを思い出しました。
こうしてみると、少し尖った山なので日本橋から平地続きできたところにいきなりこの大きさの山が出てきたら小田原宿で休まないとやってられません。
私は最初に見た時にこの山にしか目が行きませんでしたが、実はその手前に立派に描かれているものがありました。
山の右下にお城がいくつか建てられていますが、こちらが小田原城。
今となっては少し小さなお城として認識していませんが、当時はこうして箱根山を後ろに控えて聳えている様が実際に見られたとすると非常に威厳があるものに感じますし、現代の建物の高さがその良さを埋もれさせているような気がしますね。
小田原城に控えていたら確かにこの箱根山の威嚇をするような様相に影響されて自信がつきそうな気もします。
それに力が伴っていれば最強ですね。
今日は副題の酒匂川と、後ろの背景を見ていきました。
今日はここまで!
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